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「整える」リレーコラム④-川口 ゆり
SUSONO文化放送部が毎月のテーマに沿ってお届けするリレーコラム。やばこさん、サチコさん、藤田ゆかりさんに続き、最後はディレクターの川口ゆりがお送りします。5月のテーマ「整える」。
実は私自身、5月は仕事の忙しさがピークだったり、プライベートでは出会いや別れなど、一気に様々な出来事が交差して落ち着かない日々を過ごしてきたため、今日の今日までこうして「整える」を考えることが出来ませんでした。(気が付いたらもう6月。)
先に書いてくださったゆかりさん、ありがとうございます。
穏やかな初夏の週末。少しだけ外は雨模様。
ゆったりと綴るので、さらりと読んでいただければと思います。
「整える」と聞くと、最近の「サウナで整える」ブームのようになんだかまるで「すっきり」とした整然とした状態になることを想像してしまうことが多いけれど、私は必ずしもそうではないと思っている。
ただただ、心のキャパから溢れだした事象をひとつひとつ丁寧に拾い上げて、心地よい形に変換し、あるべき場所にそっと戻すこと。
そう。私にとっての「整える」のイメージはもう少し柔らかくて、淡々としていて、そしてハードルが低いものだ。
丁寧にひろいあげる、ということ。
例えるのに分かりやすいのは掃除だが、心が散らかっているときは部屋も散らかっていることが多い。
そういうときは私はよく、ひとつひとつのものを最初にすべて大きなビニール袋にまとめて入れる。空気を入れ替えたりするなど、空間を先に清らかにしてから、袋の中身をひとつひとつ取り出しては、ああこれはどこに置いていた小物だろう?だとか、どの位置にあった本だろう?などとゆっくりと向き合いながらあるべき場所にそっと戻していく。
そうすると、最初から一つ一つのものを片っ端から片づけようとして、結局ずっと微妙に居心地の悪い状態のまま、しばらく整理整頓を続けるよりもずっとずっと気が楽だ。
ひとつひとつを袋から出してその中身を見つめているとき、心からそれに向き合っているような気がする。
心地良いものに変換する、ということ。
ひとはそれを「美化する」というのかもしれない。
けれど必ずしも本来はそのままだと美しくはなくとも、捨てずに隅っこにおいておきたいものや記憶だってあるはずだ。それをそのままの状態で置いておくには少し痛々しいが、きれいな箱に丁寧にいれてみたり、少し磨いてみると心地よく保管が出来るようになる。
あるべき場所に戻す、ということ。
人の心には様々な部屋があると思っている。
「うれしい」の部屋や「かなしい」の部屋。乱れているときは、それらの部屋の扉が開いたまま、中にあるものがどっと溢れ出している状態だと思っている。
ついついそれらを重ね合わせたり絡まらせたりしてしまい、心がおかしなバグを引き起こすことがあるけれど、よくよく考えるともともとはどこかの部屋の持ち物。私はいつもそれらをほどき、ひとつひとつの部屋にゆっくりと戻す。そうすると同時進行で様々なことを考えて混乱することがなくなる。
私は感情表現が大変豊かなほうだ。うれしいと笑顔になってしまうし、悲しいと涙が出てしまう。そしてその感情が時に子供のようにうわっとあふれ出てしまうときが多々ある。
そんなときは、あふれ出て止まらない想いをいったんまるっと受け入れて、少し落ち着いてからひとつひとつと向き合うようにしている。そうでなければ、せっかくの「本当はうれしかった」感情が「かなしい」感情と混ざり合い、本来の自然なままの感情の純度が下がってしまう。せっかく味わうならば純度の高い感情たちが良い。
そんな私だからこそ、このような「整え方」があっているのではと思っている。
整うの定義は人ぞれぞれだし、整ってどうなりたいのかも人それぞれだ。
私はいつも自分が乱れているときはフラットな自分に還りたい、と思う。
こうやって、冷静に落ち着いてゆっくりとひとつずつ、整っていければそれでよいと思っている。
自分を整えるということに、他人軸や時間はそもそも関係ないのだから。
だから、その人らしい整え方で、本来の自分であれたら、それで十分なのだと思う。
私も。あなたも。
川口 ゆり
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