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「アート思考」と知識の関係について一考

先日のnote「美術館女子についての一考」でも考察したが、アートの世界の「わかりやすさ」について考えながら、つぶやいてみる。

最近、noteでも『自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考 』(2020年、ダイヤモンド社)が話題になっている。

著者の末永幸歩氏は、同書のプロローグでこう述べている。以下、引用する。

 美術館を訪れることは多かったにもかかわらず、それぞれの作品を見るのがせいぜい数秒。すかさず作品に添えられた題名や制作年、解説などを読んで、なんとなく納得したような気になっていました。
 いま思えば、「鑑賞」のためというよりも、作品情報と実物を照らし合わせる「確認作業」のために美術館に行っていたようなものです。
 これでは、見えるはずのものも見えませんし、感じられるはずのもも感じられません。

これを読んだ時、以下のようなnoteを書いた私は、どうしたものかと考えた。

そして、末永氏は、美術史の「知識」について同書で以下のように述べている。

アート思考の本質は、たくさんの作品に触れたり、その背景知識を得たりして、「教養」を身につけることにはありません。

はっきりと断言はされていないが、ここで述べられている「教養」とは、文脈から「背景知識」を提供する美術史の知識を指していると推測する。

注目すべき点は、末永氏が同書で「アート思考」を解説していくために、20世紀の6つのアート作品を題材に用いた理由だ。以下、同書より引用。

それは、長いアートの歴史のなかでも、20世紀に生まれたアート作品こそが、「アート思考」を育む題材としては最適だと私が考えているからです。
西洋美術の大きな流れを見てみると、14世紀にはじまるルネサンスから、20世紀が到来するまでのおよそ500年のあいだには当然、多種多少な「作品=花」が生み出されました。
20世紀のアーティストたちは、自分自身のなかに「興味のタネ」を見い出し、そこから「探求の根」を伸ばすことで「表現の花」を咲かせるプロセスに、かなり自覚的に取り組むようになりました。つまり、20世紀のアーティストたちには、「アート思考の痕跡」がかなりはっきりと認められるのです。

確かに、誰にでもわかりやすい時代と作品に的を絞っている。

美術史が提供する知識「教養」が足かせになり、自分の目で作品をみる→感じる(考える)力を伸ばす機会を奪っているという考えは、一理ある。

そして、末永氏が上記で述べている「長いアートの歴史の中」で「14世紀にはじまるルネサンスから、20世紀が到来するまでのおよそ500年」の美術作品は、アート入門者でも馴染みがある作品が多い。特に、アーティスト達の言葉が残っている20世紀の作品は、その制作の意図やプロセスが明確だ。つまり「アート思考の痕跡」がわかりやすい。

お恥ずかしながら、今の日本の義務教育の「美術」の授業が、どういうものか知らないけれども、美術が苦手という人々にとって、末永氏の解説は、わかりやすいんだろうなと思う。私も、この本で美術に興味を持ってくれる人が増えれば、誠に嬉しい。

ただ、「アート思考」を養うために、美術史が提供する知識あるいは作品背景は、本当に鑑賞者の思考をストップさせてしまう悪者なのだろうかと考えた。もちろん、末永氏は、同書の中で「解説」を全く否定しているわけではないけれども。

まず、私は、同書の参考文献に、E・H・ゴンブリッチ、高階秀爾、千足伸行をはじめとした、美術史家達の名著が並んでいることに注目した(もちろん、美術史系の文献だけではないが)。そして、同書の「注」には、いわゆる西洋美術史の知識を前提とした解説がわかりやすく補足されている。

もちろん、本文でも末永氏の美術史の知識が巧みに使用されている。例えば、20世紀の作品を理解するために、過去(20世紀以前)の作品と比較して、制作された背景を考察する方法は、美術史でよく行われる。

確かに「アート思考」を養うために「知識」は不要だけれども、「アート思考」を伝えるためには、美術史の知識は必要だと思いたいところだ。あるいは、もっと美術史を肯定的にとらえるのであれば、末永氏の美術史の知識の土台があるからこそ同書の「わかりやすさ」が成立すると私には読めた。

まあ、美術史の世界にいる人間としては、この本で述べられていないアートの歴史も「アート入門者」に知ってほしいと思う。「わかりやすい」ところから踏み込んでいってほしいと願う。

例えば、同書で述べられていないけれども、「長いアートの歴史」は、先史時代の「ラスコーの洞窟壁画」からはじまること。そして、この洞窟壁画を描いたアーティストも「表現の花」を咲かせていたことを知って欲しいなあと思う。

見る楽しみから、考える楽しみへ、別な意味で鑑賞者を手助けしてくれるのが、美術史という知識であると信じたい。

続きは、また。

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