「私は彼らを見棄てはしません」
今、美術に関してnoteで書くのがキツい。
私にとって美術は、仕事であり、人生であり、業界のいろいろとか、ウンザリすることもあるけど、生活の一部だ。否定出来ない。一応ドクターだし。
ただ、新型の感染症で人々が命を落とす中、素知らぬ顔で美術の記事を書けない。
昨日の朝日新聞の朝刊「折々のことば」で、鷲田清一氏がドイツ文化メディア担当相モニカ・グリュッタースの言葉を紹介していた(*1)。
私は彼らを見棄てはしません。
そして、鷲田氏は、彼女が政府広報で発言した内容について以下のように引用していた。
文化は時代が好調な時にだけ許される贅沢品ではない。それを欠く生活がいかに味気ないかを、私たちは今、目のあたりにしている。
そして、この苦境の最中、協議や補償に当たることを含め、芸術家や文化機関を見棄てないと決意を表明したのである(*2)。
文化メディア担当相となると、日本だと文部科学省の管轄になるのだろうか。こちらから聞こえてくるのは、学校を休校するかいなかだけで、ドイツが羨ましくなる。
ただ、世の中、文化を重要と考える人ばかりではない。
文化は、食べられないし、「アートの記事は、読みません」と断言するnoterも存在する(実際に遭遇した)。
暮らしとか、レシピとか、エッセイとか、生活の一部をnoteに書くべきか。読むのは大好きでも、私は宇多田ヒカルじゃない(*3)。
偶然、前述の朝日新聞を読んだ同じ日の晩、NHKのニュースウオッチ9を見ていた(普段は、みない)。そこで、新日本フィルハーモニーが、世の中の外出自粛の影響で演奏会の中止が度重なっており、存続の危機に陥っていることを知った。
コンサート=「不要不急」となることを悲しんでいらっしゃる演奏者の方が紹介されていた。切なくなった。しかし、彼らは、それで終わらない。その方を含め、同楽員達がはじめたのが、テレワークオーケストラ演奏会だ。部員60名であの「パプリカ」をテレワークで演奏した姿が紹介された。
泣けた。
ライブハウスで演奏する方々たちも、彼らと同じ気持ちなんだ思う。
音楽の世界でだけでなく、美術の世界では、展覧会も、個展も、延期や中止を余儀なくされている。
世界中が外出自粛をしていても、アーティスト達は、練習したり、造り続ける。
今のままでは、文化が消えてしまいそうだ。文化を創っている人々が傷ついているから。でも、彼らは、くじけていない。
私が出来ることは、何か。そう、プロとして文化を伝えることだ。
私も彼らを見棄てはしない。
註
*1. 鷲田清一「折々のことば」,『朝日新聞』2020年3月27日 朝刊.
*2.Ibid.
*3. 田中泰延『読みたいことを、書けばいい。』(2019年, ダイヤモンド社).「何を書いたかよりも誰が書いたか」を参照.
(トップの画像は、著者が撮影したフランス・パリ、オルセー美術館所蔵、エドガー・ドガ《オペラ座のオーケストラ》1870年)。