片岡義男『アロハ・オエ』①ハリウッドが波乗りをテーマに劇映画を撮る。
山のむこうから雨雲が張り出してきた。青空を幅広く灰色にふさぎ、雲は山なみにそって走った。砂糖キビ畑に斜にふる雨が銀色に見えた。
雨雲がカメハメハ・ハイウェイを横切り、ぼくの車は雨のなかを走った。
ハイウェイに出てから3度目の雨。北海岸は冬の通り雨の季節だ。
☆
雨雲は去り、陽がさした。太陽と反対の方向に虹ができた。虹はむこうの端から消え、こちらの端だけ残った。
ハレイワの町にさしかかって、もう一度、雨が来た。町のまんなかで雨は消えた。
ジャンクションを曲がるとき、むこうのガス・ステーションでジョーが手をふった。ぼくも朝の挨拶をかえした。
☆
水曜日の朝8時40分。ハレイワは、いつもとおなじたたずまいだ。雨に濡れた椰子の葉が、風にゆれ、きらきらと光った。
この町も、いつのまにか人口が増えていた。新しい民家が町の外周に増え、古い建物が次々に消えていった。
今日も、なつかしい店が消える。
店のまえには、すでに人が集まっていた。
☆
古い木造倉庫のわきにフォルクスワーゲンをとめ、ニシモト・カントリー・ストアへ歩いた。
ラジオ局の中継車。カメラをかついだテレビ局の人。近所の人たちや環境保全協会の人たちにまじって、サーファーたちの顔も見えた。
トラックから、建物を破壊し更地にする会社の黄色いブルドーザーが降ろされていた。
ブルドーザーを降ろす作業を、僕は見守った。
ギターの音が、うしろから風に乗って、聞えた。
道路のむこう、椰子の樹の下の芝生にすわり、マイケル・ヘレアウカラニが、ギターを弾きながらうたっていた。
作業員が乗りこんだ黄色いブルドーザーは、シャベルを上にあげた。
☆
そして前進した。ニシモト・カントリー・ストアの西側の壁にシャベルが衝突し、ドーンと音が広がった。
小さく後退したブルドーザーは、再び前進した。
建物が、かしいだ。見物人たちから「オー」と声があがった。
建物は、あっけなく崩れ、倒れ、平たくなった。舞いあがる土ぼこりに通り雨が降った。
☆
1899年に創業した古い店だ。ハレイワのランドマークとなって久しい。
ぼくも、子供の頃から、この店でいろんなものを買った。
この店の土地も含めて一帯を再開発し、巨大なショッピング・センターが造られる。
ベンジャミン・ニシモトが、トラックの荷台にあがり、設置されたマイクにむかって喋った。
☆
「ありがとう。ニシモト・カントリー・ストアはこれで終わりです。我々は変化を必要としているのでしょう。新しいものを歓迎しようではありませんか」
ニシモトは、つらい気持をおさえ、勇敢な笑顔をみんなにむけていた。
「私はハワイ島のコナにアナザー・ストアを開きます」
さかんな拍手があった。
ギターをかかえたマイケルが荷台にあがった。
「ぼくのつくった歌を聞いてください。題名は『ニシモト・カントリー・ストア』」
消えていくストアへの追憶の悲歌だった。子供の頃の思い出やストアに集まってくる地元の人たちのスケッチが美しくセンチメンタルにうたわれた。
☆
昔から身のまわりにあったものが消えていく。次はなにがなくなるのだろう。
マイケルは、歌をそうしめくくった。
拍手があがった。今日のなかでは、いちばん盛大だった。
ブルドーザーが動きはじめた。残骸をこまかくくだきはじめた。2時間もすれば残骸はトラックで運び去られて跡かたもないだろう。
☆
優秀なサーファーであるマイケルは、ハワイではシンガー=ソングライターとしても知られている。
「バリー。歌を聴いてくれたかい」
ぼくの顔を見て、マイケルが微笑した。
「今朝の気持ちにぴったりだ」
「ストアが取り壊しになると聞いて、すこしずつつくってきたんだ」
「レコードにするといい」
☆
ストア周辺から、車が散りはじめた。
ぼくも車に乗った。天井のミラーでうしろの光景をちらっと見たとき、妙な胸さわぎが横切った。
いつに変わらぬハレイワだが、たったいま、ぼくは古いものが永久に姿を消す現場を見た。
なにかが尾をひきそうだ。
車の窓から吹きこむ風に、そんな予感を受けとめた。
ハリウッドが、ようやく波乗りをテーマに劇映画を撮る。途方もない費用をかけてつくる大作だという。
ラリーは、映画に出演するサーファーであり、監督のテクニカル・アドバイザーだ。
主演の男たちを短期間でサーファーに仕立てあげ、画面に「本物」が映るよう、注意する。
☆
監督やカメラマン、主演の俳優たち、セカンド・ユニットまで、映画づくりのスタッフがチャーター機で島へやってくる。
この60日ほど、ぼくは、彼らをむかえ入れる準備に走りまわった。いま乗っているキャデラック・エルドラードは、テクニカル・アドバイザー専用に知事のオフィスが貸し出してくれた。
☆
チャーター機は時間どおり、到着した。
ラリーと肩を抱き合った。
「ひっかきまわされるんじゃないかって、みんな心配してる」
「たたかおう。どうだい、調子は」
「ニシモト・カントリー・ストアが取り壊しになった」
「奴ら、次はなにを壊すつもりなんだ」
「マイケルが、おなじことを言ってた。
☆
彼は『ニシモト・カントリー・ストア』という歌をつくったんだ」
「聞きたい」
黄金色さんぜんたるキャデラックに、ラリーはよろこんだ。
「大事に使いますって、丁重な礼状を出しとけ。もらったつもりで書けば、くれるよ」
ラリーがうしろの席に乗り、助手席には28歳くらいのキャロリンが乗りこんだ。
キャデラックが空港の構内を出てから、僕は車のステレオのスイッチを入れた。歌が流れた。『ニシモト・カントリー・ストア』だ。マイケルが自宅でカセットに録音してくれた。
ラリーは黙って聴いていた。歌が終ると、
「もう一度」
と言った。
聴きおえると、無口になった。
☆
キャロリンをホテルで降ろした。オフィスにむかう途中で、ラリーが言った。
「キャロリンが、波乗りをしているサーファーは、どんなよろこびを感じるのかというから、太平洋のエネルギーと性交する感じだ、とこたえた」
ぼくは笑った。
「そしたら、太平洋と性交する人と性交したい、と言いはじめた」
☆
オフィスに着くと、メモ用紙にマウイ島の電話番号と<ディーンに電話してください>とのメッセージが走り書きされていた。
彼も、映画に出演するサーファーだ。
パーティには出席できない、とディーンは言った。
「映画よりも重要なことがあるんだ」
彼が身も心も捧げている対象を、ぼくは知っている。
☆
「話し合おうか」
と、ぼくは言った。
「こっちへ来れるのかい」
急にディーンに逢いたくなった。
「いくよ。アイランダーの最終便で」
「待ってる」
彼に逢いにマウイ島へいくのは、今夜のパーティを途中で抜けだすいい口実になる。今夜は、キャロリンをラリーから押しつけられるにきまっているから。
双発のアイランダーは、昼間に見ると美しく可愛い。胴体や翼の上半分は燃え立つようなまっ赤。下半分は銀色。海上を低く飛ぶときには、海面を機体の影が走る。
いま夜間飛行をしているアイランダーは、機体が強風にあおられ、きしんだ。
カアナパリの小さな滑走路に降りた。
☆
ディーンが迎えにきた。白いボディが赤さびだらけのクライスラーのハードトップでオロワルの家へむかった。
「ジェニファーは元気かい」
「空港でキッスしたら、ロサンゼルスのスモッグの香りがした」
ぼくたちの古いジョークだ。
帰ってきた彼女にキャデラックを使ってもらい、ぼくは最終便に乗った。
☆
ディーンたちの家は海の近くだった。次第に強さを増す風のなかで、波の音は椰子の葉の音にかき消されていた。
「ぼくたちの運動が思わしくない。アメリカ海軍も海兵隊も、あの島を手ばなすつもりはない」
彼は、マウイ島の西側にあるカフーラウェ島をハワイ人たちの手にとりもどす運動のリーダーだ。
☆
全島が爆撃演習の標的に使用されていて、不発の模擬爆弾が陸や海にごろごろしている。
ディーンの遠い祖先はこの島の出身で、重要な儀式のおこなわれた神聖な島でもある。
「島を占拠して、ストライキのようなデモと、カフナによる宗教儀式をおこなおうと思うんだ」
「ぼくは支持する」
「ありがとう」
あくる朝、ジェーンに叩き起こされた。運動の広報責任者だ。
外は雨嵐だ。
「ディーンとロジャーがいないの。ふたりがサーフボードをかかえて海へ歩いていくのを見た人がいるの。その人が警察に通報し、警察からここに電話があったの」
「ディーン!」
ぼくは大声で叫んだ。
☆
いくつかある部屋に走った。どの部屋もからっぽだった。ジェーンがついてきた。
「サーフボードは?」
「ディーンが赤、ロジャーが黄色」
サーフボードを置く部屋に、ふたりのサーフボードは、なかった。
ぼくは外に飛び出した。
横なぐりの激しい雨のなかに、ディーンのクライスラーがとまっていた。
☆
キーはさしこんだままだ。ジェーンが言う方向にむかった。
「とめて! ふたりが海にむかうのを目撃者はこのあたりで見たの」
ぼくは海岸に飛び降り、ディーン!と叫んだ。
家へ帰り、警察の説明をきいた。沿岸警備隊と海軍に出動依頼をしたという。ぼくは救助を依頼した。
彼の仲間が集まってきた。
☆
昼まえにニュースが入った。ケアライカヒキ海峡のまんなかで波間に漂う赤いサーフボードを海軍の飛行機が見つけた。DEANという名前が双眼鏡で確認できたという。
打ちひしがれ、泣き声のあがる部屋で、ぼくはホノルルの映画監督からの電話をとった。
「ワイメアの大波に挑戦する3人の少年を撮らせろ」
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