茅野裕城子「私の体験した『頬よせてホノルル』」
はじめて訪れたハワイを、少しも好きになることができないまま、立ち去ろうとしていました。
アラモアナセンターのカフェテリアで、最後の午後をぼんやりと過ごしていたのです。
気がつくと、Kがわたしの前にいました。彼女がロンドンに入学して以来。そして、わたしたちは、もはや20代ではないのです。
「住んでいるのよ、この島に。彼と暮らしているの」
大きなひとが、Kのうしろにいます。
彼がポイを平らげる間、20代の自分に起こったことを話してくれました。
「さっき日本の書店で、素敵な本を買ったんだ。彼へのクリスマス・プレゼント」
小豆色の表紙に、頬よせてホノルルって書かれていました。
おもむろに扉を開くと、彼のためにKは最初のストーリーを英訳しつつ朗読しはじめます。
「すっごくいい!」
おじいさんの家の扉が好きだった建築家のエピソードが終わると、彼はKの手をきゅっと握りました。
このカップルとこのストーリーのせいで、わたしはやさしい気分に包まれています。
多くの人種が、奇蹟的に集まり、混ざり合って暮らしているハワイを、たったいま、わたしは愛しはじめたのです。
「ユキコもここでクリスマスを過ごすといいのに」
「そうしようかな」
彼の車に乗り、美術館近くにあるふたりのアパートに落ち着くと、ハワイのクリスマスははじまっていました。
車は夜のダウンタウンを走り、Kは2番目のストーリーを朗読します。3人が出会った場所そっくりのモールが舞台です。
オアフしまのお正月。ノース・ショアの彼の家では、恒例の餅つき。
この島に流れるポリネシア的やさしさを愛している、と彼の高齢のおじいさんは呟きました。
帰り道、Kは最後の短編を朗読しました。ヒロのカフェで朝食を待ちながら日系二世の老人がみているメニューと値段を、大きな声で読むのです。
東京へ戻る日、Kは大切な秘密を打ち明けるみたいな口調で話しだします。
毎晩ベッドに入ると彼は、アロハシャツのストーリーを朗読してほしいと頼むのだそうです。だから彼女は、さちえさんの作ったシャツにどうしてアロハシャツという名前がついたのかという、彼が最も好きな箇処を読んでから眠りに就くのだそうです。
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片岡義男『頬よせてホノルル』(1987年)
片岡のハワイ3作目は、『時差のないふたつの島』と同じ年の12月に新潮社から単行本で発表された。「ラハイナの赤い薔薇」「冬の貿易風」「アロハ・シャツは嘆いた」「双眼鏡の彼方に」「ヒロ発11時58分」の5つの短編からなる。
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「ラハイナの赤い薔薇」「冬の貿易風」「アロハ・シャツは嘆いた」はホノルルが舞台だが、「双眼鏡の彼方に」はマウイ島、「ヒロ発11時58分」はハワイ島が舞台だ。
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片岡の祖父はマウイ島のラハイナで砂糖きび畑に水を供給するシステムを管理する仕事を続けた人で、父はラハイナ生まれホノルル育ちの日系二世なので、片岡はハワイの日系社会を知っていた。この作品から、日系社会の雰囲気や成り立ちが描かれていく。
☆
最後の文章、茅野裕城子:私の体験した『頬よせてホノルル』は、新潮文庫の『頬よせてホノルル』に作品解説のような形で収録された文章で、片岡の作品が当時の読者にどう受け止められたかが印象的に描かれている。
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なお、私の文章は、片岡作品の要約で、表現を補うために写真を添えた。片岡作品の全文は、下記のウェブサイトで公開されている。
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