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片岡義男『ヒロ発11時58分』

ボストンでは姉に会い、シアトルでは叔父に会った。そしてシアトルから直行便でハワイ島にむかっている。
雑誌を読んでいる途中で、シート・ベルト着用のアナウンスがあった。ヒロの気温は低めで、雨だという。
ランディング・ギアが外へ出ていく頃、窓から外を見下ろした。

まっすぐにのびている道路の上空を、747は斜めに横切っていった。赤い屋根の自動車が、雨の降る道路を走っていた。自動車もまた雨に濡れていることが、飛行機の窓からでもわかった。その運転席から見えている光景や、ラジオから聞こえている音楽などを、ぼくはかなり正確に想像することができた。

滑走路は急速に接近し、タイアが滑走路に接する音および衝撃とともに747は着陸した。窓から見えている光景は、平凡な光景へと戻った。シートを立った。何時間もすわったままでいたから、かなり爽快だった。機体にむけてのびる廊下を歩き、空港の建物に入った。雨の日のヒロの香りが、ぼくを包んだ。

まっすぐにのびている道路の上空を、747は斜めに横切っていった。

レンタカーのオフィスで、ビューイック・センチュリーを選んだ。
ダウン・タウンまで、道順をうろ覚えのまま、自動車で走る。見えている光景が、あるとき記憶のなかの光景と重なる。方向の正しさを確認し、なおも走る。
そのようにして、海岸通りに出て、町の内部にむけて左折した。

左折した場所で見る光景は、1年まえと寸分たがわなかった。カフェのてまえのパーキングにビューイックを停めたぼくは、ドアが開いたままのカフェに入った。
店主と奥さん、午後の時間の常連客たちは、健在だった。店主夫妻は、よろこんで迎えてくれた。L字型カウンターの角に、ぼくの父親がいた。

隣りのストゥールに、ぼくはすわった。
「元気かね」
「元気。お母さんは?」
「達者だよ」
「妹も」
「あれはいつだって元気だ」
「ぼくが会ってきた人たちも、元気だったよ」
シャツの胸ポケットから、写真を2枚、取り出した。ボストンの姉、シアトルの叔父だ。父親は、その写真を笑顔で見た。

カフェの手前のパーキングにビューイックを停めたぼくは、ドアが開いたままのカフェに入った。

いくつかの紙包みを、父親はぼくに渡した。
「クリスマス・プレゼントだよ。家で渡してもよかったのだけど」
いちばん小さな包みは、四角な固い紙の箱だと、手ざわりでわかった。
「それは、きみのワイフに」
次の紙包みも、細長い小さな箱だった。
「きみの娘に。銀のスプーンだよ」

「きみのだ」
大きくて、ずしりと重い紙包みだ。
クリスマスや誕生日に、これまで何冊の辞書をもらっただろうか。
ぼくは紙包みを開いた。
『あらゆる機会に利用出来る傑作ジョーク5000篇』という分厚い本だった。
「ジョークによって難局を切り抜けることが出来るのは、歴史が証明するところだよ」

ぼくは、カウンターの上にその本を開いた。そして、まえに立っている店主を見上げ、
「面白いジョークをひとつ、いかがですか」
と、言った。
「面白い奴ならいつだって歓迎だね」
「では、これを聞いてください」
店主は客たちの話を制した。
ジョークを、ぼくは読んだ。カウンターの客たちは笑った。

紙包みを開いた。 『あらゆる機会に利用出来る傑作ジョーク5000篇』という分厚い本だった。

この店に触発されて、ぼくが書いたストーリーは、次のようなものだ。

朝食が出てくるのを待ちながら、小柄な、日系二世の老人は、メニューボードの表示を読んだ。
彼は、1901年生まれ。ハワイ島の北東ラウパホエホエにあった砂糖キビ耕地で生まれた。白髪が頭に薄く生え、顔と首は陽に焼け、深いしわがかさなり、おだやかな表情を悲しげにたたえている。

調理場のドアが開いた。日系の店主が、朝食を両手に持って出てきた。右手の皿にはスクランブルド・エッグにベーコン、1個のじゃがいもを切ってフライにしたものが盛り合わせてあった。左手の皿には、トーストが2枚。そのうえにはバターが乗せてあった。老人に語りかけながら、彼のまえに皿を置いた。

この店は、1950年代のはじめに開店した。電話帳にはファウンテン・サービスとして載っている。ケアウェ・ストリートとマモ・ストリートの交差する角にある2階建ての建物の、いちばん角にあたる一角だ。マモ・ストリートからの入口は、観音開きのドア。ケアウェ・ストリートに面した入口は木製の引戸。

スクランブルドエッグにベーコン、じゃがいもを切ってフライにしたものが盛り合わせてあった。

店の内部の中心は、L字型になったカウンターだ。背もたれのついた低いストゥールが外側にならんでいる。客が10人も来れば、いっぱいとなる。
カウンターの内部は、人が自由に動きまわれるスペースをへて、広い台をよせた壁になっている。メニュー・ボードの左右に鏡がかかっている。

右の鏡の前にはアンセリウムが生けてある。壁によせた台には、冷たい飲み物やフロート・ファッジをつくるための道具と装置がならんでいた。よく使いこまれた雰囲気や古びた影のなかに、朝の6時30分から午後3時までの営業を30年にわたってくりかえしてきた時の流れの小さな断片が、ひっそりとあった。

正面には、調理場のドアがある。ドアの左側は、食器を洗う流し台だ。右側の台には、ニクロ・デュオブリューのコーヒー・メーカー、トースターふたつ、コーヒー・マグや受け皿、スプーン、砂糖の容器などがならんでいる。横長のメニュー・ボードの左下には、料理を調理場から受けとる半円形の窓がある。

横長のメニュー・ボードの左下には、料理を調理場から受けとる半円形の窓がある。

彼がこの店で朝食を食べるのは、連続して7回目だ。
オアフ島のカネオヘに彼は住んでいる。
3人の娘のひとりグレイス・キクエがヒロに住んでいて、彼は、彼女のところに居候している。
ハワイ島の砂糖キビ耕地で幼い頃をいっしょに過ごした友人を見舞うために、彼はヒロに来ている。

彼とおなじ1901年に生まれた友人は、起きている時間は、記憶によみがえる昔の出来事を反芻することに使っている。
最近のある日、ハイラムに会いたい、と言いはじめた。ハイラムは、朝食を食べている老人。幼なじみの名はワラス。
久しぶりに会うワラスは、居間のソファにすわり、虚空をみつめていた。

5歳のとき、彼は母親をなくした。母が死んだ直後の自分に帰還していることが、彼のひとり言を聞きつづけたハイラムにわかった。砂糖キビ耕地の粗末な小屋で、ワラスが眠ろうとしている。蚊が幼い彼の体を刺す。むずがると、父に叩かれる。うとうとしていると、窓の外の闇に、母の顔がぼうっと見える。

砂糖キビ耕地で幼い頃をいっしょに過ごした友人を見舞うために、彼はヒロに来ている。

コーヒーを飲み、居間にもどったワラスは、また幼い頃の自分にもどった。
近所の人が飼っていた犬が、ピックアップ・トラックにはね飛ばされる瞬間から、よろよろと起きあがると、猛然と突っ走り、巨大なモンキー・ポッドの樹に激突して即死したところまで、夢遊病者のように語った。

昨日は、彼が住んでいた小屋の南側の窓の外にあるケアヴェの樹について語った。
夜、幼いワラスが窓辺で床についていると、外の道路をたまに自動車がとおる。風に動く無数の樹の葉がヘッドライトの光を受けとめ、窓ごしに小屋の天井へ反射させる。ゆれ動くおぼろで小さな光がいくつも、天井にうつる。

モンキー・ポッドやケアヴェの樹が砂糖キビ耕地にまだあるか、ハイラムは興味をもった。
ある日の午後、ぼくは彼を乗せ、ラウパホエホエにむかった。
ハイラムやワラスが住んでいたところは、いまでも砂糖キビ耕地だった。モンキー・ポッドは大きく枝を広げて立っていた。ケアヴェはみつからなかった。

モンキー・ポッドは大きく枝を広げて立っていた。ケアヴェはみつからなかった。

ぼくと父親は自宅にむかった。
「クリスマス・プレゼントは、トランクのなかにあるんだ」
「なにを持ってきてくれたのかね」
「お母さんには箸おき。24個のセットだ。佳子が選んでくれた」
「ヘレンには、チューイン・ガムのケース。フランス製の皮細工で、きれいな出来ばえだよ」

「ぼくには、なにがあるんだい」
「自宅で見せる。期待して、待っていてほしい」
雨の降る道路のむこうに、家と周辺の光景が見えてくると、奇妙な懐かしさを覚える。両親の住む家はいまでも居心地よさそうに見えた。
ぼくの部屋が奥にある。アロハ・シャツを着ると、自宅に帰った人の気持ちになれた。

父親へのプレゼントは、旅行用の鞄だった。
父親は、その鞄を手にさげて居間を歩きまわった。
「どうかね」
と、妻の三枝子に意見を求めた。
「よく似合いますよ」
「よし。日本へいこう。気候のいいときに、荷物はこれひとつに全部おさめて」
何度か聞いたことのある台詞だが、なかなか実現しない。

父親へのプレゼントは、旅行用の鞄だった。父親は、その鞄を手にさげて居間を歩きまわった。

窓の外では雨が降っていた。747の窓から見下ろした光景をぼくは思い出し、飛行機のなかで読んだ雑誌の記事を思い出した。
ロード・アイランド州リトル・コンプトンの沖にある灯台に関する記事だった。サコネット岬に広がる浅瀬や岩礁を相手に、102年前から灯台は船を導いてきた。

1954年のハリケーンで損害をこうむった灯台は現役を退くことになり、1962年に競売に出された。
灯台を自宅の正面に見る場所に住む人物が灯台を買い取り、すこしずつ修復していくうちに、町の人たちが灯台を現役に戻すことに関心をもつようになり、灯台の現役復帰にむけて資金集めの運動がはじまった。

町ぜんたいが灯台に強い関心を持つにいたり、資金は思いのほか多く集まり、15万ドルに達した。
灯台は修復され、冬のある日の午後、何十年ぶりかで光を放ちはじめた。クリスマスまであと数日。灯台の光は、町の人たち、そして沿岸に住むすべての人たちにとって、またとないクリスマスの飾りとなった。

ロード・アイランド州リトル・コンプトンの沖にある灯台に関する記事だった。

お茶を飲みながら話をしていると、庭に自動車が入ってきた。
「見なれない車があるので、お兄さんだと思ったわ」
うれしそうに言いながら抱きついてくる彼女を、ぼくは受けとめた。
「奥さんは、どこにいるの? それから娘は?」
「来年、みんなで来るよ。まだ日本が寒いあいだに」

「私がお父さんとお母さんにプレゼントするのは、クリスマス・トゥリー。本土から運んでくる木なの。明日、取りにいくの。いっしょにいきましょう」
ぼくは小さな包みをヘレンに差し出した。
「今年のクリスマス・プレゼント」
妹は、歓声をあげた。淡い褐色の紙の箱を開くと、革細工のケースが薄い紙に包まれていた。
「素晴らしくきれい!」

「でも、なにを入れるの?」
「指を入れるんだよ」
父親が言った。
「指を入れたわ。これから、どうするの?」
母が笑いころげた。父親は、
「ガムを入れるんだよ」
と、リグレーのプレンティー・パックを差し出した。
ヘレンは、ガムをケースにおさめた。
「明日は、会う人ごとに、ガムをすすめるわ」

淡い褐色の紙の箱を開くと、革細工のケースが薄い紙に包まれていた。「素晴らしくきれい!」

明くる日は、きれいに晴れた。午後1時にスーパー・マーケットの正面で、妹と待ち合わせた。トゥリーを乗せて帰るため、隣りのドイツ人夫妻からピックアップ・トラックを借りてきた。
ヘレンは笑顔で歩きながら、ガムのケースを出してフラップを開き、差し出した。
「ガムはいかが」

笑いながら、ぼくは1枚、抜き出した。
「このケースは、好評なのよ」
52ドル78セントを支払って、ヘレンを木を引きとった。自分よりも高い7フィートの木を腕でかかえて歩く彼女を、横から写真に撮った。彼女の笑顔に陽が当たっていた。
トラックから父親とふたりで木を降ろし、居間の中央に立てた。

夕方、いろんな人たちがそのトゥリーを見に来た。親類にあたる人たちが何人もいた。幼い頃のぼくを抱いてよく散歩に行ったよ、と懐かしそうに言う老人もいた。
アメリカ海軍の会計士をやっている男は、ここに住んで英語でストーリーを書け、と言った。
来た人たち全員に、ヘレンはガムをすすめていた。

自分よりも高い7フィートの木を腕でかかえて歩く彼女を、横から写真に撮った。

次の日も、きれいな晴天だった。ぼくは午前11時58分の飛行機でホノルルにむかい、ホノルルに着いて2時間後の便で東京にむかう。
ビューイック・センチュリーで、空港にむかった。両親がうしろの席に乗っていた。
「きみがかよった小学校のわきをとおってみよう」
と、父親は言った。

校庭の中央には、はりぼての雪だるまが立っていた。強い陽ざしを受け止め、真っ白に輝いていた。
ぼくは自動車を停めて、写真に撮った。
空港のロビーにいると、ヘレンがやって来た。
ヘレンはぼくを抱いて
「Come back.」
と、気持ちをこめて言った。
両親が柔和に微笑して、ぼくとヘレンを見ていた。

水平飛行に移ってから、ヘレンがくれた包みを開いてみた。
なかに入っているものの香りを、嗅覚がとらえた。ヘレンが自分で焼いた、星の形をした、みごとな出来栄えの菓子だ。
しばらくのあいだ、ぼくはそのジンジャ・ブレッドの菓子をさまざまに鑑賞した。そして、もとのとおりに包みなおしていった。

水平飛行に移ってから、ヘレンがくれた包みを開いてみた。

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