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〖価値観の変化〗~髑髏グッズの話



髑髏グッズの話

Amazonで髑髏のネックレスやらシャツやらを物色中だ。

実は、ちょっと前までは身につけるモノで髑髏グッズは嫌だった。

それが40も過ぎて、「死ぬ」ということが身近に感じれるようになると、それもいいかって思うようになった自分がいる。

面白い変化だ。

嫌だなって感じてた頃は、自分にとって髑髏が不吉の象徴だったからだろう。

自分は潰瘍性大腸炎・クローン病という難病と25年以上過ごしてきた。

入退院も10回以上 繰り返している。

2018年は最後に入院した年で、今までで一番症状も重く、退院しても何ヶ月も良くならず、本当に「もう人生を閉じてもいい」と本気で思った年だった。

自分はどちらかと言うと物事をポジティブに捉えるし、そういう生き方をしてきたつもりだ。

しかし、この年の入院でネガティブに振り切ったからこそ、価値観もガラッと変わってしまった。

まず今までは、どこかに足跡を付けたいと思っていたような人間であったが、そんなことはどうでも良いと思うようになった。

「全てのことや人生は砂で作った城のようなモノ」そう捉え表に出たいという欲求は減っていった。

だから今では自分の人生で携わって来たものや自らが作ってきたものに対して遺ってもよいし、遺らなくてもよいというふうに考える。

昔の自分から見たら、随分、刹那的だなって思うかもしれない(笑)
要らない物、使わない物も全て処分した。
何となく物の発する氣が分かるようになり、特に古い物の発する氣が自分にとって良いか良くないかが判断出来るようになったのだ。

意固地になっていた考え方や論理的だった考え方も崩せるようになり、素直に直感に従えるようになった。

もしかしたら、「そろそろ人生に本当に必要なものを見出し、それに向けて手放しなさい」そんなふうに神様や守護霊様が導いてくれたのかもしれない。


最近、メンタリストDaiGoさんのYouTubeで、常に死を意識した状態で物事に取り組むとパフォーマンスが向上するという内容の動画を見た。

生命の危機、生存本能で火事場の馬鹿力が発揮されやすい状態になるらしい。

また髑髏アイテムを身につけることによっても「死を身近に感じる」ようになり、同様にパフォーマンスが上がるのだそうだ。

そういえば新選組の近藤勇は髑髏の道着を着ていたとか。

ここで初めて武道の話をすると、確かに!と思う経験をしていた。

自分が習った札幌の武道道場では常にそういった意識で稽古をしてきたからだ。
自分は一流の武道家であるとは言えないが一流の環境で稽古してきたという自負がある。

そして、自然と一流に近づけるようなマインドセットで稽古に望めていたのだとハッキリ分かった。

その道場では複数の武道を習ったが入りは合気道からだった。
先生の技の迫力は物凄く、受け損じたら「死ぬ」または「大怪我」すると思わせ常に集中していたからだ。

勿論、一流の先生なので、稽古中に門下生に怪我をさせるようなことはしない。
ただその気迫によって常に稽古中は真剣勝負に望む気持ちで励ませて貰ったのだ。

意識の違いで同じものを習っても成長速度や自身への浸透は全く違う。

今思えば有難いなと言う話。
そういう気持ちでまた人生に取り組もう。

髑髏アイテムは何か身につけることにします!!

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