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グローバルランニングデーに考えるランニングの尊さと#BlackLivesMatterについて

毎年、6月の第1水曜はグローバルランニングデー(今年は6/5)。例年であれば世界中のランナーがこの日を祝う様子をSNSを通じて目にするが、今年はその前日から様子が少し違っていた。

ジョージ・フロイドさんの死とN.W.Aの回想

ミネソタ州で警察官に窒息死させられたジョージ・フロイドさんの死を受け、全米だけでなく世界各地で抗議デモが起きている(もちろん、平和的な解決を訴えるものも多くいる)。

そして、この問題:人種差別は今に始まったことではない。

1980年代後半のカリフォルニア州コンプトンの街の様子や、当時のヒップホップシーンの様子がうかがえる全米大ヒットを記録したドキュメンタリー映画の“STRAIGHT OUTTA COMPTON”(2015年公開)では、以下のようなワンシーンがあった。

アフリカ系アメリカ人(黒人)で構成された伝説的ヒップホップグループのN.W.Aのメンバーがスタジオ(見た目は普通のアメリカの家)でレコーディングをしている時、突如白人警官がスタジオに押しかけてきて、正統な理由もなくスタジオの外の路上のコンクリート上に押し付けて迫害するシーン。

これは映画の世界の話だろ... と思う人もいるかもしれない。

しかし、彼らは実際に警察を批判する内容の曲を1998年に大ヒットさせている。彼らはアフリカ系アメリカ人であるというだけで、それまでにも迫害を受けていた経験があった。

ヒップホップ(大まかに言えばラップ)自体が社会へのメッセージ性を重視してアメリカで文化形成された背景を考えれば、N.W.Aの大ヒット曲は人種差別に対する社会へのメッセージそのものであり、それに呼応するファンが白人も含めて多くいる(と、私は解釈している)。

今回の世界中での抗議デモの報道をみながら、私が2015年に映画館でN.W.A.の映画を通して目にしたワンシーンを回想し、「それは実際にこの世で起こっていること」という認識を強く持たなければならないと今回再確認した。


 #BlackOutTuesday

このような映画のワンシーンやジョージ・フロイドさんの死はアメリカにおける人種差別の歴史からみれば氷山の一角であるが、今回人種差別反対への人々のメッセージが今回再燃したのは、もちろんこれまでのコロナストレスによる人々のストレスの影響もあってのことだろう。

先週の火曜日にはSNS上で人種差別抗議のメッセージといえる、“ブラックアウトチューズデー”の投稿が世界中でみられた。おもに#BlackOutTuesdayのハッシュタグと真っ黒な画像を投稿し、自らの意思表示をするというものである。

また、2013年にSNSで使われ始めた#BlackLivesMatterという人種差別抗議への投稿も同じく#BlackOutTuesdayとともに世界中の人々(その中には多くの芸能人や著名人も多く含む)が発信した。

(ハッキリ言って...検察法改正に反対します!どころの話ではない)

私がインスタグラムでフォローしている陸上長距離チーム(NNランニングチーム、コロラドのティンマンエリート、フラッグスタッフの人たちなど...)や多くのアフリカ系の陸上選手もこのように#BlackOutTuesdayを掲げた(それ以外にも人種差別に反対する白人の選手にもこの投稿がみられた)。

この日は私もSNSにこの内容の投稿をして、翌日は1日中スマホの電源を切ってSNSを見るのをやめ、ジョギング中に人種差別について深く考え、妻とこの件について真剣に話した。


平和的な解決とは:人々が力を合わす時

ジョージア州アトランタの人気ラッパー(正確にはMC)であるキラーマイクとT.Iは、世界各地で抗議デモが起きている最中、大都市アトランタに住む1人として印象的なスピーチを行った。

警察官の息子であるキラー・マイクはこのスピーチで、とても重要なことを話した。以下、要約。

暴力によって街を破壊したり、燃やしたり、略奪をしたりデモを起こすのではなく、またCNN(大手メディア)もそういった場面ばかりをクローズアップして人々の怒りや憎悪を駆り立てることはよくない。
我々がすべきことは、この先に備えて計画をして、戦略を立てて、そのための行動をとること。それは国勢調査に協力することだったり、選挙に参加すること(社会を変える為の正しい行動を起こすこと)。

今何故、世界中でデモが起きていることを理解すること、人種差別について知ること。日本にいる我々はテレビやネットの記事でデモのニュースをみて何を思うだろうか。

人間は時に憎悪や妬みを持つこともあるが、“理解”することで時に協力や連帯感が生まれる。“優しさ”は誰しもが幼い頃から育んでもらった感情。“協力”できるのが人間の素晴らしいところで、そういった行動や意思表示はSNSの至る所で確認できる。

例えばナイキは“Just Do It”という有名なフレーズを“Don't Do It”に変えてSNSに投稿。社会全体に向けて人種差別の問題に真剣に向き合うように呼びかけた。

こういった社会の大きなテーマに対して、ナイキのような大企業が公式に意思表示することは大きなリスクが伴うが、このナイキの発信にアディダスなどといった競合メーカーも賛同した。


ジョギング中に射殺された黒人:アマド・アーベリーさんの死

ジョージ・フロイドさんのような残酷な死は、アメリカのジョージア州で今年の2月にも起こっていた。

日本ではあまり報道されなかったこの事件は、ジョージア州グリン郡の住宅街でジョギングをしていた黒人男性のアマド・アーベリーさんが、白人至上主義の親子に車で追いかけられ、その後射殺されたといういたたましいもの。

この事件が起きる前、このエリアでは空き巣被害のようなケースが起こっており、少々緊迫感があったよう。そして、元警官の白人の父親と、検察官の息子が自宅近くでジョギングをしていたアーベリーさんを、おそらく黒人であるという理由から不審に思い、その後車で追いかけ回し、非武装のジョギング中の黒人男性を射殺したのだ。

銃社会であるアメリカは自己防衛のために銃の保持が認められているが、この件では泥棒がうろついていると思ったこの白人親子が、非武装の黒人男性を銃殺したわけである。

しかし、父が元警官であること(この事件の捜査に当たった警察署に勤務していた)、息子がこの地区の地方検察官であることもあってか、当初は正当防衛を理由に彼らが逮捕されることはなかった。

しかし、この事件から数ヶ月後にこの時の射殺の様子を捉えた動画が突如SNSで拡散されたことによって、それが決定的な証拠となりこの2人は逮捕されたのだ(その動画を撮影していた人はこの親子の協力者で、事件に加担したということで撮影者も逮捕された)。

この射殺事件のニュースは、射殺された人がランナーであり(ジョギングを日課にしていた)、かつ黒人であったことから、英語圏のランナーのなかでも特にアフリカ系の選手にとっては無視できないトピックとなった。

アーベリーさんの死後に容疑者親子は逮捕されたが、この非人道的な射殺への抗議がにわかに世界中に広まった。そして、彼の26回目の誕生日となるはずだった5月8日に2.23マイル(彼が射殺された日が2月23日)を走ってアーベリーさんの死を偲ぶという行動が世界中で広まった(#IRunWithMaud)。

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私もこの日に彼の死を偲び、彼のことを思ってジョギングをした。

これまでは自分のために走ってきた私であるが、

「人のために何かを思いながら走るということにこれほどの大きな意味があるのか」

ということを感じた。それは、私自身にとって非常に大切な体験だった。

世界的な歌手(グラミー賞受賞歌手)のアリシアー・キーズも彼女の家族とともにアーベリーさんのために2.23マイルを走った1人である。この#IRunWithMaudは今回の#BlackLivesMatterの運動の広がりに連れて、再び注目されている取り組みの1つである。

また、ナイキやアディダスなどが一丸となっている中、ニューバランスはこの#BlackLivesMatterの運動や、アーベリーさんの死に関連して、ジョージア州アトランタの黒人コミュニティ団体に10,000足のシューズを寄付することを公式に発表した。


ランニングで繋がる世界の輪

大手スポーツメーカーだけに限らず、多くの企業、団体、個人においても現代の人類におけるテーマについて深く考え、行動することの重要さを教えてくれている。

今回の記事のタイトルにはグローバルランニングデーと入れたが、例年であればこの時期は世界中でランニングを通じてハッピーになれることを祝う時期である。

しかし、このような社会状況にあり、どんよりとした1週間になってしまったのかもしれないが、

「人類にとってのこの転換期を前向きに捉えることが重要である」

といういうことを、私はグローバルランニングデーにジョギングしながら考えていた。

そのジョギングが終わってから、妻と色々と話をしたが「日本に生まれ育っているとどうしても世界の人種差別の現状を間近に感じることは簡単なことではない」と。

それはそうだ。日本人の中でも海外に住んだり、留学したり、滞在したりしない人の方が圧倒的多数であるし、そもそも難民や移民を受け入れる体制が国の制度的に不十分である(昔から閉鎖的な鎖国文化と言われてきた)。

それでも、私は個人的な興味や仕事をベースに、ランニングを通じて世界の人々と交流を行うことができている1人である(グローバルランニングデーというのはそういった交流の目的もある)。

もちろん、私がランニングで交流を行ってきた人の中にはアフリカ系の人も含まれている。

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私はケニアには3回行ったことがある。彼らほど優しくて、純粋な人々に私が住んでいる東京でどれだけ会えるのだろうか。

過去に私が撮影した写真を見つめながら、そう思った。

本音を言うと彼らとまた一緒に走りたいし、彼らから学ぶことは本当に多い。今回の社会問題はアメリカだけでおさまる話でもないし、世界中で人種差別がなくなればいいなとも思う(そんな綺麗事言ってんなよ、って思う人ももしかしたらいるかもしれないけど...)。

ことケニアでは部族同士の争いや、政治に関連した闘争が続いてきた歴史的背景があるが、私がランニングで繋がってきた人たちと話をしたり、一緒に走ったりしていると、人々のそんな憎悪や妬みはどこからやってくるのだろうかとさえ思えてくる。

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コロナウイルスに対する世界の状況、そして今、何故人々が集まって抗議デモや集会を行なっているのか。

今世界で何が起こっているのかをもっと知るべきだ。

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井戸の水を汲むために何時間もかけて歩く子供たちを見かける車社会とは無縁のケニアの山岳地帯のど田舎。そんなハードな生活でもこうやって笑顔を絶やさない優しい人たちが世界の裏側にはいる。

先行きは見えない社会状況ではあるが、この笑顔を再び自分の目で見れる日はいつになるだろうか。

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