2022年 良かったマンガ

今年特に良かったマンガ作品。
例年の通り、今年始まったか終わったものの中から選んでいる。が、一作品だけ例外として選んだ。


『霧尾ファンクラブ』 地球のお魚ぽんちゃん
出たばかりのものからひとつ。
女子高生の三好さんと染谷さんは、クラスメイトの霧尾くんのファンだ。
それはまさにファンというべき距離感であって、積極的にアプローチしたりすることはない。ただ遠巻きに見守る、しかしその見守りの方向性はおかしく、また、なんというかとても濃い。
シュールギャグなのだが、その笑いのセンスがバチッと好みにハマってしまった。たとえばこういうシーンがある。
霧尾くんが教室に忘れた学ランをどちらが届けるか、というのを賭けてふたりは勝負をする。霧尾くんの好きなところを黒板に書き出していき、時間内に多く書けた方が勝ち。
やさしいところ、クールなところ……と考えながら書き並べていく染谷さんなのだが、隣の三好さんは異様なスピードで項目を連ねていく。どういうこと……?とそちらを見ると、
目 耳 鼻 口 毛 骨 胃 肺 心臓 肝臓 じん臓 すい臓
もうね、こういうの大好き。なんだよその発想、ってなる。
あと、霧尾くんがちょっとマクガフィン的というか、登場はするんだけど顔は出ないしキャラクターもほとんど描写されないという、それが結構重要かなと思っている。ある種、ゴドー形式というか。


 

『スケバンと転校生』 ふじちか
80年代の高校を舞台に、転校してきたばかりの神崎さんと「スケバン」の南雲さんの交流を描く。
こういう、80~90年代風のアートスタイルを採用したマンガがかなりいろいろと出ているけど、舞台までその年代に設定しているのは珍しい気がする。
そしてそういったマンガの中でもこの作品はかなり芸が細かいように思う。たとえばちびキャラのデフォルメとか、効果音の言葉選びからフォントに至るまで、単に「絵」でなく、マンガの文法までコピーしているような。
そして大事なことは、この一巻の後半に行くにつれて、単なる日常系からわずかに浮き上がるような展開が生まれていくこと。この展開自体はそこまで特殊なことではないんだけど、ただ、80年代という時代設定を考えると話が変わってくる。その時代を使ってあえて「これ」を描こうとしているのだとしたら、それはとても意味のあることだと思う。


『チ。-地球の運動について-』 魚豊
完結。
すでにいろいろ語られていると思うので、この作品の、とくに最終巻で感銘を受けたふたつのことについてだけ書いておく。
まず、ここでしっかりと作品が終わったということ。話題性から考えると長期連載化もあり得たし、実際にそういう話もあったのでは?と思ったりする。でも、もしそうなっていたら自分の中で作品の評価は著しく下がっていた。自分の中で、反響があるから次の展開次の展開、みたいな形で続いていく作品のほとんどには、価値がない。終わるべきところで終われること、これは作品がひとつの一貫した連続的な美観をもつためにきわめて重要なことだと考える。映画と同じだ。基本的には、短ければ短いほどいい。
そしてもうひとつ。

今、たまたまここに生きた全員は、たとえ殺しあう程憎んでも、同じ時代を作った仲間な気がする


このセリフ。これに尽きる。
圧倒的な感動と、同じくらいの抵抗感があって、ああ、ほんとそれな、と思うと同時に、そんなワケねえだろと思いもする。
この言葉を今でも折に触れて思い出して、その意味を考える。

友達じゃない 家族 恋人でもない 全員他人だ
なのに同じ音 同じ時代に揺れて 生きて そこにいる
それが奇跡 出来過ぎた奇跡だ

"六文銭" MOROHA



『言葉の獣』 鯨庭
あらすじ及び私の思いの丈はすでに記事に綴ったので、以下で。

やはり自分にとって常に最大の関心事のひとつが、言葉についてであって。
そして自分の書いている怪談というものも、詩と交差するところのある文芸だと考えている。アートフォームとして、そのように認識している。
今、美しい言葉を綴ろうとすることを冷笑するような空気ってものすごくあるし、なんなら言葉が「美しくならないように」腐心するような心性が底の流れにあるのを感じたりもする。
そういう中にあって、まっすぐに言葉をエンパワメントしようとするこの作品に胸を打たれた。同じ時代にこういう作品があってくれることを、心強いと思った。


『うみべのストーブ 大白小蟹短編集』大白小蟹
別れた恋人と住んでた部屋においていたストーブに話しかけられる「うみべのストーブ」や、夫が事故で透明な体になってしまう「きみが透明になる前に」など、突飛な話も多い。
でも、そんなどの物語も、すぐそばにあり、事故のように出くわしてしまったり、いつか経験して胸の奥にしまっていた記憶のような、そんな感情について描いている。
最後にはすべてが終わっていくとしても、その過程にある美しい瞬間を掬い上げていくことはできて、それがあればこの先を生きていけるっていうような、そういう類の美はあるだろう、っていう感覚が自分の中にずっとある。
映画の『ブルー・バレンタイン』や『マリッジ・ストーリー』、『永遠の僕たち』のような作品を思い出していた。
それ以上に連想したのが、星野源のアルバム『エピソード』。
飯を炊き風呂を沸かして悲しみを乗り越えようとする"湯気"、寒くて布団から出られず家人に「行ってらっしゃい」を言えなかった、事故にでも遭ったらどうしよう?と気を揉む"布団"、喧嘩と仲直りを繰り返す老夫婦の暮らし"喧嘩"、パートナーの葬儀を悲しくユーモラスに描く"ストーブ"、墓参りの"ステップ"。暗い部屋の中で光る何かがあると信じて創作に打ち込む"日常"。
すごく好きなアルバムで、『うみべのストーブ』もそれと響き合うような一冊だった。



『瓜を破る』 板倉梓
これだけ、今年始まったでも終わったでもない連載中の作品。
このタイトルの感じとか、これまでの巻の表紙の感じとか見て、勝手に内容を想像してスルーしていたんだけど、今年出た六巻の表紙を見て、すごく惹かれた。これまでの流れからすると意外性があって、ああ、こういう角度からも描くんだ、みたいな。
kindleで最初の三冊が安くなっていたのもあり読んでみたら素晴らしく、最新刊まで一気に買ってしまった。
等身大すぎるままならなさを抱えた人々が「どうせ自分なんて」を越えていく恋愛群像劇。
「今さら自分を変えることなんてできないと嘯く大人たちが少し踏み出そうとする現代の冒険譚」。
この「現代の冒険譚」という言葉が各巻のあらすじの中で使われているのだが、うまいコピーだなと思う。いつもと同じ景色、つづく日常の中でも、冒険は起こる。ごく私的で外から見たら些細なことだとしても、当人には重大な。
それぞれの生きづらさがあり、しんどさがあり、日々をもがく中でかすかな光を見つける。それは意外な他者だったり、発した当人からすれば何でもない言葉だったりする。
絵のシンプルさと裏腹にキャラクターは良くも悪くも人間くさくて愛おしい。「この人は報われてほしい」と自然に思えるような造形で、そのために彼らの日常の中の「冒険」に、読んでいるこちらも手に汗握らされてしまう。
好き。
お前ら全員幸せになれ。


『生活保護特区を出よ。』 まどめクレテック
一、二巻が同時に出ている。
今年読んだ中で最高のマンガ作品はこれかなと。
あらすじ及び私の思いの丈についてはすでに記事で書いたので、以下を。

防衛増税、なんていう下劣な言葉を平気で口にする政治家がいる。
いま、インボイスを通して政治が自分みたいな零細の書き手の首を絞めに来ている。
リアルな気持ちで読んだ。リアルに読まざるを得なかった。
今という時代、この社会、この国、この政治、この空気、不寛容、差別、格差、つまりこの世界に対しての鋭利な怒りがあって、そんなものものへの抵抗としての美を力強く描き出す。
このマンガは面白い、すごい、感動した、そういうレベルではもうないと思う。
そうじゃなくて、このマンガは、要る。
このマンガは世界に要る。
そして、そのことを思うときに、やはりモノとしてのつくりの素晴らしさにも必然性があるよなと思う。
商業の単行本として他に例がないだろうという、異様な存在感のあるデザインを施されている。本棚にこれがあると目に留まる、無視できない、なかったことにさせない、そういう本だと思う。


というわけで今年のマンガについての記事だった。
今年はこれで書き納めかなと。
それではよいお年を。



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