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2022年 良かった国内小説

今年は国内小説をよく読んでいた。
小説を読み、山に登り、書く。の繰り返しだったように回顧する。

小説は翻訳できないような気がしている。
私が小説を読むとき、物語はそこまで重要ではなくて、文体や話法、語彙、といった要素のウェイトの方が大きくなる。物語というのは、そんな言葉を乗せるためのレールのようなものなのではないかと思っている。
その観点に立つと、翻訳というのは、そこに書いてあることの意味、ここでいう「物語」を伝えてくれるものではあるのだけれど、そのために言葉は組み換えられてしまっている。小説としては別のものになってしまっていると感じる。
翻訳者の人々の仕事は尊敬するし、翻訳小説で好きなものも沢山あるのだけれど、その上で、物語ではなく言葉そのものを味わうために国内小説を手に取るようになった。

こういう考えを推し進めていくと、結局人は母語以外の言語は本当の意味では理解できないんじゃないか、と思ったりもする。
あるいは、「書き手の母語以外で書かれた小説」というのをどう考えるか?という問題提起もある(今年だったらグレゴリー・ケズナジャットの『鴨川ランナー』など)。

今年特に良かった国内小説。

『水たまりで息をする』 高瀬隼子
昨年の作品。
主人公の夫が、ある日から突然風呂に入らなくなる。水道水はなんかくさい、あと痛い、と言う。どうも会社の飲み会での嫌な出来事が原因らしい。まあとにかくそのままもまずいので、ミネラルウォーターを使ってみたり雨水を使ってみたりと色々試す。という話。
この方の小説は今年の『おいしいごはんが食べられますように』が芥川賞で話題になっていたが、悪いオタクの癖が出て前の本から読んでしまった。
小さな物語ではあるのだけど、人の内面におこるさざ波というか、感情のかすかな機微の捉え方が精緻で大胆で、引き込まれる。この感情は私にもあるな、この感じを分かってくれるんだな、と何度も思った。
特に生活の中にある「しんどさ」を言葉にする際のぴたりと正鵠を射る感じ。そこに対置するように描かれる夫婦間にある感情の美しさ。
それから、読んでいて「意外と映像映えする話なのでは?」と思った。ぜひ映画化してほしい。読み終わった途端、頭の中で折坂悠太の"針の穴"が流れたので、エンドロールはそれにしてほしい。

今私が生きることは
針の穴を通すようなこと
稲光に笑ってたい
針の穴を通すようなことでも

"針の穴" 折坂悠太



『君のクイズ』 小川哲

note記事で書いたので詳しくはそちらで。
クイズという競技は、素人からすると「答えを知っているか知っていないか」の勝負に見えてしまう部分があるんだけど、実は繊細なロジックの駆け引きが何層にも重なっている。そういうところを実に見事に提示している。


『我が友、スミス』 石田夏穂
スミスマシンというトレーニングマシンがある。
重量上げの補助レール装置のようなものなのだが、これが非常に高価で、主人公の女性の通うジムにも一台しか置いていない。そしてそれはいつも筋肉ダルマ三人組が占拠している。
私も、スミス使いたいよっ。
主人公はある日、元プロのボディビルダーにスカウトされる。うちのジムでプロ目指さない?最初は乗り気ではないのだが、いざそのジムに行くと、スミスマシンが三台も置いてある。入ったらあれ、好きに使っていいよ。

疾走する文体の中でハイペースに繰り出されるユーモアのセンスがどれも鋭くて、平たく言うと、まあ本当に笑える。終始笑える。
例えばこんなシーン。テレビに映るボディビル大会での女性選手たちを見て母親が「女の人があんなに鍛えちゃ変じゃない」と言ったところに主人公はつい反論してしまう。「別に、全然変じゃない」。「でも、あんなにムキムキなのよ?R恵さん、どう思う?」と母親。主人公は思う。

おい、第三者委員会を呼び出すか。母は素早く私との議論に決着がつかないことを見通すと、迷わず義妹を巻き込んだ。見上げた政治的手腕である。

こういうパンチラインを連打しつつ、一方で、根底にあるのはフェミニズム的なテーマだと思う。
「性別など関係ない」と思っていた筋トレ、ボディビルの世界だが、審査基準は知れば知るほどおかしい。「過度に発達した筋肉は減点対象」、「女性らしい丸みは加点対象」、「肌の美しさ」「所作」「知性・人格・誠実さ」……。
求められるそれらと葛藤しながら、主人公は肉体を「仕上げて」いく。

そうして私に残ったのは、シンプルであり、そのため具体性に欠け、それでいて切実っぽい、一つの望みだった。曰く、ああ、別の生き物になりたい。私は思春期のように、そんな望みを抱くアラサーとなった。その意気込みは、宝くじ当たらないかなあよりは、若干強い程度だったとしても。


『フィールダー』 古谷田奈月
今年最も面白かった小説がこれになる。
今年、というか、数年に一冊こういう出会いがあるかどうか、という傑作。
私の思いの丈はすでにnote記事で書いたのでそちらで。

めちゃくちゃ陳腐な感想を書くんだけど、勇気をもらえる小説だった。
こういう物語があるなら、まだ生きられるし、まだ書いていられる。ここがどんなに不条理な失望を満載した社会なんだとしても。

周辺状況的なことを書くと、やはりちょっと残念なことがある。
いわゆるライトノベルではない、一般文芸でのゲーム小説って年間に十冊も出るものでもないと思うんだけど、その中にあって今年はこういう圧倒的なまでの傑作が出てきた。
そこで、国内のゲームメディアが総スルーしているっていう現実がある。
本来なら、いの一番にキャッチしなければいけないところのはずで、ブックレビューなり著者インタビューなりやるべきことはあったはずだ。
でも実際には何も出てこないという、この感度の低さはちょっとどうなんだろう?と思う部分だった。
言いすぎかもしれないが、この小説を深いところで感じることができるのはゲームを愛している(愛した)人だろうと思ってて、だからそこにもっと届いてほしいという気持ちもある。
以上のことは、自分がそこに微妙に働きかけられる立場にあるのに実際のところは力が足りず全く如何ともできなかった、という悔恨の念も込みで書いているのだが……。


と今年の小説についてはこれくらいで。
今も結構積んでいるものがあって、来年の本はまずそれらを消化してから。
あと、先日、自分の三冊目の本の原稿を編集に提出した。
首尾よくいけば来年の早いうちに出るのではないかと。
そちらもよろしくお願いいたします。
ちょっと自分でも過去にない類の手ごたえがあり、今までの本の中では自信をもって最高傑作と言えるものになるかと。完成が楽しみ。




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