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『当事者研究 等身大の〈わたし〉の発見と回復』を読んだ《よりよく生きるための読書》*全文無料

当事者研究っていいなあと前から思っていて、自分でもできないかなと思ったので、この本を読んでみました。

『当事者研究 等身大の〈わたし〉の発見と回復』熊谷晋一郎 著

が、この本は上級者向けでした!
福祉の知識の下地がある程度ある私でも、後半は難しすぎて断念。
まずは、もっと簡単な本から入っていった方がよさそうです。
でも前半に結構参考になる大事なことが書いてあったので、メモとしてまとめます。

・精神疾患以外にも対象が広がってきている

依存症、発達障害、慢性疼痛、双極性障害、レヴィ小体病、吃音、聴覚障害、子ども、女性、大学生、生きづらさを感じているあらゆる人々の間で当事者研究が取り組まれている、のだそうです。私は線維筋痛症という、慢性疼痛・慢性疲労の患者なので、そういう主観的な症状・生きづらさがある人に、当事者研究は相性が良いのではと感じました。
専門家から共有不可能な「ただ取り除くべき無意味な症状」として見られていたものを、当事者研究では自分にとってどんな意味があるのか深めながら周囲と共有してゆく。

・当事者運動の側面がある、オープンに語ることで周囲の人や環境が変わってゆく

この本の前半では、当事者運動と依存症自助グループが合わさって、当事者研究が生まれたということが書かれている。自分たちのニーズを発信して外に働きかけてゆく当事者運動。心理的安全性を保障された当事者のみで構成されたグループ(福祉の用語でクローズとも言う)で、内に自分の内面を探って向き合う、依存症自助グループ。当事者研究はそのふたつの側面を併せ持つ。私は、当事者研究は内に内に自分を研究するイメージがあったので、外に向かって訴えてゆく当事者運動的な側面は見落としていた。

・自分のニーズをそもそもはじめから明確にわかっているわけではない

精神障害のような見えにくい障害、不安定な障害、共有されにくい障害、は当事者自身の内面でもニーズとして形になりづらい。これも、当事者研究はひとりではできない理由のひとつだ。「誰かとその存在を共有されない情報は、無いことに等しい」という発達障害当事者の綾屋さんの言葉には重みがある。共有されない困難は、自分の思い込みや甘えなのではないか?と言葉を飲み込んでしまう。
障害の不安定さ、という視点もとても個人的にとても重要だと思った。私自身、体調・症状に波があり、ある時期ある状況ではできていたことが突然できなかったりして、周囲も自分自身も理解できず扱いに困っている。なんで、できないorやらないの?怠けているのか?と周囲も自分でも苛立ってしまう。
まずは、同じような体験をしている仲間と体験を共有しながら、それをじっくり言葉にしてゆくこと。ニーズを作り上げてゆくことも、当事者研究に含まれている。

・福祉サービスが行き渡ったことによる弊害もある

当事者運動によって、当事者が団結して自分たちのニーズを発信して支援のサービス化を勝ち取ることができた。しかし現在、福祉サービスに囲い込まれ孤立し、受動的な消費者となって管理されている当事者の状況がある。
これは、実際に福祉の現場にいて感じていたことと重なる。利用者の方たちは、社会における自分の立ち位置に特に疑問や不満を持たず、何か主体的にやりたいことがあるわけでもなく、受動的に福祉サービスを消費していた。何かしてもらえるなら、それは享受します、でも〇〇がしたいというと自分にも労力や責任が降りかかるので、不満は言いません。そんな佇まいのひとが多かった。なんだかそこに福祉の限界があるように感じていた。。。

おわりに

この本はちょっと難しすぎて半分も読めなかったけれど、得るものは多かったです。
特に、当事者研究はひとりではできないということが分かって、なるほどと思いつつちょっと残念に感じました。
それでもまず自分でできることないか、今度は当事者研究の入門的な本を探して考えてみたいです。

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