見出し画像

親友の死と嫌いな言葉たち

お久しぶりです。noteの更新が途切れていました。もともと気まぐれに続けていこうと思っていましたが、鬱治療記としてはいいものだと思うので誰かの役に立てばいいなという感じでたまーに書いていきます。

——————
題名にある通り、九月に自分の親友が亡くなりました。持病が悪化し、二年ほどの闘病生活からの自宅療養を経て亡くなりました。僕は24歳で、友達も同い年だったので早すぎる死でした。中学生からの友達だったそいつとはコロナ禍でもよく通話しながらゲームをしたり、大学生の間は旅行に行ったり焼肉行ったり酒飲んだりタバコ吸ったり色んな思い出があります。葬式の時、もちろんとても悲しい気持ちがありましたが、何か映画を観ているような、信じられないような気持ちでその時は受け入れられられなくて涙は出ませんでした。

僕がその時の葬式で一番覚えているのは、人が人生で一番悲しんでいる瞬間を見たことです。自分の子供を先に亡くしてしまった。自分の手を尽くしたけど救えなかった。絶対に守ると約束したのに生かすことができなかった。そう言う気持ちや色んな気持ちが溢れて、大の大人の男と女の人が、人が大勢いるのに本気で、恥じることなく涙を流して亡くなった子供に呼びかけて取り乱しているところを見ました。このときに、そうか、こいつは本当に死んだのか、俺は生きていかないといけない。恥ずかしい生き方をしたく無い。と心の底から思いました。

こんな言葉があります
親より先には死ぬな 命は大切にしないといけない 自殺はしてはいけない 今生きているこの瞬間は誰かが死ぬほど生きたかった明日
僕はこの言葉たちが本当に嫌いでした。鬱になってからは特に、綺麗事ばかり言ってんじゃねーよ。死ぬほど生きたかったとか知らねーよ 誰の話だよ。親より先に死ぬなって何だよ勝手に産んだんだろ意味わかんねーよ。って思ってました。
でも、死ぬほど生きたかったのは親友の話になりました。僕がこれからどうでもいいと思って寝て潰す一日も、ゲームとオナニーだけする日も、Twitterだけする日も、もしかしたら存在するかもしれない、彼女とクリスパーティーしてセックスする日も、結婚する日も、何もかもうまくいかない日も、全部死んだ親友が喉から手が出るほど、文字通り死ぬほど生きたかった明日になってしまいました。

僕は彼に恥じないように生きることができるのかわからないけど、鬱でほぼ引きこもりの状態から這い上がって、本当に少しずつ頑張って生きていっています。前の自分と比べたら本当にびっくりするくらいの回復で、まだコミュニケーションだったり女性関係は下手で難しいけれど、徐々に徐々に社会復帰していければなぁと思っているところです。なんとか内定も取って、卒業もできました。バイトも慣れないししんどいことはあるけれど2ヶ月は続いています。車も乗れるようになったし、ご飯も美味しく食べられます。色んな人に感謝の気持ちでいっぱいです。何もかもうまくいかないときにゲームばかりして逃げて、逃げ続けて耐えていた自分のところにこんな幸せが来て、真っ当に努力をして頑張り屋だった親友が死んでしまうなんて、人生は本当に意味がわからないです。




俺頑張るから、辛いことがたくさんある世界でも、何とか死なないように騙し騙しで。。。だから見守っておいてくれよー。お願いだよ。

いいなと思ったら応援しよう!