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パリピならぬパルプ

昨日、名作と言われているパルプフィクションを見た
タランティーノ監督といえばキルビルとか
T.M.Revolutionのホワイトブレスで出てくる人なイメージだった
(昨日からなぜか脳内にはホワイトブレスが流れている)

私はみたあとに????となって
いったん知恵袋を検索した
知恵袋は秀逸な答えが言語化されているので
本当に大好きな場所だ

まず言えることはこの映画はくだらないどうでもいい話(パルプフィクション=薄っぺらい作り話)で構成されているということ。この映画は、普通の映画にあるようなアハ体験なんてものを求めてはいけません。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11183889491

というような懇切丁寧な説明がされていて
なるほど・・と唸ってみたあとに星1.0の評価を下した

「みたあとに何も残らないのを体験するのか、サウナ的な?」
と思って「なんだかくだらない」と一度は切り捨ててしまった

そして一夜あけて改めて振り返ってみた
ジャケになっている女の人は序盤にほんのちょっとしか出ない

主人公らしき人が見当たらないのだ
逆に全員主人公っぽい感じのシーンが用意されているともいえる

つまり超メタ的な神視点の映画なのだ
ドッキリのバラエティ番組に山ちゃんみたいな天の声が入りそうな
なんだかそんな映像だったのだ

私は富山県に住んでいて、よく立山連峰を眺める
山は優雅すぎてまるで合成写真のようにみえて
実在してるのかしてないのかよくわからない

しかし、一度山の山頂まで行ったときに確かに存在していて
どっしりと山々が連なっていた
そして麓には人間がこちょこちょ観光している

「山からみたら人間ってなんてこちょこちょしてるんだろう」
と感じてしまったのだ

つまり、もし神様がいて人間の思ってる映画のような生活を
超メタ視点でみたらこんな感じなのかなと体験できる
のだ

不倫してみたり、ドラッグすってみたり、ギャングに追われてみたり
犯罪者をタクシーに乗せてみたりといろんな場面が乱雑に存在する

「まって、これ私の人生じゃないの」ときっと見た人は気づくのだ
いったん切り捨てることすら計算されているように感じて恐怖する

生れてから今までの人生を振り返ってみると
少なからず悪い事もしていい事もして悪夢をみたり甘い時間を過ごしたり
誰かのものじゃない自分の人生をどう思う?と言われているように感じる

映画の主人公じゃない自分の評価を1.0にしてしまったのだ
それはつまり、自分の人生を1.0と評価しているのと同じ
「いいのか?それで」会ったこともないタランティーノが脳内で囁く

わたしはそっとレビューサイトを開いて星を5.0につけなおした


最後までお読みいただきありがとうございます、今日もいいことありますよ!