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ポジティブ思考することで【自己嫌悪】を止める、ストロークという考え方。

ポジティブな思考も、ネガティブな思考も
自分という存在を感じたい〉という一点に尽きる。

しかし、人によって、または時と場合によって
自分への評価が変わるのはなぜか。
ヒントとなるような考え方をまとめてみた。

人が人の存在を認める刺激の一単位
〈ストローク〉

人が人の存在を認める刺激の一単位で
ストローク〉という物質があるという。

幼児に十分なストロークが与えられないと、その子の脊髄は萎縮してしまい、肉体的にも、情緒的、精神的にも成長が遅れてしまう。

より良い人間関係の基本は「ストローク」にあり

ストロークをもらう条件は〈ポジティブ・ネガティブ
そして、〈肉体的・精神的〉に分けられるという。

例えば、はじめに体験したものが虐待やいじめのような
〈肉体的ネガティブ〉〈精神的ネガティブ〉であった場合には
そのような観点からこの世界を観察して人間関係や自分とのを築く。

ストロークは貯金ができるらしい

脳はグーグル検索のように同じものを集める機能があるので
例えばトラウマを体験してしまうと
脳内グーグル検索で似たようなものを集めてしまう。
そして、集めた中からネガティブを貯金していくことになる。

幸福を探し、ポジティブなストロークを貯めている人と
不幸を探し、ネガティブなストロークを貯めている人で
この世界は分断されている。

なぜネガティブがなくならないのか?という理由は
後者も〈自分を認める〉という形で役割を果たしているからだ。
それゆえにネガティブ思考というものは止めにくい。
この世界から戦争がなくならないのと同じである。

何度も何度もしあわせな体験をして、ネガティブ貯金が
ポジティブ貯金を超えたとき
人ははじめてポジティブストロークを集めだす。

ポジティブ思考のきっかけになるヒント

私の人生の最大なネガポジ変換は〈音楽〉との出会いだと思う。
それから〈お笑い〉〈映画〉〈ゲーム〉。とにかくたくさんだ。
作品だけでなくて色んな人物との出会いもそうだと思う。
人は必ずポジティブストロークをどこかのタイミングで始める。
ネガティブストロークをはじめてしまったとしても構わない。

私の考えだけれど、ネガティブストロークをしていても
それで自分の存在が認められているうちはいいと思う。
でも、自分の存在そのものを否定してしまうほどのネガティブは
自分を〈死〉に追いやる可能性がある。
でも、死にたいという気持ちでもしも自分の存在を認めれれるなら
それすらも本願を果たしているのだろうと思う。
(周りの人には迷惑かかっちゃうけど)

それは、〈〉といったり〈カルマ〉と言われるものだろうと思う。
自分の魂がやり残したネガティブをポジティブにするために
人は生まれてきたのだろうと感じるときがある。

親はカルマをもらう存在

〈親のカルマ〉をネガポジするために生れてきていると思う。
だから、親とは合わなくて当然だ。
親が〈ネガティブ〉だと思っていることを
ポジティブに変換する能力がまず問われる。

まずは、親の元に入って親のトラウマを体験する。
そして反抗期になってそのトラウマを克服する。そういう具合に。
男性は父親、女性は母親のトラウマを解消しているように思う。

私の場合、母親はおとなしくて人の顔色を伺うのが癖だと
自分でいつも言っている。そして、それが嫌なところだと。
しかし、私は顔色を伺うのが得意なおかげで接客業が得意だ。
クレーム受けたことはほとんど記憶にない。
母が娘に文句を言ってしまうのは、
自分の嫌いな部分を見ているからに過ぎない。
娘は堂々とそれを好きな部分だと言ってしまえばいいと思う。

さぁ、大胆な提案をしてみたところで今回は終わろうと思う。
最後にギャルいネイルをみて気分転換してください。

困ったときは鬼ギャルになろうと思った

最後までお読みいただきありがとうございます、今日もいいことありますよ!