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私は今年の目標が立てられない

これまで幾度となく新年には「今年の目標」を掲げてきた私。だが、一度も目標を達成したことがない、というか年の末には覚えてすらいない。今年も目標を立てたところで放棄するんだろうなぁ、どうしようかなぁ、なんて考えていた。そこで改めて、なぜ目標を達成できないのか考えてみた。

将来の自分への当事者意識

子供の頃から引っ越しが多く、自分が生活する環境も将来の進路も親の都合で決まっていた。自分が一年後どこにいるかわからないという生活をしてきたから、将来の計画を立てる、ましてや自分自身で選択をするという習慣がなかったのかもしれない。

これまで自分の意思とは異なるところで自分の人生の選択がなされてきた。そして実際は親が私の人生において最良の選択をして環境を整えてきてくれただけなのだろうが、「これまで流れに身を任せたら良い機会に恵まれた!ラッキー!」と考えているのだろう。だから今も流れを信用しすぎていて、今後の自分の人生についても流れに身を任せる気でいるのかもしれない。これが、私は自分の将来に責任感や当事者意識がない理由だと思う。

変容する幸せの定義

私は適応能力が高い方だと思う。環境によって自分自身の思考や行動が変わってしまうから、軸が無いと批判されてしまうかもしれないけど、自分はそんな変容しやすい自分も好きだったりする。そんな私は、自分がたやすく変容していくのを知っているから、今の自分が将来の自分の幸せを定義しても意味がないなと思う。自分自身も、自分の幸せの定義も変わっていくから、今の私が将来の私を幸せにするために目標を立て、努力するということができないのかもしれない。

目標を立てる理由

将来の目標を立てる理由とは、理想の人生を送るためのゴールとその過程を明確にすることにある。しかし、私の場合は、将来の自分への当事者意識が薄いから「将来こうなりたい!」がない。その上、そんなビジョンがあったとしても、将来きっと変容するものだから、日々意識しても意味がないのではと思う。

目標の立て方を変えなければならない

そんな私にはきっと「将来の目標」ではなくて「現在を楽しく生きるための五箇条」みたいなのが合っているのかもしれない。「今日一日を気持ちよく過ごすためにこれをしよう!」だったらできるはず!

ということで「嫌な一日」から逆算して考えたりして「楽しい一日」を書き出してみた。

私の「楽しい一日」

- 考え事に夢中になる日
- 適度に疲れる日
- 体調が良い日
- 時間がたっぷりある日(朝早くて、携帯で時間を潰さないで、時間に余裕を持っている日)
- おしゃれな日
- 好き同士の人と意味のある会話をする日
- その日の行動に意味を見出せる日(意味のある出費や消費をする日)
- 一人でゆっくりその日の振り返りができる日

今日を楽しく生きるための八箇条

というわけで!もう無理に今年の目標なんて立てたりしない。私は今を生きる人なんだ!なんて割り切ってみたりして、少しの間はこの八箇条を意識して日々を過ごしてみようかな。そんなこと言いながらも、将来に不安を抱く日はあるから、少しは将来向けの目標も立てるとするか、、、もうちょっとしたらね。

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