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「人目を気にする」と「人に配慮できる」の違い

私は、昔っからものすごく人の目を気にするタイプです。

嫌われたくないし、馬鹿にされたくないし、とにかくどう思われてるかが怖くなる。

それを人に相談すると、「人目を気にするのは、それだけ周りへ気遣いや配慮ができるってことだよ」と言われることがありますが、

私は、必ずしも「人目を気にする」=「人に配慮できる」では無いと思っています。

今回は、24年間人目を気にしながら生きてきた私が、その違いについて、3つの視点から考えてみました。


1.自分本位か他人本位か

人目を気にすることに隠れている感情は、以下のようなもの。

嫌われたくない
馬鹿なやつだと思われたくない
認められたい

これは全部、“自分”が嫌なこと。

矢印の向きは、常に自分です。

一方で、人への配慮は、

嫌な思いをしてほしくない
気持ちよく過ごしてほしい
認めてあげたい

これは全部、“相手”がどうなってほしいか。

矢印は外側に向いています。


2.行動を「諦める」か、行動を「する」か

もうひとつは、行動の違いです。

人の目を気にしていると、

こう思われるのが怖いから、やめとこう
否定されたら嫌だから、言わないでおこう

と、本当はしたいことがあるのに、「諦める」という選択を選ぶことが増えます。

一方で、周りへの配慮の場合、

困っている人を助けたいからこれをしよう
気持ちよく話してほしいからこう言おう

と、相手のために、自分ができる行動を「する」ことを選んでいます。

もちろん、

これをしたら不快感を感じる人がいるかもしれないからやめておこう

という「しない」という選択もあると思います。

ただ、この場合の「しない」は、相手のために「しない」という選択を「する」ということ。(哲学かな)

「怖いから諦める」こととは、似ているようで全然違います。


3.他人の心の中は分からない

そしてもうひとつ。

他人がどう思っているかは自分には分からないこと。

周りの人が自分のことをどう思っているかは、自分でいくら考えても答えはその人に聞かないと分かりません。

いや、聞いても本当の答えが返ってくるとも限りません。

考えても考えても答えが出ないことを気にしすぎることは、取り越し苦労なことが多いです。

一方で周りに配慮しよう、と思ったときは、考えの主軸は自分です。

自分の思いに従って、行動に移す。

もちろん人への配慮をするには、相手の気持ちを想像する必要があるし、そこが一番難しいところかもしれませんが、あくまでも考えて行動するのは自分なんです。

分からないことにあれこれと気を巡らせてビクビクするより、自分の思いや考えに従って行動に移す方が実はシンプルなんじゃないかなと最近は感じるようになりました。


以上、私が考えた「人目を気にする」と「人への配慮ができる」の違いでした。

とはいえ、人目をまったく気にしないなんか無理だから、どうせならそのエネルギーの矢印を外側に向けて、「自分がどう思われるか」ではなく、「周りにどうしたいか」を考えられる人間になれるように、常に意識していたいなあと思います。

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