思い出の箱庭(短編小説)

「なあ、お前、こんなの興味ないか?」

そう言って友人が俺に差し出したのは、両手のひらに乗るくらいの大きさの木箱だった。

「はあ、なんだこれ。興味も何も、ただの箱に何も思わねえよ。」

「ばっかお前。ただの箱なんか、わざわざ呼び出して渡すかよ。これはな、ちょっと特別なものなんだ。そう簡単にお目にかかれない。」

随分と不自然な喋り方だな。こいつ、昔からだが本当に状況に呑まれやすいな。と呆れていると、友人は嬉嬉として蓋を開けた。するとそこには、賑やかな休み時間の教室が小さく押し込まれていた。

「うわ。なんだよこれ…。箱庭ってやつか…?随分精巧だな…。」

「そう!!箱庭!!すげえだろ…!!だがこれはただの箱庭じゃあない。思い出の箱庭なんだ。」

「は?訳が分からん。要領を得ない喋り方をするなよ。もっと端的に話せ。イライラしてくる。」

「相変わらず短気だな。わかったよ。これは思い出の箱庭。思い出を箱庭に閉じ込めて永遠に取っておけるんだよ。」

「おい、ふざけるのもいい加減にしろよ。要領を得ないって言ってんだ。」

「ふざけてなんかない。話は最後まで聞けよ。これ、よく見てみろよ。ここ、教室の中。俺がいるだろ?他にも、周りにいるヤツら、お前も皆知ってるはずだ。ここ、教室の隅にいるの。お前だよ。」

よく見てみると本当にそうだった。これは俺だ。箱庭の中を見渡すと、箱の中にいる人間には、1人残らず見覚えがあった。教室にも見覚えがある。ヒビが入った時計。新しく買い換えたばかりの配膳台。回らない掃除当番表。俺とこいつが、高校生だった頃、あの頃と全く同じ光景だ。

「これ作ったのか?あまりにもあの時のまま、そのままだ。どうしてここまで詳細に思い出せた?」

気味悪く思って聞いた。すると友人は、

「違う。作ったんじゃない。出来たんだ。この箱にな、思い出のものをひとつでいいから詰めるんだ。それで、お前が絶対に忘れたくない思い出をなるべく詳細に思い出しながら箱を閉じる。一日そのまま待つんだ。次の日に開ける。そうすると、お前が忘れたくない思い出が、この箱の中に、一番正しい形で現されるんだ。美化も風化もしない、完璧な思い出だよ。」

「完璧な思い出?」

「そう、お前が見た光景が、そのまま、全て事実に則ったまま残る。大事な思い出が、不変の形で残るんだ。」

「不変の、形…。」

「そ、お前そういうの好きだろ?」

「いや、別に好きではないが…。」

「あれ?そうだっけ?いや、そうか。あーまじか。ごめん。高校の頃好きだって言ってたと思ったんだけどなあ。ちょっと記憶が曖昧なんだ。まあ、だからこそ、こうして残しておきたいんだけどさ。好きじゃないのに長々話して悪かったな…。で、どうする…?良かったらこれ、余ってる分お前にやろうと思ってたんだ。誰にでも渡せるようなもんじゃないし。」

「まあそうだろうな。相手に不信感を持たれないってのは無理な話だ。」

俺は少し悩んで決めた。

「それ、貰うよ。」

「まじ!?やった!!じゃ、これな!!」

そう言って友人はテーブルの上にどさっと大きな袋を置いた。

「は?ひとつじゃないのかよ!」

「いやあ、大体15個くらいある。俺もこれ先輩から貰ったんだが、何やら3つまでしか中身を詰めちゃいけないらしいんだよ。この箱。3つ作ったら、余った分は誰かに渡してくれって。こんなの誰にでも渡せるわけじゃないし…。困ってたんだ…。そんでまあ、お前に…。」

「人にされて嫌だったことを俺にするってのか。」

「ごめん!でももう置き場所なくってさ!頼む!!」

「はあ、わかったよ。」

「それから、もう1回言っておくが、これは3つまでしか作っちゃいけないからな!!説明書一応袋に入れてあるから、まあ読まなくても今ほとんど説明したし、大丈夫だと思うけどな。俺も読んでない!とにかく、作る数を守ってればそれでいいから。じゃ、渡すもん渡したし、帰るぞ。」

「ああ。」

不信感がなかった訳では無い。

ただ、綺麗だった。友人が俺に見せた箱庭は、ものすごく綺麗だった。

家に持って帰ってきてから、しばらく箱の入った袋とにらめっこをする。

何を詰めようかと逡巡する。

「ふう…。思い出かあ…。取っておきたい思い出ねえ…。」

いざ考え出すとすぐには見つからなかった。

アルバムを探す。

1番最初のページから順番にめくっていくと、犬と顔をくっつけて笑う自分の写真がでてきた。

「ああ、ペロ…。そっか、ペロとの思い出も箱庭に出来るのか!!」

俺が幼い頃家で飼っていた飼い犬のペロ。死んでしまったのは随分前のことだ。俺はペロとの散歩が大好きだった。もう一度、あの風景が見られるなら…。

俺は、ペロがしていた首輪をまだ持っていた。

「箱に詰めてみるか…。」

ペロの首輪は少し大きい。彼は柴犬だ。箱に詰めるためになるべく小さく折り曲げた。

ぎゅうぎゅうになってしまったが、何とか入った。蓋を閉じる時にはなるべく詳細に思い出を…。夕焼け空。雲が少し浮かんでいて、とんぼが飛んでる。電柱があって、猫じゃらしが生い茂ってる。それから。ペロの顔。きょろきょろと周りを見渡して、俺の事なんかお構い無しに気になるものに鼻を近づけて、楽しそうで。遠く伸びるペロと俺の影…。

そっと箱を閉じた。

「はあ…。胡散臭いな。なんだこれ。」

箱を閉じてひと呼吸置いた後、少しずつ冷静になってきたので、その日はもう眠ることにした。しかし次の日から、俺は箱に魅了されることになる。

翌日目覚めて少しして、木箱を大量に貰い受けたことを思い出した。食事、歯磨き、着替え、全て済ましてから、木箱を手にした。

箱を開けた。

驚いた。

「こんなに綺麗だったのか…。あの風景って。」

自分の思っていたよりも遥かに、美しくて詳細だった。

事実に則った形で、1番正しい形で現れると言っていた。こういうことなのか…。

自分の思い出が、こんなにも綺麗な形で、しかも風化もしない。すごい。

ここから俺は箱庭にのめり込んで行った。

ずっと前に別れて忘れられない彼女に貰ったネックレスを箱に入れた。

ネックレスを貰った時のあの風景を箱に閉じ込めた。

幼い頃家族で見た花火。世界で一番綺麗だと思ったあの頃の景色を、もう一度見たい。家族の写真を箱に閉じ込めた。

三つなんてあっという間だった。

「三つ。あいつが言ってた三つまで作った。これ以上はダメだって。 なんでダメなんだ。説明書…。いや、いやいい。読まなくていい。もう一つ。大丈夫だ。別に天地がひっくり返る訳じゃない。はずだ。まだ取っておきたいものがいっぱいある。」


俺は箱に思い出を詰め続けた。箱庭に思いを馳せ続けた。

思い通りにならない箱もでてきた。

俺が美化してすっかり綺麗になってしまった思い出は、事実に則った、一番正しい形で俺の目の前に現れた。こういう箱は見るとただただ自分が見にくく思えた。ただ、ここで気付いたのは、箱庭になった思い出は、自分の中で思い出すことが出来なくなるってことだった。完全に客観的なものになるから、多分自分の中からは消えるんだと思う。それでいいと思った。

十五個なんて、あっという間に中身が詰まった。

ほんとにあっという間だった。

そして俺は、最後の箱庭が完成した時に、自分が何者かを忘れた。

慌てて説明書を読んだ。そこには次のように書いてあった。

『箱庭にした思い出は、あなたの中から離れ、一つの物質に変化します。あなたの一部である思い出を身体から切り取ることと同義です。くれぐれも使用回数にはご注意下さい。あなたの思い出があなたを構成していることを、忘れないで下さい。』