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蒼猫のファンタジア~本編~

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1|瞳のない人形が見つめる世界

放射冷却が街を包む。
朝日が澄み切った空気を照らす。
鴉の烏合が悪魔の遣いのように人間を挑発する。

ゴミステーションに捨てられる人形。
とある老人が切なく置き、何度も振り返る光景。
整っているが瞳がない不気味な姿。

喰いちぎられたのか、
引きちぎられたのか。
壮絶な闘いの痕跡が残る。

溢れかえるゴミの山。
埋もれる人形。
気味が悪いと警戒する人間たち。

このまま焼却されてしまうのか。
眼のない人形が暗闇の中、
必死で助けを求める。

漆黒の闇。
何かに見られる気配がする。
唸り声が聞こえる。

このまま喰いちぎられて、
手足も胴体も首も、
バラバラになって余生を終えてしまうのか。

人形には魂が宿る。
口をきけないが、
手足も動かないが、
確かにそこに意識はある。

無残な死に方はしたくない。
出来ることなら火葬で灰になりたい。

咥えられた人形は、狭い部屋に運ばれる。
体の震えが止まらない。
拷問が過る。

恐怖に怯えながら、
瞳のない魂に悲観しながら、
しばらく眠ってしまったようだ。

こんな感じでどうだろう。
人間の声が聞こえる。
どんな凶器を持っているのだろう、
どんな拷問をされるのだろう。

光を感じる。
眼のない魂に光が宿る。
恐るおそる眼を開けてみる。

笑顔で眺める夫婦。
目つきの悪いドーベルマン。
どうやらわたしは助かったようだ。

人形の仕立て屋。
どうやら、目つきの悪いドーベルマンに救われたようだ。
ドーベルマンに視線をおくる。
うつ伏せで視線を流し入れ、そのまま眠りに入る。

ボロボロだった衣服は新調され、ボサボサだった髪はツヤツヤになっている。
たかが人形に、こんなにも親切にしてくれる夫婦に恩返しがしたい。

神さま、どうかこの夫婦に天の思し召しを。

しばらくして、ドーベルマンが亡くなった。
老衰らしい。
祭壇に花を添える夫婦。
眠っている顔も人相が悪い。
どうか神さま、この老犬に冥福を。

曇天の僅かな隙間から一筋の光が差す。

あなたはこの老犬に救われた身。
この老犬の分まで生きるのがあなたの使命。
人間のからだを得て、夫婦の力になりなさい。

天からのお告げが聞こえる。

夫婦に一人の女の子が生まれる。
子どものいない夫婦は感極まる。
大切な一人娘に衣類を拵え、遊び道具を与えた。

言葉が話せるようになっても、
とある人形への関心はおさまらない。
いつも肌身離さず持ち歩いている。

この人形の眼ってきれいだよね。
まるで魂が宿っているみたい。
どこか懐かしい気持ちになるのは何でだろう。

ドーベルマンのお墓の前で手を合わせている子どもの姿に、夫婦は不思議な縁を感じるのだった。


2|平和を願うテロリスト

桜舞う躍動の季節。
草木は生い茂り、水の流れが耳を刺激する。
太陽の陽が大地を照らす。

俺には家族がいる。
愛する妻と子どもたち。
豊かな生活とはいえないが、小さな幸せを抱きしめる日々を過ごしていた。
美人の妻と無邪気な子どもたちに囲まれて暮らすのが夢だった。

そう、あの日がくるまでは。

食料を調達するために出稼ぎに出た俺は、
隣町の知り合いの家に宿を借りることにした。
昔ばなしが弾み、時間が過ぎるのを忘れ、深夜まで話し込んでしまった。

翌朝、食材の買い出しをして、足早に帰路に就くことにした。
村に着いたのは、日が沈みかけていた時刻。
村全体に静けさが訪れる。

何かあったのか…?

嫌な予感が過る中、自宅へと向かう。
目を疑うような光景。
家じゅうが血の海。
子どもたちの遺体が無惨に転がる。
妻がいない。

遺体を抱きかかえ、大声を上げて泣き叫ぶ。
状況を把握できない俺は、
暗闇の中、生存者を探す。

月明かりの夜。
朦朧とする意識の中、人陰を見つける。
この村で何があった。
涙を拭いながら、枯れ果てた声で質問をする。

政府役人が、この村を自分たちの権益にするために住人を排除しにきた。
労働力になりそうな男は鉱山へ、若い女は海外へ売り飛ばすそうだ。
老人や子どもはみんな殺されてしまった。

儂はタンスの二重底に隠れていたので、
たまたま助かった。
泣き叫ぶ悲鳴、助けを呼ぶ惨劇。
それはこの世とは思えない、非道な時間だった。

子どもたちの亡骸を自宅の庭に埋葬すると、妻を探すべく準備を整える。
首都へと歩み続けていると、同じ境遇の若者たちと知り合うことになる。
妻を奪われ、子ども達は亡骸に。

政府に復讐すべく、決死隊を組む。
大切な人を取り戻すため、
子どもたちの尊厳を守るため。
歩みを止めるわけにはいかない。

これ以上、政府の言いなりになる訳にはいかない。
これ以上、辛い思いをする人を作ってはいけない。
これ以上、平和を乱すものを野放しにするわけにはいかない。

政府官邸にロケットランチャーを打ち放つ。
おんな子供の返還を要求する。
白を切る政府。

翌朝―――

政府官邸がテロリストによって襲撃されたと報道される。
世間はテロリストを批判し、手を引くように声を荒げる。

俺たちは平和を願っている。
小さな家でいい。
可愛い妻と子どもたちに囲まれる生活。
川の字で床を並べるだけでいい。

一緒に料理をして、
一緒に魚釣りをして、
森で木の実を採集して。
ただそれだけの事を望んでいる。

小さな幸せを願うことは、そんなも罪なことなのか。
神さま、どうか妻だけでもわたしの元に返してください。
そして、罪なき子どもたちに冥福を与えて下さい。

声なき声は小さな木霊となって森の住人となる。


3|エルメスの靴を履いた猫

ジニ係数。
所得差を表す指標だ。
0が完全に平等、1が完全に不平等。
日本の係数は0.339。

南アフリカのジニ係数は0.696。
完全なる分断。
超富裕層と超貧困層が隣り合わせで生活する過酷な空間だ。

BBQを楽しむ家族。
ゴミの山からプラスチックを探す幼子。
人工の段壁を隔て、笑い声と泣き叫ぶ声が同時に聞こえる、まさに地獄絵図がここにある。

とある一匹の猫が壁をよじ登り、スラムへと舞い降りる。
人々は路上に横たわり、金目のものがないか目利きをしている。
鉄くず、プラスチック、ゴム製品。

焚き火をしている方へと歩みを寄せる。
汚らしい野良猫。
病原菌を持っていても不思議ではない。

喉が焼かれて声が出ない猫は、中年の男性に身を寄せる。
頭をなで、わずかな食料を分け与えてくれた。
中年男性の腹部が悲鳴を上げる音が聞こえる。
野良猫は察したのか、食を後にしその場を去った。

小さな女の子へと身を寄せる。
笑顔で頭をなで、トウモロコシの欠片をくれる。
右目は潰れ、尾が切断された醜い姿なのに。

壁をよじ登ったのには理由がある。
富裕層からの虐待。
見た目がきれいじゃない。
鳴き声がおかしい。
ただそれだけで、ナイフで切り付けられ、尻尾を奪われた。
必死にその場から逃げ出し、気がつけばスラムにいたのだ。

誰も汚らわしい野良猫を助けるものなどいない。
はやくこんな余生を終わらせたいと思っていた。

だが、スラムに来て人の優しさに触れることができた。
見た目や泣き後を気にせず、大切に扱ってくれる。
天国のようだ。

ただ人々の生活は苦しい。
ならば、壁を隔てて高価な品を運べばいい。
いつしか野良猫は、そこに生きる意味を見い出していた。

富裕層の家に忍び込んでは、高価な品々の盗みをはたらいた。
口にくわえたロレックスの時計を、食事を分け与えてくれた中年男性の元へ運ぶ。
中年男性は野良猫を抱きかかえ、今にも吹き飛ばされそうなトタン屋根の小屋へ案内する。

翌朝。
昨日と同じように、富裕層の豪邸に忍び込み盗みをはたらこうとすると、腹のあたりに激痛が走る。
ボーガンだ。
罠にかかってしまったようだ。

流れ出る温もり。
冷えるからだ。
貫通する異物。
もう助からない。
天から神が出迎えているのが分かる。

小汚い野良猫め。
あってもなくてもいい命。
俺が浄化してやった。
富裕層が叫ぶ。

美しい心を持つ猫。
尊い命。
どうして奪われなければならないのか。
スラムの人々は嘆く。

野良猫が幸せだったのは、どちらの世界だったのか。
その真相は闇に葬られたままだ。


4|一択のダイス

紅葉が舞い散る秋分。
冬の装いが、とある男の命の灯を消そうとしている。
末期癌。
思ったより転移がはやく、医師から死の宣告を受ける。

自分の人生をふと回想し、感謝と後悔が同時に押し寄せる。
俺の二十五年の人生は一体何だったのか。
結婚することなく、子どもにも恵まれず、親に心配ばかりかけて。
挙句の果てに、親より早くこの世を去らねばならない。
こんな俺を両親は役立たずだと思っているに違いない。

無精ひげを手で擦りながら、窓際の紅葉が散るのをじっと眺める。
俺には友達と言える存在がいない。
だから、死の宣告を受けても誰も訪れる者はいない。
両親が仕方なしに着替えを持ってくるのが関の山だ。

どうしてもっと積極的に女の子と話しておかなかったんだろう。
どうしてもっと一生懸命に勉強しておかなかったんだろう。
どうしてもっと健康に気遣わなかったんだろう。
病室のベットの上で一人涙する日々が続く。

最近嫌いになったものがある。
それは鏡だ。
日に日に痩せこけていく姿、抗癌剤による脱毛。
弱りゆく身体を見たい人間なんていないだろう。
人に会うのも嫌だ。
どうせ弱り行く俺の姿を見て、哀れだと嘲笑っているに違いないのだから。

死に行く俺が、君たちに一つアドバイスしておいてやろう。
人生は選択の連続。
毎日たくさんの岐路に立たされている事だと思う。
岐路に立たされると、どちらの道が正しいのか必死に考えてしまうが、実はそれ自体が間違いだ。

何でも挑戦する事が正しい道だ。
身動きが取れない姿になってしまってから気づくことだが、動けるって素晴らしい事だ。
沢山の失敗をして、いっぱい失恋して、当たって砕けろの精神で生きた方が後悔がないと思う。

病室のひとり言が、音もなく波にのまれる。

せめて最後に、好きだったりんごでも食べたいな。
母親に手紙を送ってみるが返事がない。
やっぱり俺は両親から見捨てられたか。
わがままばかり言って、迷惑かけてたもんな。
自業自得か。
ゆっくりと目を閉じ、この世を去る。

安らかに眠ってるな――。

間に合わなかったか。
医師に看取られた男に語りかける男性。
あなたの両親は、あなたのことを最後まで愛してたぞ。
ここに来る前に大きな事故に巻き込まれて、命を落としてしまったんだ。

覚えているか?
俺は幼いころに命を救ってもらった者だ。
近くのため池に足を滑らせて、溺れているところを助けてくれたよね。
ずっと探してたんだけど、まさかこんな形で出会うことになるとは。

あなたがいなければ、わたしは生きてはいません。
どうか安らかにお眠りください。
来世で出会えることを祈っています。

数十億年の月日が過ぎる――。

母親から元気な双子の赤ちゃんが産声を上げる。
自信がない兄、そんな兄を慕う弟。
どのような因果がそうさせたのかは、誰も知らない。


5|蔵の中に住む亡者

昭和59年11月3日。
この日はわたしが人生で初めて不思議な体験をした日だ。
5歳のとき、自動車工場のある新宅におつかいに出向いた。
祖母がみかんと手紙を運んでほしいと言うので、3分ほど田舎道を歩いた。

大人みんなで子どもの世話をするという村だったので、小さい子どもがあちこちで遊んでいる風景があった。
家のドアも開けっ放し。
みんな親戚のような雰囲気で、勝手に家にあがることも珍しくなかった。

自動車工場に着くと、祖母から預かったみかんと手紙を伯母さんに渡す。
一人でおつかいができたことを褒められると、お駄賃としておやつのカールをもらったのを覚えている。
新宅の縁側でカールを一人で食べていると、伯父さんが面白いものを見せてやるからついて来いという。
カールの粉がついた手を服でゴシゴシすると、伯父さんの後を小走りに追った。

目の前には大きな蔵が立ち塞がる。
悪いことをした子はここに閉じ込める。
そう言い放つと、わたしに蔵に入るように勧めるが、青ざめてしまったわたしは、足がすくんでしまい身動きがとれない。
蔵の中は真っ暗。
空気が抜ける音が、蔵に住み着いた亡霊の呻き声のように聞こえる。

この蔵の中に大切なものを置いていると伝えてくれないか。
そういうと、伯父さんは姿を消してしまった。

蔵の前にいるわたしを不思議そうに見つめる伯母さんが、暖かいココアをくれた。
寒いから温まってから帰りな。
小さな手に合うミトンとマフラーをかけてもらい、家に帰宅した。

祖母におつかいの報告をする。
おやつにカールとココアをもらったこと。
蔵の中に大切なものがあると伯父さんが言っていたこと。

祖母の表情が一変する。
伯父さんに会った?どんな人だった?
大きくて、色が白くて、ガッチリした体格の人だった。
わたしがそう答えると、祖母が新宅に電話をかける。

孫が義一に会ったと言っているんだ。
蔵の中に大切なものがあると言ってる。
もう一度蔵の中をよく探してみたらどうだ。

いいかい。よく聞くんだよ。
お前が見た伯父さんは、数日前に事故で亡くなったんだ。
そして、あの家の権利書をどこかに隠してたんだ。
一族総出で探したんだけど、結局見つからなかったんだ。

権利書…?
こたつに潜りながら、飼い猫とじゃれ合う。

後日、蔵の中から権利書が見つかった。
蔵の壁の一部を取り壊せるようになっていたらしい。

亡くなったはずの伯父が、わたしの前に現れて、権利書の行方を知らせたのだろう。
その理由は未だに分からないが、これが、わたしが体験する不思議な話の幕開けとなる。


6|神を信仰する神々

神は、時折下界に降りてきては民の様子を伺っているようだ。
そんな神だが、一度下界に降りると神の記憶は消され、完全に人間として営むことになる。
全知全能の神が地上に降り立った時の話。

アイデン。貧乏な農家に生を受けることになる。母は寛容な人物だが、父親は酒癖が悪い。
仕事に対する不満が大きく、酒を飲んでは何かと家族に八つ当たりをする。
殴られる僕を母親が必死に庇ってくれていたのを覚えている。
大柄の父親が小柄の母親に馬乗りになり、殴りつける様子は地獄のようだ。
それでも食事ができるのは父親が仕事を頑張ってくれているからだと、母親は僕を促す。

とある日、僕は父親に質問を投げかける。
父は母が嫌いなのですか?僕のことは嫌いでも構わないけど、母のことは好きであって欲しい。と。
父親は即時に応じる。
安心しろ、お前もサラもどちらも好きだ。

ではなぜ暴力を奮うのですか?さらに質問する。
それはだな、俺が未熟だからだ。
俺が自分自身を制御できないからだ。
もしも、俺がサラのことを殺してしまうようなことがあったら、容赦なくお前は俺を殺せ。
お前に殺されるなら本望だ。
そう言い残すと、背を向け煙草をふかし始めた。

まさかそれが現実となる日がやって来るとは、夢にも思わなかった。
僕が6歳の頃、泥酔した父親が母親を撲殺してしまった。
打ち所が悪かったのだろう、頭部から大量出血が致命傷になってしまった。
出血を必死におさえる父。痙攣する母。謝罪する父。
母はもはや助からないと本能が知らせる。

しばらくすると痙攣がなくなり、母は動かなくなった。
父はあのときの言葉を思い出したようだ。
抵抗することなく、果物用のナイフを僕に投げる。
父も母のもとに行きたがっているのが、犇々と伝わってくる。
ナイフを片手に父に語りつける。

父がいなくなったら、僕はどうなるのですか?
奴隷にでもなれというのですか?
妻殺しの父親の汚名を着せられたまま、この世界に置き去りにするつもりですか?それはあんまりです。
父親なら、せめて僕が稼げるようになるまで面倒を見て下さい。

俺を生かしておくと、次はお前を殺してしまうかもしれない。
それでもいいのか?

安心して下さい。そのときは、僕が父を殺しますから。

安堵の様子を見せた父は、母を庭に埋め、二度と惨劇を繰り返さない誓った。大柄の父が六歳の僕に跪き、頭を下げる。

僕は家計を助けるため、父と一緒に働きに出ることにした。
母親譲りの頭脳が見込まれ、僕は人を動かす任務を任された。
小さいのに言ってることは正しい事ばかりだ。周囲の大人は僕の言うことに耳を傾け、やがて人望が厚い人間になった。
父はそれを誇らしげに自慢していたようだ。

賃金は父に渡しておいてください。
賃金支給日に配給が行われると、僕は父に管理を任せることにした。
自分で働いた賃金だ。お前が自由に使えばいい。
父はそういうが、これはそういう問題ではない。

小さな子どもが大金を持ち歩いていると危険です。
それに、僕は父と一緒に仕事をしたいだけですから。
小さな子どもが、大柄の男よりはるかに大きく見える。
父親は子どもを抱きかかえると、街の食堂に向かった。

どうか苦しまずに天国に行けていますように。
神に祈りを捧げると、二人はパンをちぎり始めた。

7|蝶のバンダナ

冬の凍えるような公園で、ひとり佇む老婆。
腕の太さほどしかない太もも、真冬だというのに半袖に半ズボン。
いつも大量のイチジク浣腸を首から下げていることからついた異名。

骸骨浣腸ばばあ。

痩せこけた頬、真っ白な長髪を見ては、小学生が馬鹿にして石を投げる。
このクソガキ共が…。
口を開くと真っ赤に腫れ上がった歯茎が覗く。
弱々しい声は子どもたちに届くことはなく、折れたヒールを引きずるように歩く。
年齢に似合わない蝶のバンダナ、銀のネックレス。

およそ80年前――。

貴族の家系に生を受ける。
第二次世界大戦中だというのに、豪勢な食事、午後のティータイム。
庭のプールでのんびりとそのひと時を過ごす。
まるでわが国で起こっている戦争が他人事のように、優雅に読書をしたり絵画を鑑賞したり、奴隷遊びをしていた。

人をナイフで傷つけたらどんな反応をするんだろう。
奴隷を傷つけては、その様子を目に焼き付けるように眺めていた。

1945年9月2日。日本政府はポツダム宣言の降伏文書に調印した。
日本は戦争に敗戦したのだ。
敗戦国となった日本は、日清戦争以降に得た植民地を失い、占領地から兵士を撤退させられた。

沖縄、奄美諸島、小笠原諸島はアメリカの統治下に、北方領土はソ連が統治することになった。
国内は、空襲により焼け野原となり、物価が急上昇し、多くの失業者が出たのだ。
だが、財閥の御曹司であった彼女は、優雅な生活を営むのが当然の特権として疑わなかった。

彼女が好きなものは、美しいもの、美味しい食べ物、きれいな男性、そして、悲痛に歪む人間の嘆き。
嫌いなものは、醜いもの、まずい食べ物、自分より美しい女性、そして、自分の思い通りにならない人間。

昭和天皇が国民の元へ駆けつけ、励ます様子を見ては嘲笑う。
愚民どもめ。
7000万の国民は、天皇諸共わたしに跪けばいい。

彼女は貴族仲間とつるみ、とある計画を立てることになる。
国民拉致計画だ。

人生の贅沢を知り尽くした彼女は、退屈でならなかった。
もっと多くの、もっと大きな刺激が欲しい。
そう感じるようになったのだ。

中国や朝鮮からの拉致被害が相次いでいた当時だが、それに紛れて若い女性や子どもを連れてくるように配下に命じた。

拷問――。

彼女を満たすものはそれしかなかったのだ。
人間の悲鳴、苦痛に歪む表情、衰弱してゆく人間をじっと観察するのが生き甲斐となっていた。
いつしか人間としての表情はなくなり、悪魔のような形相となっていた。
容姿は醜く太り、からだ中には吹き出物ができ、親族を罵倒し、彼女についていくものは誰もいなくなっていた。

財閥追放――。

五十代になった彼女は、無一文の状態で、ついに財閥を追放されてしまったのだ。
手に職があるわけでもなく、もちろん、労働などしたことなどない。
買い物すらしたことがない。

おい、そこのお前。
わらわに食事を持ってこぬか。
通りすがりの男性に声をかけるが、馬鹿にされたような視線を残して去っていく。

おい、そこの馬鹿面。
そう、お前だ。
何をグズグズしておる、早くわらわに食事を持ってこぬか。
彼女が声をかけたのは、街のチンピラだ。

この糞ばばあが絡んでくるんだ、やっちまおうぜ。

複数のチンピラにボコボコにされた彼女。
何でわらわがこんな目に…。
わらわは貴族なるぞ。
愚民どもとは命の重みが違うのだ。

一人涙していると、目の前に一人の女の子が現れた。

おばちゃん。お腹空いてるの?
チョコレート食べる?

ボロボロの服にボサボサの髪の毛の少女。
自分が食べるために大切に取っておいた、貴重な食料を彼女に与えた。
どう美味しい?

一週間まともに食事をしていなかった彼女は、涙しながらチョコレートを頬張った。
あんなに太っていたのに、衰弱して見る影もなかった。
前を見ると、少女がこちらを笑顔で見ている。

何でわらわの方を見ている?
だって、美味しそうに食べるんだもん。
嬉しくなっちゃうよね。

まだ10歳にも満たないような少女に、何か大切なことを教えてもらった気がした。

お前の両親はどうした?
ふたりとも戦争で死んだんだよ。
兄弟もいたんだけど、みんな死んじゃった。

これからどうするんだ?
ん~。物乞いでもして生きていくよ。
なんでそんなに明るく振舞える?食べるものがなくって、死ぬかもしれないんだぞ。
それは大丈夫。だって、この国の人ってみんな優しいから。困ってる人がいたら助けてくれるんだよ。

そこに天使を見た気がした。

私がしてきたことは許されることではない。
大勢の命を自分の欲望のために奪い、決して許されるものではない。
でも、この少女だけは、何としてでも守り抜かないといけない気がした。

少女と二人暮らしが始まった。
少女は彼女の髪を櫛でとかし、短くカットし、蝶のバンダナできれいにまとめた。
ほら、綺麗になったでしょ。
自分の身支度すら経験がない彼女にとっては、斬新な行為だった。

ありがとう…。

あれ、わたし今、自然と言葉が出た。
こんな感情、はじめて。
貧しくって、明日食べる食料もないのに、何でこんなに幸せなんだ。
嬉しさのあまり、しわくちゃな頬を大粒の涙が零れ落ちる。

あー、神さま、わたしの命はどうなっても構いません。
どうかこの少女だけは幸せな人生を歩ませてあげて下さい。

すると、どこからともなく声が聞こえてくる。

この少女はわたしが引き取る。
お前は、今世の罪を一生かけて償うがいい。
醜い姿、異常な精神、孤独。
これと引き換えに、この少女の安泰は保障しよう。

ふと目を覚ますと、目の前には少女はいない。
鏡に映る自分は醜く痩せこけた姿。

これでよかったんだ。

私が生まれてきたのは、きっとあの少女を幸せにするためだったんだ。
どんなに醜くとも生涯を全うすることを決意する。
右手に蝶のバンダナを握りしめて。


8|虫のいい話

黒板の字が見えない。

小学五年生の冬、栞奈かんなは学校の眼科検診で眼鏡を勧められる。
一番前の席でも目を細めないと板書を見ることができないので、勉強に支障が出てしまう。

度のきつい眼鏡は牛乳瓶の底のような形状で、昭和のがり勉くんのような姿になる。
栞奈は男子からからかわれるのが嫌で、授業中も眼鏡をかけずに、必死にしかめ面をしながら頑張っていた。

来週単元テストが行われる旨を言い残し、先生は教室をあとにする。
教室がざわめく。
栞奈は友達に近寄り様子を聞いてみると、友達の誰もが不安を抱えているようだった。
それを聞いて安心したのか、明るい表情で、みんなで悪い点数を取る約束を交わした。

テスト当日――。
約束を果たすため、当たり前のように勉強はしていない。
空欄だらけの解答用紙。
周囲の問題を解く、鉛筆の音が気になって仕方がない。
焦って空欄を埋めようとするが、見当違いの答えばかりが浮かんでしまう。

テストが終わって友達の様子を聞いてみると、サッパリできなかったと、安堵の言葉が返ってきた。
みんなで悪い点数を取るという約束は果たされたかのように思えた。

テスト返却――。

三十五点の答案用紙を前に、ひとり愕然とする。
だが、友達も同じような点数だったら…。と期待を胸に点数を聞いてみる。
結果は、九十点、八十五点、百点。
一人だけ落第という悲惨な現実を突きつけられる。

みんなで悪い点数取ろうって約束したのに…。
栞奈は友達を責め立てる。

授業をふつうに聞いてたら、これくらいは取れるでしょ?
授業聞いてないんじゃないの?
友達が心配そうに声をかける。

栞奈は必死に言い訳をする。
視力が悪くて、黒板が見えないから授業が分からなかった。
事実だが苦し言い訳。

数年後――。

成人を迎え、コンタクトレンズを着用している。
眼鏡嫌いのせいで勉強が全くできなかったので、大学は諦めた。
高卒でアルバイト生活をしている。
生活は苦しいが、大きな夢がある。

イラストレーターになること。

幼いころから絵を描くのが好きで、そのためなら頑張れる。
専門学校の費用をアルバイトで稼ぎながら、充実した日々を過ごす。
隙を見てはイラストを描いてネットにアップする。
評価は上々だ。
それがお金になるかどうかは分からないが、意気込みが大きい。

ひとつ後悔があるとすれば、大学に通いながらでもイラストを描けたのではないかという事。
勉強できない言い訳を視力のせいにしたのは、今でも悔いている。

大学に通い煌びやかな生活を送っている友達を見ると、社会からの疎外感を感じてしまう。
戻れるなら、あの時に戻りたい。


9|人間の正体と親の正体

自分は何のために生まれてきたのだろう…。

45歳独身フリーター。
年齢=彼女いない歴が今年も更新されてしまった。

彼女と付き合うなんて面倒、結婚なんてコスパが悪いだけ。
そんな20代、30代を歩んできた俺だが、今になって後悔をし始めている。

バイト先の上司は、俺より若い。
三十代半ばといったところだろうか。
金髪でチャラチャラした奴だけど、彼女と結婚するという話を耳にした。
俺よりも若い奴が、結婚をして、子どもを育てて、幸せな家庭を築いている。
一体何が違うのか。

俺が二十代の頃、四十代おっさんを見ては、妻子持ちは当たり前だと思っていた。
いいおっさんが、独身でフリーターしてるなんて、人生の負け組だと思ってたんだよ。

それが今の俺。

そんなに家庭に憧れるんだったら、婚活でもしてみればいいんじゃないか?
そう思うのがふつうだけど、この歳で女性経験がないと、流石に抵抗はある。
女性と何を話したらいいか分からないし、デートの仕方も分からない。

白髪交じりのボサボサの頭髪に、よれよれのシャツ。
シワだらけのズボン。
母親がいなければ何もできない自分に彼女ができるなんて、想像もつかないんだよね。

せめて稼ぎがいいんなら、興味を持ってくれる女性もいるんだろうけど、その日暮らしのおっさんに興味なんて持つはずがない。

このまま五十代になって、いつの間にか年金暮らしの老人になるんだろうか。
よくテレビで老人の孤独死の特集をしてるけど、他人事ではないのが肌で感じられる。

まさかそんな寂しい老後を送るなんて、あるはずがない。
こんなに苦しんでるんだから、神さまは明るい老後を準備しているはずなんだよ。
そう思いたくなる。

人間って、本当に困ったときは神頼みをするんだよね。
合格祈願だったり、健康祈願だったり、七五三参りにも行ったことがあるし、年末年始は初詣もするじゃない。

こんなにも神頼みをしてるのに、神さまを信じないって可笑しいと思わない?
神さまはいるんだよ。きっと。

目には見えないけど、肌で感じ取れる感覚ってあるよね。
急に寒気がしたり、鳥肌が立ったり。

神さまは、その存在を信じる者には力をくれるし、そうでない者には関与しないみたい。
この世界は、人間の力じゃどうしようもない事ばかりだからね。

ちなみに、俺は神さまは信じてない。
自分の目で確認できないものは信じない主義だから。
まー、だからボロボロなんだろうけどね。

目で見えないものを信じろって言われても、信じようがないじゃん。
確かに、空気や電波なんかは目には見えないけど、科学的に証明されてるから信じるしかないよね。
でも、霊的なものって、科学的に証明されていないし、なんかインチキ臭いイメージしないんだよ。

ネズミ講の印象しかない。
霊感商法って、理屈抜きで人を騙すじゃない。
神を信じない者には災いが…。みたいな。
そんなインチキ臭いものを本気で信じてる人って、可哀そうな人だとしか思えないんだよね。

でも、ある日、そんな考え方が一変するできごとが起こった。

公園で一服してると、一人の少女が声をかけてきた。

おじさん、彼女いたことないでしょ。
神さまに見放された人の顔してるもん。
この世界は神さまに見放されたら終わりなんだよ。

あー、幼稚園で教えてもらったんだろうな。
この辺にキリスト教の幼稚園があったから、牧師にでも教わったんだろう。
そう思っていた。

おじさんって、お母さんいる?
おじさんを産んでくれた人。

もう歳だけど、まだ生きてるよ。

そのお母さん、おじさんの本当の母親じゃないよ。
本当の母親はもうこの世界にはいないみたい。

何でそんなことが分かるのかな?
興味津々になった俺は、小さな少女に聞いてみた。
すると…。

だって、おじさんとそのお母さんの色、全然違うでしょ?
至極当然の事を話すように、返事をしてきた。

色?

そう、色が違う人って親子じゃないんだよ。
それに、みんなの親は一人だけ。
本当の親だと思ってる人は、みんな仮の親。
本当の親はみんな同じ。

この少女が話している内容は正しい。
俺の親は実母じゃない。
養護施設から引き取られたのだ。
少女の話にもう少し耳を傾けてみることにした。

みんな、年に一回は神社に行くでしょ?
あれ何でだと思う?

年末年始の参拝のことか…。
たぶん、昔からの習慣だからかな。

ちがうよ。
あれは、本当の親に挨拶に行ってるんだよ。
頭では分かってなくっても、魂は分かってるんだよね。
みんな神さまの化身なんだから。

みんなの本当の親は神さま。
神さまがこの世界で修業をするように、送り込んでるんだよ。
自分の事を知ろうと努力する子どもたちには幸運を与えるけど、知ろうとせずに馬鹿にしてる人には関わらないみたい。

この世界って、もともとは地獄なんだよ。
宇宙にぽっかり浮かんだ大きな岩だからね。
空気や水を作ったのも、生物の種を蒔いたのも、みんな神さま。
神さまが手を差し伸べてくれることで、天国に早変わりする世界なんだよね。

この世界が地獄みたいっていう人いるけど、もともと地獄だからね。
それが当然なんだよ。
でも、この世界が楽しめてる人って、神さまから好かれてるんだよね。

神さまって、人間の行動を自由に操れるんだよ。
自分が可愛がってる子どもたちに富を運ばせたり、『お役目』と呼ばれる人間を近くに置いたりするだよ。

おじさんは、自分の本当の親のこと信じてないでしょ?
だから上手くいかないんだよ。
信じればいいだけなのに。

そう言い残すと、少女は去ってしまった。
雷雲が厚くなり、雨が降ってきた。
黒の雫が、俺を浄化しているようだ。

不思議な少女だった。
この少女と二度と会うことはなかった。
少女の正体は何だったのか、誰も知らない。


10|神様に愛された女性

小春日和の暖かな午後。
とある女性が亡くなった。
安らかな顔。
全てを後世に託し、永い眠りについた。

四男一女を残したが、四男は皆すでに死去。
一女だけが彼女のさいごを看取った。

一女には息子が二人いる。
長男には三人の子どもがいるのだが、女性は生前不思議な話をしたことがある。

長男が三人目不妊で悩んでいたときの事、どうしても三人目に女の子を授かりたいと願っていたのだ。
不妊治療をしたり、子宝の神社に参拝していたのだが効果は全くなかった。

そんなとき、彼女が亡くなる前に不思議な予言をしていた。

「長男のもとに色が白い福与かな元気な女の子が生まれる。この子は絶対に大切にするように。」

彼女は長男が不妊で悩んでいるとは知らないし、ましてや女の子を願っているとも知らない。

この言葉を最後に彼女は亡くなった。
88歳だった。

彼女がこの世を去ってしばらくして、長男のもとに可愛い女の子がやってきた。
色が白く福与かな元気な子だ。

彼女は幼子を抱きかかえると、不思議な感覚に捕らわれたという。
母の最期の言葉。
「この子は絶対に大切にするように。」

生まれながらにして魂のレベルの違いを感じたのだ。
この子は生涯わたしたちの手で守り抜かなければならない。
そう感じさせられたのだ。

幼子は次第に成長し、お話ができるようになった。
パパやママから始まって、色々な単語つなぎの言葉を話していた。
ママ、ポンポン、すいた。
パパ、アンパンマン、みる。
片言の言葉が可愛らしいと和んでいると、ある日、面白い話をし始めたのだ。

「ばあばあって、天使なんだよ。だから親はいないの。」

はいはい。そんな人もいるかもね。
そのときは何も気に留めていなかったけど、あとになって驚く出来事が明るみになる。

亡くなった女性だが、一女を出産したのは四十歳を超えてから。
そのとき、すでに主人は結核で他界している。
その女性も身に覚えがない事に驚いたが、なぜか出産しなければならないと身構えたそうだ。

母子家庭の貧しい家庭。
何もない田舎暮らし。
そんな空虚な生活だが、一女は何一つ不満を漏らすことはなかったという。
貧しいけど、愛のある生活。
お腹を空かせていると、歳の離れた兄貴たちが、彼女におにぎりを分けてくれた。
貧しいが、彼女は何不自由なく生活できていたようだ。

高校を卒業すると、進学は諦めて仕事をするようになった。
手際のいい彼女は仕事で頭角を現し、みるみる出世したが、職場婚をして家庭へ入る決意をする。

家庭へ入り子育てを始めた彼女だが、そこでもやはり不自由がない生活が待っていた。
大家族での子育て、集落総出の子育て。
子育てに大らかな環境に恵まれたようだ。

長男が小学生になるころに、夫が海外転勤になる。
海外での生活をするか、単身赴任にするかの選択だが、迷わず海外の生活を選んだという。

何事にも勉強熱心なので、海外でも沢山の友だちができたようだ。
日本人、現地の人、どちらも関係なく彼女を好んでいたよう。
この頃になると、経済的にはかなり裕福になっていたみたい。
夫が出生して、アジア圏のマネージャーをしていたようだ。

20年の月日が過ぎ、彼女に三人の孫ができた。
経済的な自由を手に入れた彼女は、何不自由のない生活を送っている。
かといって、贅沢をするわけではなく、むしろ質素な生活だ。

毎食食事の準備をする。
部屋の掃除は毎日かかさない。
庭のお手入れも毎日。
野菜は庭で育てるという節約ぶり。
あまったお金は息子や孫に仕送りをする。

神さまに守られた女性は、考え方が澄んでいる。
素直で知恵があるから慕われる。

だけど、誰からも好かれるという訳ではないみたい。
不思議だけど、彼女に近づけない人がいる。
見えないバリアのようなものがあって、悪意がある人だとか、邪な考えを持った人は彼女に近づくことすらできない。

彼女の自宅にも大きな結界のようなものがある。
悪い人は多分近づけないんじゃないかな。

食事を頂いたことがあるけど、ふつうの料理じゃない。
食べるだけで元気になったり、病気もしないんじゃないかな。
その女性は、生まれてから一度も病気や怪我をしたことがないみたい。

彼女に触れられると、治るはずのない病気が治ることがある。
信じられないけど、目の前で長年動かなかった脚が治るさまを見てしまった。
もちろん治療費などは頂かない。

この世界には、私が知らない不思議なことがまだまだ沢山あるんだと思う。
神さまに愛された女性は未だに健在だ。
そして、孫娘も不思議な力を持っているという。

孫娘の才能は素直な心。
神さまが最も好む人間だ。

世代を超えて、新しい物語が今始まる。


11|溶けるプラチナ

パラジウム、ロジウム、ルテニウム、イリジウム、オスミウム。
これらをプラチナ族といい、俗にいうプラチナ鉱石です。
2020年から21年にかけて、パラジウムの高騰や脱炭素推進により、プラチナの価格急騰が進んだけど、近年は落ち着いてるみたいですね。
プラチナはグラム5,000円弱、金がグラム10,000円強ということを踏まえると、比較的求めやすいのではないでしょうか。
婚約指輪の材料なので、結婚に踏み切きるなら今がチャンスですね。

プラチナの融点はたしか1,800℃くらい、沸点は4,000℃弱。
融点は固体⇔液体、沸点は液体⇔気体の状態変化の温度です。
400℃のピザの釜戸に放り込んだとしても、平然と金属の状態を保てるんです。
そんなプラチナの指輪がドロドロに溶けてしまったという話です。
しかも指にはめたままで。

今から17年前。
わたしは結婚しました。
この人となら平凡な生活でも大丈夫かな…。
あまり目立ったことをするのが好きな方じゃないので、目立たないように目立たないように、控えめに過ごしてきました。
今でもそうですが。

結婚指輪はお金がかかるからいいよ…。
そう話したけど、形式ということで準備してくれました。
プラチナ製の指輪。
ブルーダイヤが埋め込まれています。

結婚指輪をはめるまでは、シルバーのピンキーリングしか経験がなかったですね。

そのときに始めて実際にダイヤモンドを見たんですが、あまり興味を持てなかったのを覚えてます。
今でも宝石には全く興味がないんです…。
しばらく二人だけで新婚生活を楽しんでいたのですが、不思議な現象がわたしを襲います。

食事の準備をしているときに、指輪が抜け落ちてしまったんです。
いや、指から外したわけじゃないんですよ。
指にはまったまま床に落ちたんです。

イリュージョンですよね。
種も仕掛けもありません。ただ、指を貫通してしまったんです。
そんな馬鹿な話がある訳ないと思いましたね。最初は。

でも、指輪が抜け落ちたとき、わたし両手で鍋を持ってたんですよ…。
なので、指先から抜け落ちるって、ありえないじゃないですか。
パートナーもビックリしてましたね。

今、何で指輪が落ちた…?
わたしがマジックをしたんだと、思ったようなんです。
鍋を置いて指輪を拾ったんですが、指もリングも何も変化はありません。

それから半年後のとある夏の日、ベランダのミニトマトに水をあげていたときのことです。
結構たくさん実をつけてるな…。
そう思いながらボーっとしてると、また指輪が抜け落ちたんです。
手にはじょうろを持ってますから、指先から抜けることはないんです。
二度目のことだったので、少し気になり調べてみました。

プラチナは変形しやすい金属なので、ぶつけるとすぐに歪んでしまう。
確かにパートナーの指輪は変形してるな…。と思いましたが、貫通するという話はどこにもなかったです。
もしかしたら、プラチナって貫通する金属なの…?そう疑ってみましたが、ふつうに考えてそんなことないんです。
まー、当然ですが…。

それから年月が経ち、子どもを授かりました。
はじめての子育てでに四苦八苦したのは、小さな天使の悪戯ですね。
すぐにものを隠したり、ベランダから落としたり…。
財布がない、定期がない、鍵がない…。
そんなときは決まって、小さな天使がどこかにやってたんです。
迂闊にその辺にものを置けませんでしたね…。

当時は2DKの賃貸マンションに住んでいましたが、一室が子ども部屋、もう一室を寝室にしてました。
子ども部屋の掃除をしていると、また指輪が抜け落ちたんです。
しかしこのときは、今までと様子が異なります。
指輪が真っ二つに両断されていたんです。

その夜、パートナーに指輪のことを話すと、「指輪に向いてない体質なんじゃね。」と一笑されました。
指輪に向いてない体質って何だろう…?
そんな疑問を抱えながら、今では指輪をしていません。
多分またどこかに落としてしまうので。

とまぁ、そんな話があるんですよ。
信じるか信じないかは、あなた次第。


12|開かずの踏切

朝のラッシュ時。
列車が飛び交う時間帯。
数十分と遮断機が開かない踏切がある。
渋滞に巻き込まれた運転手が苛立つ。
毎朝の恒例行事だ。

その日も警報器が鳴り続く踏切に苛立ちながらも、車内のラジオ放送を聞き気持ちを落ち着かせる。
その日の特集は年輩者ののど自慢大会。
さぁ、今日もやって参りました。
お兄さんお姉さんの十八番を披露して頂きましょう。

司会者が場を盛り上げる。
大して上手くもない、むしろ下手くそな歌唱力に拍手をおくる。
歳をとったら恥じらいもなくなるのか。
男性は呆れ、ラジオ番組を変える。

お料理の時間です。
今日はなまずとアスパラの和え物です。
お手軽にできるのでぜひ試してください。
声がガラガラの女性料理人が場を仕切る。
なまずとアスパラの和え物?
見るも奇妙なレシピだな…。

しばらくダラダラしてると、何やら大きな音が聞こえる。
背後を振り返ると、大勢が自分を責め立ててるじゃないか。
俺が一体何をしたというんだ。
やめてくれ。

ふと目が覚める。
後列の車からクラクションが鳴り響く。
どうやら、踏切で待っている間に眠っていたようだ。
全部夢だったのか...。
急いでクラッチを踏み込み発進させる。

それにしてもリアルな夢だったな。
長い踏切を渡り切ろうとすると、また警報機が鳴り出した。
やばい、前列がつかえて前に進めない。
このままだと列車と衝突してしまう。

逃げ場がない踏切。
このまま車から降りて、自分だけでも逃げよう。
車から降りようとするがロックが解除されない。
窓も開かない。

バックミラーを覗き込むと、そこには一人の血まみれの女性が。
ゾッとした男性が、勢いよく後部座席を振りかえる。
振り返ると同時に女性が大きな声で泣き叫ぶ。
痛い!痛い!!

ふと目が覚める。
あ、これも夢だったのか。
後列からはクラクションの嵐。
急いでアクセルを踏み込む。
手には汗。
額から流れ落ちる雫。

これはまずいと気分転換にラジオを流す。

さぁ、今日もやって参りました。
お兄さんお姉さんの十八番を披露して頂きましょう。
夢の中と全く同じラジオが流れる。
下手な歌唱力に拍手をおくり、場を盛り上げる司会者。

恐ろしくなった男性は、ラジオのチャンネルを変える。

お料理の時間です。
今日はなまずとアスパラの和え物です。
お手軽にできるのでぜひ試してください。
何かにとりつかれたように、男性は思わずアクセルを踏み込んだ。

ドンッ!!

大きな衝突音と共にフロントガラスが真っ赤に染まる。
女性が見るも無残な姿で、地面に横たわっている。
あたり一面血の海。
内臓が飛び散り、骨が飛び出す。
即死だ。
烏合の衆が冷たい視線を送る。
嘲笑う者もいる。
男性は頭を抱え込み泣き叫ぶ。

ちょっと、ちょっと。
サイドガラスを叩く男性がいる。
早く進まないと。
ふと目が覚める。

夢?

ほっと一息ついて、ゆっくりと発信する。
落ち着かせるためにラジオをつける。

さぁ、今日もやって参りました。
お兄さんお姉さんの十八番を披露して頂きましょう。

夢と同じラジオ放送が流れる。
後部座席には男性が殺害した女性が横たわる。
汗だくになりながら、男性は車を進めた。


13|ドッペルゲンガー

昔々、江戸時代の話です。
とある田舎町に母と子が二人で暮らしていました。
父は戦で亡くなり、母が一人で子どもを養っていました。
子どもといっても、二十歳を超える男性ですが、全く働こうとしません。
毎日何かにとりつかれたように、ボーっと一点を眺めては、一日をやり過ごしていました。
母親は何か悪い病気なのか、あるいは、狐の霊でも憑いているのではないかと心配していました。

そんなある日、息子が突然、お稲荷さんをお参りにしたいと言い出したのです。
体調が悪そうな息子を見た母親は、お参りを辞めるように説得しましたが、決意は固いようでした。
体調が悪くなったらすぐに帰宅するという約束をして、息子はお稲荷さんに出かけました。

息子は無事に家に帰ってきました。
気分転換になったのか、息子の調子がよくなり、お稲荷さんにお参りに行ったことを話してくれました。
母親は、息子の体調が良くなったことに胸を撫でおろしました。

しかし、数日経つと、また魂が抜けたように、ボーっとする日々が続きます。
やっぱり何か病気を患っているんじゃないか。
何か悪い霊が憑いているんじゃないか。
そんな心配ばかりしていました。

そんなある日、息子がひと月先にある神社に参拝したいと言い出したのです。
片道一か月もかかる旅路に、体調が悪い息子を出させる訳にはいきません。
親戚一同も猛反対し、役所の人間も反対したそうです。

その晩、母親がふと目を覚ますと、息子の姿がありません。
長い旅路に出たのかと心配になり、親戚一同で探し回りました。
しかし、どこにも見つかりません。
五日経っても、十日経っても、息子は帰ってきませんでした。

息子がいなくなってから一か月後。
母親が深夜に目を覚ますと、井戸の方で何やら物音が聞こえます。
井戸の中を覗き込んでみると、誰かが落ちているじゃありませんか。
暗闇の中、近くの家に助けを呼び引き上げると、そこにいたのは息子です。
井戸に落ちて、瀕死の状態でした。

母親は息子を介抱しますが、残念ながら亡くなってしまいます。
母親は悲しみに暮れ、自分が旅路を許し、同伴しなかったことを強く後悔します。
神社で遺体を確認し、土葬することにしました。
親戚一同で遺体を丁寧に葬り、土にかえしたそうです。

それから一か月後の夜。
母親が就寝しようとすると、扉を叩く音が聞こえます。
こんな夜遅くに誰だ。
眠い目をこすりながら扉を開けると、息子が帰ってきたのです。

お母さんただいま。
長い間、家を空けてすまなかった。
どうしても、参拝したい神社があったので、勝手に飛び出してしまった。
どうか許してほしい。

井戸に落ちて亡くなった息子。
目の前で旅から帰ってきた息子。
母親は困惑します。
その日の夜、息子は旅での話をたくさんしました。
旅で泊まった旅館の話。
旅路で素敵な女性にあった話。
参拝神社でありがたい話を聞いたこと。

次の日、母親は親戚に話します。
親戚一同は総出で、息子が本当に旅に出ていたのかを確かめます。
息子が泊まったであろう旅館。
参拝神社での神主とも。
どうやら息子は本当にひと月先の神社に参拝していたようで、証言もとれたようです。

母親と息子は神社に出向き、亡くなった息子が誰なのかを確認することにしました。
神主は埋葬するとき確かに息子だったと話しますが、目の前にも息子がいる事に驚きます。
すぐに掘り起こして確認することにしました。
すると、棺桶の中には息子の遺体があったのです。

棺桶の中には息子の遺体。
すぐそばには生きている息子。
どちらの息子が本物なのか。
母親にも分からなかったそうです。
ただ、旅路から帰ってきた息子は、元気でよく働き、夫婦にもなったそうで。
旅路に出る前とは人が変わってしまったのが、気になったそうです。

母親にとって息子とはどのような存在だったのか。
元気がなく、ボーっと日が暮れるを待つ息子。
元気で人から好かれ、母親を大切にしてくれる息子。
どちらが本物かは誰も知りません。




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