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"楽しい"は必要?

また久しぶりになってしまったけど、なんとなく文章書いて頭を整理したくなったので更新しよう。

最近思ったこと、それは
楽しいということは時に疲れる
ということ。

人間関係で大事にしたい基準について、
この人といて楽しいか楽しくないかよりも
一緒にいてモヤモヤするかしないかのほうが重要なんじゃないかと思えてきた。

私の場合、人といると気を遣ってしまってどれだけ楽しいことをしていても疲れるし、ちょっと「ん?」と思う事があってもこの人はこういうところもあるんだ、と流しつつなんとなく合わせて楽しいを演じるのもとても疲れる。

というか
本当に楽しいとしても「楽しい」ってだけで疲れるのは疲れると思う。だって単に体力も脳も使うもん。

そう思うと、楽しいというのが常にではなくて良いし、特別楽しいことはないけど一緒にいてリラックスできるし、価値観が似ているから自分もありのままで良いし、この人といると気楽だなと感じることがどれだけ重要で凄いことか。

楽しいけど、この人といるとどこかモヤモヤするなとか、価値観がちょっとずれてるかもと些細な事でもそう感じたならそれは本当なのに(結構な確率で当たっている場合が多いと思う)、楽しいという感情のせいでせっかく気付いた事実が隠れてしまっている。

だから結局、楽しいという物差しで人といるより、モヤモヤするかしないかで人と接する方が長続きすると思う。

平和に生きていくために、私には友達はたくさんいらない。

私たちは小さい頃からみんなで仲良くしなさいとか、みんな友達とかそうやって育てられてきたから友達は多い方が幸せだと錯覚しているようだけど、そんなことは絶対にないし価値観が違うのなら楽しいことを一緒にしていてもそれは親友とは呼べないし。

友達はいなくて良いけど、親友は生きていく上で私にとっては必要だよ。一人でもじゅうぶん奇跡。

親友って、楽しいことを特別しなくても価値観が似ているからこそ些細なことで笑い合えたり、いつでも静かに支え合ったり、頻繁に会えていなくてもたまに会って楽しいという感情を共有したりできる。

今まで私は、楽しいからいいかと思ってたけど結構疲れてたみたい。
楽しいということは案外疲れることなんだということに気付けて良かったな、と思った最近。

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