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カジュエンに行ったときの話

 先生は赤いスニーカーをはいていた。学校にいるときはスリッパだったし、体育の時間は白いくつをはいていたから、みょうな感じだった。ふだんとちがって、UFOみたいなぼうしをかぶっていたし、まつ毛がつやつやしていて長い。いつもよりちょっとおしゃれだ。一方、ぼくやクラスのみんなは体そう服をきていた。ぼうしも赤と白のお決まりのやつだった。9月だったから半そでだったけど、少し肌寒くて、長そでの体そう服をきている子も4人くらいいた。

 午後に学校を出たぼくたちは、バスに乗ってカジュエンに向かった。りんごを枝からちょくせつとって、食べられるらしい。
 みんなははしゃいでたけど、ぼくはあんまり乗り気じゃなかった。ようち園のとき、みんなでさつまいもを育てていたのを思い出す。土をほってさつまいもをとろうとしたとき、ムカデが出てきて体がかたまった。ぼくは虫が大の苦手だ。カジュエンがどんなところか知らないけれど、野菜とか果物を育てているところは、たくさんの虫がくらしているイメージがある。それに、左上の歯が少しヘンだ。舌でおしてみると、ちょっとだけうごくような気がする。あんまりものを食べたい気分じゃない。

 となりでリョウくんが昨日みたテレビ番組について話していた。お笑い芸人がいっぱい出てきて劇みたいなことをする番組らしいけど、その番組は夜10時からなので、ぼくはみてない。
 ぼくは9時にはベッドで目をつむる。起きていようとがんばってみたこともあるけど、おふろから出るとまぶたが重くなって、いつのまにか朝になっている。お母さんが言うには、ぼくはほかの人よりつかれやすい体らしい。たしかに体育は苦手だ。さか上がりもできないし。

 リョウくんは、ぼくがそのテレビ番組をみてないとわかってからも、ないようをがんばってせつめいしてくれた。こういうとき、ほかの子だったら、ぼくとおしゃべりするのをあきらめて、ほかのだれかと話しはじめる。ぼくは無口だし、反応がうすいから、きっとおしゃべりしていても楽しくない。
 でもリョウくんは、そんなのおかまいなしに、ぼくに向けていろんな話をする。犬のチャーリーが新聞紙をくしゃくしゃにするとか、ロボットで戦うゲームがおもしろいとか、近所の神社に女の人のゆうれいが出るとか。

 リョウくんは、ほかの子とはげしいケンカをするし、かんしゃくを起こして先生によくしかられているけど、そのわけは、ぼくが無口な理由と同じ気がする。
 たぶん、リョウくんは、人のよくない気持ちをすごく感じやすいんだと思う。
 先生がリョウくんとはべつの子をしかったとき、リョウくんはとてもきげんがわるい。その子がしばらくたって元気にサッカーボールをけっていても、リョウくんはまだむすっとしたままだ。
 ぼくもそういうときがよくある。だれかがしかられていると自分がしかられているように感じるし、だれかがばかにされていると自分がばかにされたように感じる。そんなのはしょっちゅうだから、いつも胸にチクチクさすようないたみがある。ぼくはそういうのを感じるのがいやだったから、ひとりであそんでばかりいた。

 カジュエンは小さな森みたいなところだった。真っ赤なりんごの実をぶら下げた木が、ぼくたちを囲うようにして立っている。甘いにおいがかすかにただよっていた。
 りんごの木はそうぞうしていたより背が低かった。りんごの実には、つま先立ちすれば、手がとどく。実は、たいようの光をうけて、あざやかにかがやいていた。
 四角い顔のおじさんが、ぼくたちにりんごのとり方をおしえてくれた。引っぱるんじゃなくて、下から持ち上げるようにして実をひねると、上手くとれるらしい。
 ぼくはぶきようだから、上手にりんごをとる自信がなかった。花だんにパンジーをうえたとき、ぼくの花だけ咲かなかったし、たいようの光で走る工作用のソーラーカーをつくったときも、ぼくのだけうごかなかった。
 だけど、おじさんが手伝ってくれたので、きれいにとれた。りんごをとるぼくの手をつつむようにそえられたおじさんの手は、砂場であそんだあとみたいにさらさらしていた。

 りんごはその場で丸かじりした。甘い汁が口のなかいっぱいに広がった。給食で出てくるりんごより甘い。
 手がべとべとになって気持ちがわるかったけど、ぼくはむちゅうになって食べた。歯がいたかったけど、それくらいおいしかった。だいいち、ぼくは意外と食いしん坊なのだ。給食をのこしたことだってない。

 りんごをほおばりながら、みんなから少しはなれた。小さな森をさんぽする。でも、おいてかれるのはイヤだから、はなれすぎないようにちゅういした。
 リョウくんはどこかにきえてしまった。学校の外に出ると、リョウくんはいつもいなくなる。いなくなったと思ったら、きずだらけになってあらわれたりする。みんなが知らないあいだに、わるものをやっつけに行っているのかもしれない。

 とつぜん、口のなかにいたみが走った。りんごの味にまじって、へんな味がする。かじったりんごには、うすい血が、たった今ふってきた雨のようににじんでいた。
 りんご以外のなにかが、舌の上にのっている。かたいけれど、たねじゃない。とがっているぶぶんがある。

 ぼくは、それを手のひらにはき出した。

 白くて小さなかたまりが、たいようの光をうけてきらきら光った。

 歯だった。

 今でこそ歯が生えかわるとを知っているけど、そのときのぼくは、そのことを知らなかった。だから、歯をこわしちゃった、と思った。お母さんにおこられるかもと考えて、泣きそうになった。虫歯をほうっておいたから歯がこわれたのだ、とガミガミ言われると思うと、ゆううつになった。でも、そんなふうになったのならまだよくて、お母さんが泣き出したらこまる。そうなったらぼくは、胸のおくがいつも以上にいたくなる。

 でも、歯をこわしたのを、いつまでもかくしておくのはムリだろう。血もちょっとずつだけどながれているし、病院に行かないといけないのかもしれない。なので、しかたなく先生につたえた。そうしたら、先生はにっこり笑って「あら、おめでとう」と言ったので、ぼくはこんらんした。

 りくつはわからなかったけど、わるいことじゃないらしいとわかった。ぼくは、なんでもないふうをよそおっていたけど、とてもほっとした。ぬけた歯はポケットに入れて、持ってかえった。

 かえりのバスのなかで、リョウくんと歯について話した。リョウくんは、もう歯が8本もぬけたと言った。口をひらいて、うそじゃないとしょうめいしてくれた。ぬけたところからは、あたらしい歯が生えはじめていた。そのときはじめて、ぼくは歯が生えかわるのだと知った。

 リョウくんはつかれたのか、とちゅうでねむってしまった。まどからさしこんだ西日がリョウくんのほおでゆれていた。バスのしんどうが心地よかったけど、ぼくはねなかった。ねているあいだに、みんながバスからおりて、ひとりぼっちでどこかにはこばれて行くかもしれないとか、そんな心配をしていた。ぼくは、いつもいらない心配ばかりしている。

 その日からぼくは歯をみがかなくなった。どうせすぐに生えかわるのだから。そうしたら虫歯になった。お母さんにおこられた。



















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