見出し画像

北海道の廃線跡探訪 第39回 湧網線(1/4)中湧別~計呂地間


1.ごあいさつ

ご訪問ありがとうございます。

北海道の廃線跡探訪第39回 湧網ゆうもう中湧別なかゆうべつ~網走間その1 中湧別~計呂地けろちです。

湧網線はサロマ湖、オホーツク海、能取湖のとろこ、さらに網走湖沿岸を走る風光明媚な路線として知られていました。
現在でも、旧沿線には計呂地、佐呂間さろま卯原内うばらないに保存施設があり、車輌も保存されています。
駅舎は計呂地、知来ちらいに残り佐呂間駅舎も移転改装され、鉄道資料館として使われています
湧網線は廃線後も、沿線風景とともに見どころの多い路線といえます。
今回ご紹介する区間にも、計呂地交通公園があり、保存車輌も含めたいへんよく整備されています

なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。

2.湧網線小史

湧網線は起工・開業ともに昭和になってからの比較的新しい路線で、1935(昭和10)年10月10日湧網東線:網走~卯原内間、同月20日湧網西線:中湧別~計呂地間、翌年10月10日東線:卯原内~常呂間、同月17日西線:計呂地~中佐呂間(改称/佐呂間)間が開業した。
中佐呂間~常呂間の工事は戦争のため中断後、1952年12月6日常呂~下佐呂間(改称/浜佐呂間)間、翌1953年10月22日下佐呂間~佐呂間間が開業、全線89.8㎞の湧網線となった。全通と同時に中佐呂間は佐呂間と改称されている。
湧網線はオホーツク海やサロマ湖の水産物輸送も多く、夏季には観光客でも賑わったが、第二次特定地方交通線に指定、1987年3月20日廃止となった。

3.中湧別~芭露ばろう

1/5万地形図「中湧別」「遠軽」ともに昭和51年修正に加筆

中湧別については、北海道の廃線跡探訪第37回 名寄本線その6 小向~中湧別~湧別間をご覧ください

湧網線は中湧別から他の2線とともに北東方向へ向かい、やがて東方に分かれていくが、直進部分の路盤は道路となり、カーブの部分は畑になり、何もない

その先も路盤は耕地整理で消えているところが多いが、残っているところは濃いササヤブになり、細い水路にコンクリート伏樋があった。

①ヤブになった路盤 中湧別方を望む 2022年5月撮影

1958年7月設置された、五鹿山ごかざん仮乗降場の跡はまったくない

②五鹿山仮乗降場跡を望む 2022年5月撮影

国道238号に並行するあたりにコンクリート橋があるが、1955年12月、志撫子しぶし若里わかさと興生沢こうせいざわ紅葉橋もみじばし大曲おおまがりと同時に設置された、福島仮乗降場の跡はなく、入植八十年記念碑の建つあたりかと思われるくらいで、あいかわらず路盤はヤブに覆われている。

③国道と並行する区間にあるコンクリート橋 2022年5月撮影
④福島仮乗降場跡 芭露方を望む 2010年8月撮影

福島仮乗降場の先で国道とクロスするが、道路がつけ替えられたため路盤が削られ、踏切跡はまったくない。
その先のテイネ川にも築堤があるだけで橋の痕跡はない

⑤国道とクロスした先からテイネ川までの路盤 芭露方を望む 2022年5月撮影

南東へ向きを変えた路盤は、やがていかにも廃線跡という風情の未舗装道となっている。林のなかを一直線に芭露に向かって延びているが、再びヤブになっている。

⑥未舗装道となった区間の始点 芭露方を望む 2010年8月撮影

芭露は、国道から駅前通りを入った突き当たりにあった。
2010年には、廃止後も残されていた駅舎はなくなっており、「芭露駅の跡」という記念碑だけの空き地になっていた
今では老人福祉施設が建ち、正面出入口横に記念碑が移設されている

⑦芭露駅跡 2022年5月撮影

4.芭露~計呂地

1/5万地形図「遠軽」昭和51年修正に加筆

旧芭露駅構内を出ると、枕木の敷かれた橋があるが、鉄道橋ではなさそうだった。
芭露川にも橋の痕跡はないが、志撫子方は少しの間、作業道になっていた。
湧網線はやがてサロマ湖岸に出る。
路盤が国道と近接するところに駐車場があり、そこから芭露方の路盤上に水芭蕉見学のための遊歩道が造られている

⑧路盤上に設けられた木道 芭露方の終点 このころすでに一部通行止めだった 2010年8月撮影

水芭蕉保護のため柵のある木道となっているので、路盤を歩いているという趣はないが、一応、廃線跡をたどることはできた
しかし、2023年現在、湧別町のホームページには「木道は当面閉鎖」とある。

駐車場から志撫子方は、月見ヶ浜に沿ってサロマ湖岸を走る区間だったが、道路拡幅のため路盤は消えている
国道と再び並行するようになると、路盤が国道と湖の間に姿を現し、コンクリートの橋も残っている

⑨国道並行区間にあるコンクリートの橋 2022年5月撮影

志撫子仮乗降場も跡はなく、バス停の近くに草むらが拡がっているだけ。
折しも、網走行きの代替バスが来たが、乗客は1人だけで、ここでもスピードを落とすこともなく通過していった。

⑩志撫子仮乗降場跡 2022年5月撮影

駅を出てすぐの志撫子川橋梁の跡もなく、計呂地までの路盤もだいたいヤブになっている。

5.計呂地

計呂地は、計呂地交通公園として整備され、駅舎・ホームのほか、腕木式信号機や駅名標(復元?)も残されている。
車輌は、C58 139 、スハ45 17(以前はスハ45 6とされていた)、オハ62 91が保存されている

⑪計呂地交通公園のC58 139ほかの保存車輌 2010年8月撮影
⑪オハ62ほかの保存車輌 奥に見えるのが「渡り廊下?」 2010年8月撮影

スハの車内はカーペット敷きに改造、保線詰所だった「駅長の家」ともども、7~9月には宿泊施設として利用されている。

⑪スハ45(左)・オハ62(右)の車内 2010年8月撮影

保存車輌は2022年5月にはきれいに塗り直され、以前青色になっていたオハは現役時の茶色になり、逆にスハが茶色になっていた
その反面、字体・大きさともに違和感のあるレタリングが玉にキズ。

⑪茶色に塗り直されたオハ62(左)とスハ45(右) 2022年5月撮影(タイトル写真も同じ)

こぢんまりとした駅舎は、旧事務室部分が管理人室、旧待合室部分が湧網線鉄道資料展示室となっている
訪問当日は時間が悪かったのか人影がなく、わざわざ電話連絡して開けてもらうのも気が引けたので、外から見学するのにとどめた。

⑪営業当時よりきれいになった旧計呂地駅舎(ホーム側) 2022年5月撮影
⑪同(正面) 2022年5月撮影

一方、ホームには、裏にあるゲートボール場への通路なのか、跨線橋のような渡り廊下?が新たに造られている。
高さが低いのでホームを歩く際や写真撮影にも邪魔になるし、何よりもせっかく美しく保存された駅構内の雰囲気を壊しているようで、ちょっと残念。

浜床丹方を望む 右は「駅長の家」 2010年8月撮影

今回はここまでです。

おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。

次回は計呂地から知来ちらい向かいます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?