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北海道の廃線跡探訪 第40回 湧網線(2/4)計呂地~知来間
1.ごあいさつ
ご訪問ありがとうございます。
北海道の廃線跡探訪第40回 湧網線中湧別~網走間その2 計呂地~知来間です。
湧網線は計呂地の次の浜床丹から内陸へ向かい、浜佐呂間でサロマ湖に近づき、そこから常呂まで再び内陸を走ります。
佐呂間には駅舎を転用した鉄道資料館があり、車輌も保存されています。
なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.計呂地~佐呂間
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計呂地の先の計呂地川にも橋の跡はなく、ヤブとなった路盤は、湧別町から佐呂間町へ入り、浜床丹へと続いている。
1956(昭和31)年8月設置の浜床丹仮乗降場も跡形はない。
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浜床丹仮乗降場を出ると、湧網線はサロマ湖と離れて南進し、この地域の中心集落である佐呂間市街へ向かう。
国道238号との踏切跡はなく、床丹の前後は道路化されている。
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床丹には、旧道からの元駅前通りに自転車置き場が残っているが、駅の痕跡はない。
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新しい道路から路盤が別れた先の床丹川に橋台が残っている。
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若里仮乗降場の跡はないが、その前後には路盤が残っている。
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若里からも大半はヤブになっているが、一部は作業道となっている。
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湧網線は佐呂間の手前で直角に曲がり東に向きを変えていた。市街地に入ると、路盤はわずかな区間が遊歩道となっている以外、学校や役場の敷地などになり消失、三線川にもなにもない。
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3.佐呂間
1953年10月、開業時の中佐呂間から改称された佐呂間駅構内は、佐呂間町交通公園となっている。
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元の駅前通りは北側へ貫通し、その突き当たりにあった駅舎は少し西側へ移設・改装され、鉄道記念館になっているが、営業当時の面影には乏しい。
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鉄道記念館は2010(平成22)年には常時開館していたが、現在では普段は施錠、事前に近所の管理者に連絡して開けてもらうようになっている。
展示室には、佐呂間町内の駅・仮乗降場の資料や解説パネルなどが、整然と展示されている。
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車輌は、D51 565、DE10 1677、スユニ50 517、ヨ8017が保存されている。D51(スユニ50も?)は湧網線には縁がなく、蒸気機関車の代表といったところで選ばれたのだろうか。
定期的に手入れされ、立派な屋根があるので保存状態はよい(DE10には屋根がないが、こちらもまずまず)。D51はロッドが妙な色になってはいるが。
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公園には、ほかにも腕木式信号機や踏切警報機が散在、モニュメントとして9600形の動輪も置かれている。
堺橋方にはバスターミナルもあり、広かった駅構内が偲ばれる。
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4.佐呂間~知来
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佐呂間を出ると第1佐呂間別川橋梁を渡るが、跡はなく、路盤もほぼ農地化されている。
高田の沢川の前後にはわずかに築堤が残るが、橋はコンクリート造の味気ないものだった。
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第2佐呂間別川橋梁にも痕跡はなく、川を渡るとすぐ1956年12月に設置された堺橋仮乗降場があったが、ここも跡形なく、ここから道道103号に並行していく。
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道道との踏切は、踏切前後で曲がっていた道路を、路盤を転用して直線化したようにみえ、踏切横にあった興生沢仮乗降場の跡もない。
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興生沢方に橋台が残る知来川を渡ると、知来となる。
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知来の小さな駅舎は、「知来ゲートボール会館」として利用されている。
内部には鉄道関係のものは何もないが、きれいに掃除され、大切にされているように見受けられた。
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駅舎以外、ホームなどの痕跡はないのに、なぜか紅葉橋方に少し路盤と線路が残っている。
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今回はここまでです。
おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は知来から常呂へ向かいます。
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