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北海道の廃線跡探訪 第41回 湧網線(3/4)知来~常呂間


1.ごあいさつ

ご訪問ありがとうございます。

北海道の廃線跡探訪第41回 湧網ゆうもう中湧別なかゆうべつ~網走間その3 知来ちらい常呂ところです。

この区間の路盤は、農地化で消えているところが多くなりますが、コンクリート橋や橋台がところどころに残っています

なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。

2.知来~浜佐呂はまさろま

1/5万地形図「サロマ湖」昭和51年修正に加筆

知来の構内を出ると、路盤は農地化され消失、第3佐呂間別川橋梁の痕跡もない
佐呂間別川の先から路盤が現れ、築堤には小さなコンクリートアーチ橋が残っているが、紅葉橋仮乗降場の跡もない

①知来方から紅葉橋仮乗降場跡を望む 2010年8月撮影

ここから仁倉にくらまでも切れ切れに路盤の跡があるだけで、知来と同じ駅舎だった仁倉も跡形はない

②紅葉橋方から仁倉駅跡を望む 2010年8月撮影

仁倉からも路盤は、ところどころ農道になっているが、消失しているところもある。
仁倉川にも何もないが、六号の沢川にはコンクリート橋が残っている

③六号の沢川に残るコンクリート橋 2010年8月撮影

浜佐呂間市街手前のイワケシュケコマナイ(岩毛庄内)川には、浜佐呂間方の橋台がある

④イワケシュケコマナイ川の浜佐呂間方橋台 2010年8月撮影

開業時の下佐呂間から1963年10月に改称された浜佐呂間には、真新しい施設が建ち並び、大きな農業倉庫があるだけで、駅の面影はまったくない

⑤仁倉方から浜佐呂間駅跡を望む 2023年10月撮影

3.浜佐呂間~常呂

1/5万地形図「サロマ湖」「網走」ともに昭和51年修正に加筆

湧網線は浜佐呂間で久々にサロマ湖に近づくが、湖岸とは少し離れているので湖は見えない。
再び内陸部へと向かい、今は北見市となった旧常呂町に入る。
北見富丘にも何もなく、ヤブとなった路盤があるだけ。

⑥北見富丘駅跡を望む 2023年10月撮影

ここから丘を下り、畑のまっただなかに入っていくが、路盤は完全に農地化されている。
道路脇の用水路にコンクリート製の橋があったが、ライトコロ川にはなにもない
1956年5月、二見中央と同時に設置された東富丘仮乗降場は、網走手前の大曲仮乗降場とともに、営業末期には朝夕1往復しか停車しなかった。
今では、その位置すらわからないほどになっている
ただ、よく見ると路盤の幅で畑の土の色が少し変わっているのと、その延長上の防風林が途切れているので、これが湧網線のルートかと想像はできる。

⑦路盤すらなくなった東富丘仮乗降場跡を望む 2023年10月撮影

北見共立きたみきょうりつの手前の用水路にはコンクリート橋が残っているが、その前後はあいかわらず農地化されている。

⑧北見共立の手前にあるコンクリート橋 2023年10月撮影

湧網線が北東方向へ進路を変え、道道7号と接するところにあった、北見共立も空き地になっているが、ここにも元自転車置き場らしきものがある。

⑨北見共立駅跡 錆びた自転車置き場らしきものが残る 2023年10月撮影

北見共立の先も路盤は農地化されているが、この区間の用水路にもコンクリート橋があった
常呂方の築堤はきれいになくなっているが、北見共立方は短く残った築堤が樹木に覆われ、畑のなかの鎮守の森のように見える。

⑩用水路に残るコンクリート橋 2023年10月撮影

常呂までも路盤はほとんど畑となり追跡できないが、湧網線は再び国道238号とクロスし、オホーツク海に突き当たり大きく東へ曲がり常呂市街に入っていた。
路盤は道道1033号(旧国道)の踏切跡からオホーツク自転車道となるが、旧常呂駅構内に入ると一般道路となる。

⑪道道1033号の踏切跡から始まるオホーツク自転車道 2022年5月撮影

常呂は湧網線沿線随一の規模の駅で、廃止時まで列車交換もしていた。
今では中心部にバスターミナルが建っているだけで、ガランとした舗装路面が拡がっている。

⑫旧常呂構内 北見共立方を望む 右が改築前の常呂町交通ターミナル
2010年8月撮影(タイトル写真も同じ)
⑫旧常呂駅構内 能取方を望む 2010年8月撮影

湧網線廃止後に建てられた常呂町交通ターミナルは改築され、北見市常呂交通ターミナルとして、2015年12月オープンしている。
建物は以前の半分くらいになり、地域交通の衰退を表しているかのようだった。

⑫改築された北見市常呂交通ターミナル 2022年5月撮影

今回はここまでです。

おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。

次回は常呂から終点網走へ向かいます。

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