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北海道の廃線跡探訪 第17回 広尾線(2/4)幸福~上更別間
1.ごあいさつ
ご訪問ありがとうございます。
北海道の廃線跡探訪 第17回 広尾線の第2回です。
今回は「愛の国から幸福まで」の切符で一大ブームとなり、今でも観光客のたえない幸福からです。
なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.幸福
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1956(昭和31)年設置の幸福は、廃止後、中札内方に広大な駐車場が整備され、幸福交通公園となっている。
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平凡な駅名だったら、絶対に保存などされるはずのない仮乗降場クラスだが、帯広空港から近いこともあり、愛国以上に観光客の姿が絶えず、貸切バスで来る団体客も多い。
若いカップルが多いのかというと、必ずしもそうではなく、あらゆる世代の人がいるように見うけられた。最近では、訪日外国人もよく見かける。
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キハ22(221・238)と排雪モーターカーが、かつての本線上に保存され、221は車内に入ることもできる。
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愛国方にあるモーターカーは、なくもがなという気もするが、これとて今では貴重な存在。
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キハ22は末期の首都圏色(朱一色)に塗られ、細かいことをいえば、ヘッドライトのところの塗り分けが少しちがっている。
さらにHゴムや貫通幌まで朱色に塗られ、レタリングも少々字体が異るのが残念だが、手入れがよいのは観光地の恩恵であろう。
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駅前には2軒ほど土産店があり、ここでも「愛国から幸福ゆき」の乗車券を売っている。
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「きょうの切符」という宣伝文句を怪訝に思いながら買ってみると、愛国で売っていたものと同じだが、日付はまさに当日。
日付印字機を持っているのだろうが、廃止後も訪問当日の乗車券を買えるのはここだけだろう。
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絶対に乗車できない切符としては少々高価な気もするが、記念品としてみればそれほど高くない。
法規上うるさい問題はないのか、ちょっと気になるが(決して、とがめ立てしているわけではありません)。
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2013(平成25)年、帯広市は幸福駅を再整備、駅舎(待合室)を建て替えた。
素人目にはさほど老朽化しているようには思えなかったが、地震での倒壊の危険などを考えれば仕方ないのだろう。
同じ駅とはいっても、東京駅などとは違い、旧幸福駅はただの物置小屋のようだから、建築史的に保存の価値なしとされるのも無理はない。
ただ、どんなに精巧に造っても、「複製」はあくまで「複製」であり、「旧幸福駅」ではなくなる。
これといった有名観光地のない帯広市にとって、旧幸福駅は貴重な存在だから、立派に整備したくなる気もわからなくはないけれど。
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新しくなった駅舎は一見変わらないようだが、子細に見ると、部材はほとんど新品のようだし、コンクリートの基礎もある。
壁の一部に落書きが残っていたから、屋根上や側面・正面の駅名表示板とともに、これは元のものかもしれない。
元の駅舎と比べてみると、窓の大きさやその位置などがずいぶん違っているが、雰囲気は変わらず、よくできた模造とはいえる。
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3.幸福~上更別
幸福からも路盤は消えているが、帯広市から中札内村へと変わるあたりから、防風林に沿って残っているところが見られるようになる。
中札内に近づくにつれて再び農地化された路盤は、市街でいったん新しい宅地となるが、すぐ「コミュニティ広場」に整備されている。
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広場には旧広尾線を感じさせるものはないが、案内板に「トロッコ」とあるので、勇躍行ってみたが、ここも「廃線跡」になっていた。
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農協施設や大型倉庫が建ち並ぶ中札内附近には、駅の雰囲気が残っている。旧構内は鉄道記念公園となり、貨車か客車の長軸車輪2軸と腕木式信号機を使ったモニュメントがあった。
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一隅にはホームの一部も残り、そこに2輌のワム80000形が並んでいる。1輌は休憩所として再利用され、車体が大きく開口されている。
2023年には、2輛とも塗り直され、休憩所ではないほうには車体表記も加えられていた。
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公園自体が再整備されたようで、模造駅名標や解説板が設置され、腕木式信号機などもきれいになっていた。
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公園の先は国道236号の手前まで道路に沿った空き地や道路となり、国道の跨線橋は撤去・平面化、更別方の路盤は農地化されている。
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広尾線はここから札内川とは離れ南東に向かう。
路盤は同じような状況だが、中札内村から更別村へ入り、サラベツ川の手前に未舗装道となっているところがあった。
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サラベツ川に架かる更別川橋梁にも痕跡がなく、そこから更別市街までの路盤は、ほとんどが農地となり消えている。
更別は市街の西南端にあった。
かつて駅舎に突き当たっていた駅前通りは貫通し、「更別駅」と大きく刻まれた「国有鉄道 更別駅舎跡記念碑」という立派な碑が建っている。
ほかには大きな倉庫があるだけで、駅を思わせるものはない。
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更別市街を抜けたところにある、第2サンチャルベツ橋梁(川名はサッチャルベツ川)は何もないが、南四線道路の踏切跡の手前に、南四線川に架かっていたガーダー橋(第1イタラタラキ川橋梁?)が残っている。
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ここは川が道路に沿って直線化されたため、撤去する必要もなくなったのだろうか。
2023年10月にも変わりなかったが、枯れたイタドリに囲まれていた。
路盤はどんぐり公園までヤブとなって続いており、公園北西端にある南五線川にも痕跡はないが、築堤が一直線に延びていた。
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公園の東南でパークゴルフ場に取りこまれた路盤は、公園の先で再びヤブとなって現れる。
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南七線の先のサッチャロベツ川からは、自転車道?となり、突然、南十一線で終わっている。
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クルマの進入禁止(川の前後にクランクがあるので、軽自動車でも走るのは困難だが)を示す標識や、サイクリングロードという表示もなく、公園までも達していない。それでも自転車のタイヤ痕はあったから、利用する人はいるらしい。
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途中の橋は撤去され、国道へ迂回しており、猿別川の橋(第7イタラタラキ川橋梁?)は架け替えられている。
路盤は南十一線からヤブとなって、上更別市街へ入る。
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今回はここまでです。
おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は上更別から大樹へ向かいます。
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