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北海道の廃線跡探訪 第18回 広尾線(3/4)上更別~大樹間


1.ごあいさつ

ご訪問ありがとうございます。

北海道の廃線跡探訪 第18回 広尾線の第3回です。
今回は上更別かみさらべつを出て、忠類ちゅうるい大樹たいきへと向かいます。田園風景だった今までとちがい、変化が出てくる区間です。

なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。

2.上更別~忠類

1/5万地形図「忠類」昭和53年編集に加筆

上更別は市街の西南端、国道から少し入った突き当たりにあった。
更別と同じ形の記念碑が建てられているが、駅自体の痕跡はない。
旧構内には村営住宅などが建ち、「オーク ヴィレッジ」という宅地が分譲中だった。

上更別の記念碑 2023年10月撮影
駅跡(忠類方)を望む 2012年9月撮影

上更別から路盤は、農地のなかにヤブとなったり、農道として使われたりして残っているところが多くなる。

三十三号道路から忠類方を望む 2012年9月撮影

広尾線は、幕別町(旧忠類村)に入るあたりから、それまでの平地から一変して丘陵地帯を行くようになる。

牧場への道の踏切跡から忠類方を望む 2012年9月撮影

路盤は築堤や浅い切り割りとなっているのが国道からも見える。

国道並行区間の路盤 忠類方を望む 2013年5月撮影

忠類村は2006(平成18)年2月、幕別町と合併、その結果、現役当時は依田だけだった幕別町内広尾線の駅(跡)忠類が加わった。
路盤は忠類へ向かって次第に高度を下げていく。
市街の入口にある当縁どうべり川(セオトープイ川)に架かっていたサクウシュトープイ橋梁の痕跡はないが、上ヒチュウルイ川にコンクリート橋が残っている。

上ヒチュウルイ川に残るコンクリート造の橋 2012年9月撮影

3.忠類

旧構内が交通公園となっている忠類には、駅舎貨車が保存されている。

忠類駅跡の交通公園 2023年10月撮影(冒頭写真は2012年9月撮影)

駅舎鉄道資料館となっているが、外観・内部ともあまり手が加わっていない。
正面車寄せ駅名板や、待合室の運賃表やポスターも掲げられ、状態よく維持されている。

忠類駅舎 2023年10月撮影
駅舎内部 きれいに維持されている 2023年10月撮影

ホームは擁壁が傾いており、危険防止のため線路側に設置された、建築足場用単管の柵が目につくが、こちらも営業当時とさほど変わっていないように思える。
以前はもっと広い範囲が保存されていたが、駅舎を中心とした範囲に縮小されている。

ホーム側からみた駅舎 2023年10月撮影

大正のように姿を消さなかったのは幸いだったが、廃止から30年以上経ち鉄道の記憶が薄れるとともに、地方自治体の財政難もあり、維持管理が困難になりつつある現実の厳しさを感じさせる。旧幸福駅のように観光地となれば別だが。

営業当時のままの雰囲気が残る忠類駅跡 2012年9月撮影

貨車は本来トビ色のワムを含めいずれも黒色に塗られているが、状態は悪くない。
標記類はいっさいないので番号はわからないが、各種資料によると、ヨ7908・ワム187865・トラ74718とある。
ワムとトラはプレス構造、ヨを含め、いずれも戦後製の、2軸貨車としては比較的新しい形式である。

保存されている貨車 ワム187865・トラ74718・ヨ7908 2012年9月撮影

4.忠類~十勝東和

1/5万地形図「忠類」昭和53年編集に加筆

忠類十勝東和方には農業施設が建ち、その先の路盤も宅地化されて痕跡はなくなっている。

忠類市街はずれから現れる路盤 十勝東和方を望む 2013年5月撮影

市街を過ぎると、再び農地のなかを一直線に歴舟川を目指して行く。
路盤は防風林に沿った、農地のなかの低い築堤となって続く。

一直線にのびた低い築堤 忠類方を望む 2012年9月撮影

北八線から北四線まで、2015(平成27)年3月開通した帯広広尾自動車道(自動車専用道路 通称「中札内大樹道路」)の一部に転用された。
実際現地を訪れてみると、終点の忠類大樹インターチェンジ忠類インターチェンジの前後を除き、自動車道の築堤と既存の未舗装道の間に路盤が残っているようにも見えるが・・・

北六線道路から十勝東和方を望む 道路築堤と畑地の間が路盤? 2023年10月撮影

北四線には小さなコンクリート橋がヤブのなかに見えた。
2023年10月にはまだあったが、自動車道の延長予定上にあるから、今後はどうなることか。

北四線に残るコンクリート橋 2013年5月撮影

5.十勝東和~大樹

1/5万地形図「忠類」「大樹」ともに昭和53年編集に加筆

広尾線は、忠類大樹インターチェンジの先で大樹町に入る。
1960(昭和35)年4月設置された仮乗降場クラスの十勝東和は、農地化され跡形はないが、北二線道路の前後には畑地のなかに築堤が残っている。

忠類方から十勝東和駅跡を望む 2012年9月撮影
北二線道路から十勝東和方に残る築堤 2012年9月撮影

二の沢川にも痕跡はないが、十勝東和方にはヤブに覆われた築堤が残り、大樹方には大きなコンクリート塊が置かれていた。

ここから道道55号までは農地となり路盤は消えるが、道道踏切跡からヤブとなって現れ、丘に沿って高度を下げながら歴舟川まで続いている。
河原へ下りる道の踏切跡近くには、立派な落石避けが残っていた。

歴舟川へ向かう途中にある落石避け 2013年5月撮影

歴舟川に架かっていた日方川橋梁は撤去され、大樹方の橋台だけがある。

日方川橋梁の大樹方の橋台 2013年5月撮影

河岸の林を抜けた路盤は、住宅地のなかの細長い空き地や道路・遊歩道となっている。

曲がっていく道路から分かれ、国道まで遊歩道となっている路盤跡 2013年5月撮影

国道との踏切跡はなく、その先は道の駅「コスモール大樹」となる。宇宙開発で有名な大樹町には、宇宙船などの看板などがあちらこちらにある。
道の駅の名も宇宙=コスモにちなんでいる。

6.大樹

大樹構内は、道の駅の裏手の「大樹交通公園」となっている。

大樹交通公園 2013年5月撮影

以前は客車や貨車も保存されていたが、その後撤去され、喰い違っている長い対向式ホームが所在なさげに見える。
線路もなくなったが、構内はよく整備され、保存とは名ばかりの傷んだ車輌があるよりも、かえってすっきりしている。

大樹交通公園に残るホーム 2013年5月撮影

本屋側のホームには錆びた駅名標の枠が残っていたが、2023年に訪れてみると、きれいに修復され表示板も復元されていた。

復元された駅名標 2023年10月撮影

駅舎は、正面に「大樹駅」と表示されたままになっている。

旧大樹駅舎 2023年10月撮影

待合室だったところは改装もされず、改札ラッチもそのままで、ホーム側には信号テコさえあり、廃止後に社屋として再利用されていたとは思えないほど駅舎時代の面影を残している。

大樹駅舎ホーム側の改札口 2023年10月撮影
大樹駅舎ホームに残る信号テコ 2023年10月撮影

しかし、もはや用もなくなった駅前ロータリーは道路の片側がふさがれていた。

駅跡の車輌はなくなってしまったが、大樹町役場前柏林公園には9600形59611号機が保存されている。

柏林公園に保存されている9600形59611号機 2012年9月撮影

今回はここまでです。

おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。

次回は終点広尾を目指します。

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