不登校パパの変化と進化
誰しもパニックになると、思考が止まります。
こどもが不登校?
『怒鳴って引っ張って学校に連れていけさえすれば、なんとかなるだろ!?』
そんな考え方。
本当はこどもが大好きな人。
赤ちゃんのときは、可愛がっていればよかった。
大きくなるにつれて、どう教育・しつけをすればいいのか分からなくなったパパ。
[以前]偽りのパパ像
そのころ仕事も大変そうで、上司との関係性とか、忙しさとかが色々と合わさった時期なんだとは思うんです。
遅くに帰宅し、そのときの家庭の前後の状況を考えもしないで子供を怒鳴り散らしていました。
私もフルタイムで働いてきて、こどもをお迎えに行って、急いで帰ってご飯の支度して洗濯して、こどもの宿題を見る余裕もなかった。
その上あとから帰ってきた夫が、こどもを大声で怒る。
私は、ちょっとしたカサンドラになっていました。
そんな状態だったので、息子が学校を休みたがるようになり、実際に休み始めた時にも相談ができなかったんです。
怒られるのが怖かった。私も息子も。
(いつまでも黙っているわけにはいかない。いつかは分かってしまうことだから。)
前回の記事に書いたように、この頃から前フリを大事にするようにしています。
「喧嘩したいわけじゃないからね。話を聞いてくれる?」
…細心の注意を払ったんですけどね。
…3回頑張って、低姿勢で説得したんですけどね。
…答えはいつも同じで。無理でした。
「これが俺のしつけだ」
そう言って譲りませんでした。
[変化]そうだ!ママとこどもで家を出よう!
こどもの涙と悲痛な声が頭のなかでリフレインした私は、仕事をしながら涙が止まらなくなってしまいました。
息子が不登校になって3週間した頃。家を出ました。
行く場所は‥迷いましたけど、一旦考える時間だからと駅前のホテルを取りました。
きれいなホテルで美味しい料理を食べ、こどもには駄菓子屋で豪遊させ、楽しいひとときでした。
離れて考えて、
『最後に直接、話をしよう。それでダメなら、もう離れよう』
そう決心して家に帰りました。
LINEと同じ内容をまた同じ言葉で返されて、声を震わせながらママは号泣。
こどもたちはシーーンと黙って、親の話を間近で聞いていました。
「分かってもらえないなら、一緒にいることがいいとは思えない!そっちが出ていくか、こっちが出ていくかだよ。」
『…こどもと離れるのは考えられない…』
(でしょうね!!本当は子供のこと好きですもんね!!)
そこまで言って、ようやく夫の変化が始まりました。
[進化]生まれ変わったパパ
「ママが勇気をだしてパパに言ってくれなかったらと思うと、怖い。あのときのこと、感謝してるんだ‥」
夫がそんなことを言ったのは、その翌月のことでした。
夫はアンガーマネジメントの本を買ってきて、勉強したようです。
どうしてもイライラが収まらないときは別屋に行き、自ら距離を取るようになりました。
さらにこどもへ注意するときも、しっかりとした説明が必要ということを今現在も学び中です。
当時パパと同じ部屋にひとり残されることに拒否反応を示していた息子も、徐々に安定していきました。
今ではムスメとともに、パパとキャーキャーと遊ぶ姿が楽しそうです。
誰しも迷って、間違えます。にんげんだもの。
そこからどうやって学んでいくかですよね。
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