見出し画像

#6 わくわく海外への旅 ラグジュアリー船に乗ることにした

ラグジュアリー船を選ぼうと思ったきっかけ
 

 初めてクルーズを選んだのが、2015年 シンガポール発着のカジュアル船 
シンフォニー・オブ・ザ・シーズ。乗客の高揚感が伝わる楽しい船だった。

 旅行会社から送られてきたパンフレットを見た時に、私はラグジュアリー船の存在を知った。その上質なサービスと美しい客室に目が奪われたが、値段を見てため息をつき、心の奥底では憧れるものの、一生自分には縁がないだろうとあきらめた。

 2019年両親の米寿の祝いをした。その時は、2人とも元気だったから、夏には日本海近郊と釜山をめぐるクルーズ船にのった。それが3人で行った最後の旅行になった。

 2020年から、我が家も介護の問題が出てきた。母は、私の仕事のために、週2回デイサービスに行くようにしてくれた。集団を好まず、今まで家で勝手気ままな生活を送っていたのに…..
  だが、4月からは、不登校ならぬ母のデイサービス拒否が始まった。初めは、喜んで行っていたのに。何があったのだろう。聞いても何も答えてくれないが、原因はなにかあると思った。
 ちょうどその年は退職する年で、父の健康問題もあり、自分でもよく最後の日を迎えられたと思う。私も体調の変化があり、ギリギリだったため「明日病院に行く」という父に強い口調で答えてしまった。たぶん我慢して、たまらず私に切り出したのだろう。でも、子どもたちがいるので、急に言われたら困るのだ。
 それは具合が悪い人に向かって酷なことだったし、自分も悲しくてやり切れなかった。そこで再任用を選ぶ同級生が多い中、私は仕事をしないで両親のことにも時間がかけられるようにした。
 
 そうして2023年の4月 骨折の影響で、家での生活ができなくなった父が母の居るケアハウスに移ることになった。その時2ヶ月ぶりに私は病院で防護服を着て父に会った。 
「これから生きがいのため短時間の仕事をしようかな」
という私に父は 
「仕事はせずに、楽して暮らせ。〇〇さん(私の大親友)と旅行に行って」
と言った。
 
 その父は、母と同室になって安心したのか、食欲がなくなり2ヶ月で旅立った。家では「なにを食べても美味しいね……」
と言っていた。私もそれがうれしくて張り切って料理をつくっていた。退職して両親に向き合えたことは、本当によかった。

 いろいろやるべきことが、片付き始めた8月 シルバーウィスパー号の日本一周クルーズがあることを知った。初めてパンフレットで見たあの船。2022年、2023年だけ日本発着。そしてこの秋がラストになる。母の体調もよいので、今はチャンスとも言える。

 考えてみたら、コロナの影響で、私の退職祝いも還暦祝いも全て吹き飛んだ。 最後の年は子どもたちと歌ってお別れをと考えていたのに、それも叶わず、オンラインで挨拶し、さよならをした。
 
 もし旅行に出かけるならば、4年ぶりになる。だったら清水の舞台から飛び降りる気持ちで、行ってもいいのではという気になった。
 もう一つの決め手は、何か本人、家族にあった時、約半額にあたるキャンセル料のサポート保険が付いていることだった。 2名1室だとカバー率はもっと上がる。

 クルーズ会社に空き情報を問い合わせたら、1室だけ残っていた。それを聞いて私のために残っていた部屋だと思って、すぐ申し込みをした。
 
 私は元々怖がりだが、それを上回る好奇心が湧いてきたとき、即断即決をする。それには長く付き合っている友達も驚くことがある。

実際に乗って知りたいこと
○  どんな人が乗っているのだろう。
○  ふだんと違う贅沢で美しいものにふれた時、私はどんな気分になるのだろう。


 あふれる期待感を抱き、私は出発した。 (つづく)
             


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?