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Your Paradise Hotel 第一話 自分は何者なのか

プロローグ
 あなたにとって『天国のようなホテル』とはどんなところですか。外国産のリネンを使った極上のベッド。一流シェフの作る豪華な食事。美しい調度品。スタッフのきびきびとした洗練されたサービス。
 そういったものを想像されるのであれば、私共のホテルの印象は初め全くの期待外れと思われるかもしれません。しかし3日間のご滞在を通してあなた様の今後の人生が変わる可能性があるのです。
 ただご心配には及びません。私たちがある考えを皆様方に押し付けるのではありません。お客様ご自身が私たちのご提供する環境により何か気づかれる場合が多いのです。また私共のホテルは以下の申し合わせをご理解いただく方のみご予約を受け付けます。
〇おひとりさまのご宿泊で、3日間当ホテルでおすごしください。
〇当ホテルではすべての電子機器の電源オフと全面禁煙をお願いしています。
〇ホテル内では名刺交換等は行わないで、すべての肩書を消したうえでご宿泊者様同士の交流をなさってください。
〇夜はランタンによる明かりのみです。夜の読書には不向きですし、テレビはございません。かわりに星空ツアーなどご準備しています。
〇カフェインの入っている飲料やアルコールの提供はしておりません。また持ち込みもご遠慮ください。これらの申し合わせにご理解とご賛同いただける
みなさま ”ようこそ Your Paradise Hotel へ!
 たかしの場合
 社長のたかしの一日は、秘書のスケジュール確認で始まる。社長になるまでは会社に貢献しているという手ごたえがあった。だが現在ではまるでベルトコンベアーに乗ったかのようにあいさつ回りをしている。これならば自分じゃなくても
社長の仮面をかぶった人が代わりにできそうだ。
「社長、お車がきました」と丁寧に対応してくれる部下もいる。私がただの人になればどういった態度になるのだろうか。
 ひとたび家族を見渡せば、就職したばかりの長男に
「仕事はどうか。うまく行っているか」と尋ねると
「別に」としか答えない。
 娘にいたってはスマホばかり眺めて顔も上げずに生返事だ。何か欲しい時だけ「ねえーお父さん」と猫なで声を出す。
 妻は更年期で調子が悪いのか、化粧っ気もなく不機嫌だ。若いころは部下から「奥さん、きれいでうらやましいなあ」といわれる笑顔のチャーミングな女性だったのに。
 会社でも家でも自分の「ここだ。」という場所が揺らいでいた。そんなとき目にしたのがyour paradise hotelのホームページだった。それもほとんど偶然のように「天国のような場所」というキーワードでヒットしたのだった。
 山道を歩いてたどりついたのは、ホテルとは名ばかりの保養所というのがぴったりな簡素な建物だった。ただ「ようこそいらっしゃいました。」と
出迎えてくれたスタッフの笑顔に職業的なものは感じられず、屈託のないまぶしいものだった。不思議なことに名札には彼らのファーストネームのみが書かれている。
 このホテルには五感を刺激する部屋がある。たかしが訪れたのは『泥の部屋』だった。泥を使っていったい何をするのだろう。今、女性に人気のクレイパックの類いだろうか。
 ガラーンとした部屋には5m四方ぐらいの泥のスペースがあった。「まず、裸足になって泥の感触を味わってみましょうか」といわれ、
足を中に入れた瞬間、指と指の間からにゅるりと泥が出てきて、くすぐったくておもわず笑いが込み上げてきた。
 その感触に小学生の時の田植え体験を思い出した。たかしの家はサラリーマン家庭だったが、友達のこうじはおじいちゃんのところで田植えの手伝いをしたことがあり、慣れた手つきだった。あの頃は縁側に寝転がり宿題をすますと一目散に駆け出して遊びに行ったものだ。また粘土で怪獣を作って戦わせ、攻撃されたらまた改造して遊んでいた。
 「それじゃそろそろ、泥だんご投げをしましょうか。いったん足を洗ってこちらで用意した服に着替えましょうか。もちろんお洗濯はこちらでしますので」「えっ。この年になって泥だんごを投げるのか。」たかしは一瞬とまどったが、スタッフのあきらが「じゃ、いきますよ」とたかしの胸めがけてさっと投げてきた。それは見事に命中したので、たかしは「汚れてしまった」と取り返しのつかない気分になった。しかしあきらはけらけらと笑っている。「よーし。こっちもお返しだ」たかしもあきらめがけて投げたら、おなかのあたりにどんと当たり、泥がはねた。
 後は覚えていない。逃げても、逃げてもあきらは投げ方がうまいので、つかまってしまう。そのうち汚れも全く気にならなくなった。こんなに我を忘れて子どものようにはしゃいだのは何十年ぶりだろう。最後はプールのように泥の中に寝そべって、わざと顔にも泥を塗りたくって終わった。
 シャワーを浴びた後、次の「粘土の部屋」に行った。ろくろを回して陶芸をしている人もいる。たかしはそれには目もくれずに粘土で怪獣を作り始めた。
 昔取った杵柄とはよく言ったものだ。手が勝手に動いていく。のぞきこんだあきらが「すごくリアルだなあ。素敵だからこの部屋に飾ってもいいですか」と言ったので一瞬とまどった。だがほめられてまんざらでもない気持ちになった。
「こんなのでよければどうぞ」
そういうが早いかあきらはたかしのゴジラをもっていってしまった。明日もこの部屋に来ようと思った。
 翌日は先客がいた。高校生ぐらいの細くきゃしゃな体に大きな目が印象的な子だ。ゆうきというその生徒は何か表現したそうだがその思いをどうあらわしたらいいのかわからないようで、粘土は置かれたままだった。あきらが
「このゴジラを作ったのがここにいらっしゃるたかしさんです。すごいでしょう」
とゆうきに話しかけた。ゆうきは隣のたかしに
「どうやったらそんなに上手に作れるのですか」
と尋ねた。
たかしは、
「こういったものに上手、下手はないのだよ。その人のエネルギーが作品に入ったときそれはとてつもない力をもつのだ。それが見る人の心を揺さぶる。だから技術ではない。そして型もないんだ」
「そうですか。それなら僕にも作れそうな気がしてきた」そういうとゆうきはいきなり粘土をたたきつけ、表面を竹ベラで荒々しくえぐり取りながら、瞬く間に一つ作り上げた。
 たかしはそれを見て、
「君のこの作品からは激しい怒りのようなもの、また自分の気持ちを伝えたいという強い思いを感じるのだが」
そう言うと
「僕は学校になじめず、休んでいます。自分を変えたくてここに来ました。友だちからからかわれても嫌だと言えずにうじうじとしているのです。僕はそんな自分が嫌なのです」
「そうか。でもうじうじとしている人はここに自分から来ないよ。君は自分で行動ができる勇気のある人なのだ。もしかしたら繊細だからちょっと集団がにがてかもしれない。勉強はやる気があれば単位制や大検もあるし。君に合う場所を選ぶという方法もある。選択肢はいろいろあるんだ」
「たかしさん、ありがとう。」
ゆうきはお礼を言って
「近くにおじさんのように粘土が好きで優しい人がいてくれたらいいのに。」
とつぶやいた。
 私のことをよく知らないゆうきが言った「粘土好きの優しいおじさん」
その言葉だけで十分だ。これからは社長業に加えて陶芸教室に通おう。ただ茶碗づくりは作品が増えると妻に文句を言われそうだから内容は考えたほうがよさそうだ。今は昔と違って粘土もいろいろな種類がありそうだから探すことにしよう。
 単調だった生活に明かりが灯るような予感がした。
 


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