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Your Paradise Hotel 第二話 色の無い日々

まゆみの場合

目覚ましの音が鳴ったが今日も体が重い。この頃起きるときに
時々めまいを感じることもある。
主婦の代わりはいない。誰かが
「朝食ができたよ。温かいうちに食べて。」
とほほ笑んでくれたら。どんなにうれしいだろう。

まゆみはよろよろと起き上がった。
娘はいい大人だが、食事は全く作らない。
これにはまゆみにも原因がある。

自分のスタイルがあるので
あっちこっちに調味料や鍋を置かれるのがいやで
「いいよ。お母さんがするから。」と断ってきた。

どうにか朝食を作ってみんながバタバタと出て行ったあと、
ふいに空しさが襲ってきた。

「なんのための人生だろう。
このまま人に尽くして終わっていいの?」
そう思って洗面台の鏡を見たら、顔色が悪くて
さみしげな眼の自分がいてぎょっとした。

それは髪をとかす前にふと見るつくった表情ではなく、
無防備なだけに真の姿だと思った。

だから食卓の家族はいつも顔を上げずに
ただ黙々と食べていたのか。


知り合いに体調の悪さと気分の落ち込みを話したら即座に
「それは更年期だから多かれ少なかれみんなが通る道よ。
気分転換に明るい色の服を買ったら?」
といった。

そこでまゆみはオレンジ色のTシャツを買い、
差し色としてジャケットに合わせることにした。

ところがこれが全くなじまない。オレンジ色の華やかさが
いっそう青白い顔を疲れたものにした。
それでしかたなく一度も着ないまま、しまいこんでしまった。


パラダイスホテルのことを知ったのはちょうどそんな時だった。
美大を出たまゆみは学生時代から絵が好きで、ホテル内にある
『色彩の部屋』に興味を持った。

でも家族が
「3日もお母さんが家にいなかったら困る。」
ときっと言い、行けないだろう。

夕食の片付けをしながら家族に旅行のことを
切り出すと
「家にばかりいないで、たまには気晴らしをするといいよ。」
ともろ手を上げて賛成したのが意外だった。

「それじゃ 晩御飯はどうするのよ。」
ときくと息子は即座に
「お母さん、外食もあるし、テイクアウトもある。食事の心配は
全くいらないよ。」
となんだか喜んでいるように見えた。

「それではいったい何のためにわたしは家にいるのだろう。」
という思いにかられた。だがそれをぐっと押し込み、
まず行けるということを
ポジティブに受け止めようと思った。

まゆみが気になっていた 『色彩の部屋』 に入った途端、
そのまぶしさとエネルギーに面食らってしまった。
色とはこんなに美しいものだったのか。

わたしの生活にはつくづく色がなかったと気づいた。
いや正確にはそれぞれの色が輝きを失い、にぶい色に
なってしまって他の色と見分けがつかないのだ。

どこに行こうか迷っていたら、スタッフのまいから
ハーブティーを勧められた。まいは
「ハイビスカスティーにハチミツでちょっとだけ
甘みをつけませんか。」
と言う。まゆみはすかさず
「わたしは、ハーブティーには甘みをつけない・・・。」
といいかけて、わたしはいつも自分の意見を通してしまうので
アドバイスを断ったらここに来た意味はない。

「今日だけはハチミツを入れてみよう。」
と思い直した。

飲んだ瞬間、ほのかな甘みが体中に広がっていき
涙がとめどなくあふれてきた。

ああ、わたしは甘み、言い換えれば優しさを欲していたんだ。
スタッフのまいは気を利かして何処かに行ってしまった。

ふと目をやると、部屋の片隅にドレッサーがある。
何でこんなところにと眺めていると
スタッフのみさきが声をかけてきた。

「ちょっとお化粧されませんか。」
ここ1、2年ほとんど化粧をしていなかった。

まゆみは一瞬ためらったが、鏡の前に座った。みさきは
「色付きのリップをつけてみましょうか?」
「いかがですか?これだけでもお顔がいきいきしますね。」

まゆみもちょっと色が入っただけで
こんなに印象が変わるのかと驚いた。

「お化粧は人に見せるためだけでなく、自分を
愛しむためにあるのです。ちょっと調子がよくない時も
お化粧をして顔が元気に見えると、気分がよくなることも
あるんですよ。」

鏡の中のみゆきは微笑んだ。

それからどんな色の服が似合うのかカラー診断をしてもらった。
みゆきはサマータイプで紫陽花のような淡い色が似合うそうだ。
だからオレンジ色を着たらかえって疲れた印象に見えたのだ。

奥にはキャンバスに向かって絵を描いている人がいた。
まゆみは学生時代に色選びのセンスがいいとほめられたことを
思い出した。そして時間がたつのも忘れて無我夢中で描いた。

こんな充実感は何年ぶりだろうか。
自分がしたいことを自由にできるのは素晴らしい。

そう考えると自分は家族に窮屈な思いをさせていた。
家族の健康を気遣うのはいいが
「添加物が多いからこれはダメ」
「豆類は体にいいからたくさん食べて。」
など自分の考えをみんなに押しつけていた。

その重たさが食卓から笑顔や楽しい語らいを
奪っていたのかもしれない。『いい意味での適当』
これはまじめなまゆみには難しいかもしれない。
でも、気づいただけで一歩前進だ。



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