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#10 エネルギッシュなアジアの旅 なぜか懐かしさを感じる台湾

 台湾と日本の関わり

私は、台湾にこれまで3回出かけたが、いずれも戦前の日本の教育を受けた年配の現地係員の方にお世話になった。80歳代のある女性の方は、お兄さんが日本の大学で学び、大学教授となって、生涯京都で暮らしたとのこと。以前は日本人観光客の案内をしていたが、もうずいぶん前に引退している。でも今回年末ということもあって、現地係員の数がどうしても足らず、頼まれて断れなかったと言われた。「こんなおばあさんでごめんね」と初めに挨拶され、日本のおかげで大陸より20年も発展が早かったとお礼を言われた。

私たちが忘れている「報恩」と言う考えが今も息づいている。新しいものをすぐに取り込む日本人が忘れがちな『古くても、大切な価値観』を何十年経とうが、敬い守っている。

果たして、自分たちはどうなのか。古めかしいからと良いものも全て捨てているのではないか。私たちにお礼を言われるその方の言葉に、心がざわついたのも事実だ。

ダム建設、農業振興等 様々な分野において、場合によっては私財を投じながら台湾発展のために貢献した日本人の功績は今も語り継がれている。でも、私たちが知らないだけで、台湾のために尽力した方は、もっとたくさんいたであろう。

数年前、私も熊本出身で、地域の子どもたちの教育に尽力した志賀哲太郎氏のことを知った。ご親戚は私のお世話になった先生だ。貧しいため学校に行けない子どもたちのために自分のお金を出して、何とか勉強が続けられるようにしたそうだ。(詳しくは下の資料ご覧ください。)

台湾の観光地


坂道の続く九份の通り

台湾で人気の九份は、「千と千尋の神隠し」のモデルになったのではと言われるレトロな街並み。台湾伝統のお茶もゆっくり味わえる店もある。狭い坂道にたくさんのお店が並ぶ中、先ほどの女性係員の方は私たちにおまんじゅうを買ってご馳走してくれた。また台中の宝覚寺では、仏像の後にある日本人墓地に私たちを案内され、お墓に向かって「懐かしい日本の方々がいらっしゃいましたよ」と声をかけられた。

九份のレストラン(伝統的なお茶も楽しめる)

台湾の料理は、どこもリーズナブルでおいしい。今から15年ほど前に訪れた際は、大豆タンパクを使った精進料理を食べた。「大豆ミート」は今でこそ日本でもよく聞くが、旅行に行った当時はまだとても珍しかった。

そして、有名な鼎泰豊(ディンタイフォン)へ 手の込んだ美しい点心が味わえる本店に行った。旅行社が事前予約しているので、すぐ食事ができたが、人気店なので、個人で行ったらいつ順番が来るのかわからなかった。

日が暮れてくると、屋台が出て台湾の街がいっそう華やぐ。日本でも話題になる台湾スイーツがとても魅力的だ。

夜の台北のきらびやかさ
台湾スイーツ 豆花(トゥファ)

北京にある故宮博物院に行ったことがあるが、台北のほうは圧倒的な所有数だ。北京から内線の戦火の中、蒋介石率いる国民党が運んだ。歴史の資料集で見たことのある『翠玉の白菜』等の宝物が目の前に並んでいた。

この記事を書き始めた時、花蓮の地震を知った。どこにいても災害の危険性があるが、これまで経験をしたことのないものであれば、備えも緊急時の対応もわからなかったかもしれない。

1日も早い復興を こちらからただ祈るしかありません


8年前、熊本地震の強くて長い揺れを体験した私は、この世の終わりを覚悟しました。そして、とても不思議なのですが、そんな中で祈ったのは、大地の中で動く大きなエネルギー向かって「どうかお鎮まりください。お鎮まりください」という意外な言葉でした。

本震の翌朝は目の醒めるような青空で、庭の牡丹が美しく咲いていて、築35年以上の木造住宅がほぼ被害もなく、誇らしげに立っていました。しかし、30年近く咲いた庭の牡丹は 秋には、枯れてしまいました。


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