展覧会レポ【雪舟伝説】@京都国立博物館
4/13~5/26まで京都国立博物館で開催されていた【雪舟伝説】にすべり込んできました。最終日にいきましたので、すでに閉幕しておりますが、「雪舟がなぜここまで有名になったのか」という視点で構成された、興味深い展覧会でしたので、レポートしたいと思います。
まず、この展覧会のパンフレットの中央にはデカデカと
と書いてあります。どういうこと??
『雪舟伝説』なのに『雪舟展』ではない…?これはなにかの謎掛けでしょうか…?
続いて、こうも書かれています。
なるほど、なるほど。
にしてもこの文章、惚れ惚れしてしまいます。
今回の展示が、単なる雪舟展ではないということよく分かる文章です。
・なぜ雪舟は「画聖」なのか
・雪舟はどう評価されてきたのか
・雪舟はどのように学ばれたのか
このように雪舟がどのように受容されてきたのかを探ることで、雪舟神格化の過程を明らかにしようとしています。雪舟本人でなく、雪舟の周辺から雪舟の真実に迫ろうとする試み…。ゾクゾクしてしまいますね!!
雪舟を継ぐのは俺だ!!
雲谷派と長谷川派と銘打って展示された作品の数々。雪舟の正統の後継者を自称する雲谷派と長谷川派の作品がズラリと並びます。
興味深かったのは、雲谷等顔も、長谷川等伯も雪舟からは直接教えを受けていたわけではないということです。つまりは私淑。
何かアドバイスをもらったわけではないにも関わらず、「自分は雪舟の後継者です」と語ります。作品にはわざわざ「自雪舟五代(雪舟より五代)」と記す徹底ぶり。わざわざ記す理由としては、その時代において雪舟の正統だ名乗ることが1つのステータスだったと考えられます。雪舟の名を語ることで自分の価値を上げようとしてることが分かります。すでに雪舟が神格化していることが分かります。
贋作の重要性と役割
現代では否定されているものの、当時は「雪舟作」とされていたものも展示されていました。偽物であるならば展示する意味がないのでは?と思いがちですが、今回の展示のテーマは「雪舟の受容」「雪舟神格化の過程」です。人々はなぜその贋作を本物としたのか、また、その贋作は本物の雪舟の作品のどういう部分を取り入れているのかを探ることで、雪舟の受容のされ方が見えてくることでしょう。
パンフレットにはこう書かれています。
江戸時代では、雪舟画とされた贋作が流布し受容され、その画風が雪舟という画家像を形成していたわけですね。実に面白い!
書にもつうじる模倣という文化
雪舟の絵は様々な形で参考にされ、模され、学ばれています。書でいうとまさに「書聖 王羲之」的存在でしょう。展覧会の作品にも、雪舟の構成、様式、テーマを模倣したとされる作品が展示されています。もちろん、そのままそっくり写すというわけではなく、テーマの改変があったり、一部省略が見られたりと、模倣した作家自身が雪舟画のどの部分を切り取ったのかがよく分かります。
私たち書を愛好する人間も、先人たちが残した筆跡を学び、模倣します。そして直接先人たちに教えてもらったわけではありません。(しかも王羲之の作品については、真蹟すら残っていない…。)しかし、王羲之の筆跡に近いとされ、古来から受容されてきた「蘭亭序」を評価し、学び、神格化してきたわけです。これはまさに今回の雪舟の神格化の過程と似ているのではないでしょうか。
芥川龍之介は今昔物語や宇治拾遺物語をもとに新たな作品を世に送り出しました。これも、直接作者に教えてもらったわけではなく、芥川自身が古典の世界を近代の目線から見ることで誕生させた「模倣」の一部と考えることができます。模倣は、詩書画の世界において創造的な営みだったことが分かります。
雪舟神格化の過程は、どの分野でも当てはまるのでは?
人々が憧れ、人々が模倣し、贋作まで出てきてしまう。そして、その贋作も本物そっくりに描かれ、本物のように扱われ、人々に受容される。
贋作はそれを作った人の視点を浮き彫りにし、その視点を大衆が得ることで、雪舟の絵の評価が定まってくる…。そしてその視点が絵だけなく、雪舟本人の作家論の形成にまで一役買っている。
さらに、雪舟という人物を後世の文人たちが著すことで、雪舟の位置づけが明確なものとなってくる…(『笈の小文』松尾芭蕉など)
こんな感じでしょうか…。(私はそんな風に受け止めました)
絵の凄さもさることながら、雪舟という人物がどのように流布されていったのかを少し知ることが今回の展覧会。巡回展がないということで、残念ですが、書にもつうじる視点を得ることができました!!
書の世界は複雑で、さまざまな分野につながっています。
‐書の奥深さ、すべての人に‐
&書【andsyo】でした。
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