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支配と自由とインナーチャイルド

インナーチャイルドは絶賛怒り叫んで私を煽ってくる。

今更気づいたふりしやがって!私はあんたなんだよ!
子どもの時だけじゃないだろうがよ!あの職場でもこの職場でも、大学でも高校でも中学でも、嫌な奴はたくさんいてどいつもこいつも敵だと思っていただろうが!

そう喚き散らしている。
子どもの頃から、周りとたくさんぶつかったように思う。
どの場所においても、しばらく経つと不穏な空気になり、なんかうまくいかない。
人とぶつかってしまう。
空気に気づくし、気にしいなのに、「適切に気を遣えない」のだ。
これは致命的。
でも、なぜそうなのかわからない。

社会に出ると、がむしゃらに働いた。
苦手な車の運転も先輩からのしごきも「死ぬ気でやればなんとかなる」「あれより(幼少期の家庭での生活)マシと思えば大したことない」と思った。
何が自分に向いているのか、何が好きか、考えていなかったわけではないが、
思い違いをしていたように思う。

何が向いているのか、何が好きか、何がしたいか。
その言葉の意味を勘違いしていたように思うのだ。

大学に入る時、地元から離れ他県で一人暮らしをした。
学びたかったわけでは決してない。
あの家から逃げたかった。一刻も早く逃げたかった。
そして、両親に私のためにお金を使って欲しかった。
見栄っ張りの両親は、三流大学でもそれなりの大学に入れたと喜んでいた。
福祉を学ぶことについても、病気で障害のある姉のことを私が考えているのだろうと好意的だった。とても。

私立の大学に入れて、一人暮らしをする。
それなりにお金のかかることだ。
私が小学から中学くらいの頃は、我が家には金銭的な余裕がなかった。
しかし、両親の仕事がそれなりに落ち着いてきて、姉の治療もそれなりに落ち着き障害認定されたあたりのこと。お金の面は、それなりにではあるが、落ち着いてきていた。
私はそれに気付いていなかった。でも、この家から出たいとは思っていた。
猛烈に出たかった。
だから、最初は「専門学校に行きたい。そのためには家を出るしかない」と両親に交渉した。そこで大学に行かせたい父の意向を初めて知った。学びたくなんてこれっぽっちもなかった。
当時の担任の先生と話して、福祉を学ぶのどうだろうか、興味はないか、と確か提案された。
これで、道が開けるかもしれない、と思った。
しかし、先生が勧めてくれたところは私立大学でこれは無理だろうと思った。
だから父が、あの母が、4年間なんとか頑張るからいきなさい、と言ったときは驚いた。
あの、幼少期の貧乏な生活はなんだったんだろうか、と不思議だった。
お金、あるんじゃないか!と思った。
不思議に思われるかもしれないが、無性にこの時腹が立っていた。
お金があるなら、もう少し安定した生活を送りたかった。必要なものを買って欲しかった。お洋服も体操着も下着もちゃんと必要な頻度で買って欲しかった。

しかし、きっとあの両親にそれは無理だったのだと思う。
姉の治療のこと。そして自営業のこと。
そして、一番大きな問題は、
二人ともお金の使い方がどうしようもなく下手くそだ
ということ。
どんぶり勘定なのだ。見栄っ張りな母は次から次へと買い物をしてしまう。
食費は今でも膨大にかかっている。買ってきは冷蔵庫の中で腐らせている。
すぐにスーパーでお寿司を買ってきたり、ファミレスに外食に行く。

もちろん働いているのだから、それを決して責めているわけではない。
ただ、母は、使える金額の範囲を把握して買い物をすることができない。
気持ちのままにお金を使ってしまう。
そして、後から足りなくなるとイライラしだす。
私たち娘が必要なものを言うと、高圧的な態度で怒鳴る。侮辱する。無視する。
どうしようもなかった。

両親は宗教にもいくつかハマっていた。
これは私の中で普段人には決して話さないこと。すごく態度が変わるから。
言いたくないこと。
いくらつぎ込んでいたのかは知らない。
でも、恐らくお金の使い方が下手くそで、見栄っ張りで我慢の効かない母、そして父は、行き当たりばったりで色々小金をつぎ込んでいたのだと思う。
私はそれを責める気はない。宗教は自由だ。
そして、姉の病気のことを考えると神様に縋りたくなる気持ちは相当のものだったと思う。
それでも、このことで友人関係にヒビが入ったことも何度かあり、
家にそれらしき人が出入りして鍋を買わせられたり、勝手に私の頭に手を置いて祈ったりされて気味が悪かった。鍋を買うくらいなら下着や私服を買ってくれよ、と思っていた。

それでも、見栄っ張りな母、そして父は、私を大学へ出してくれた。
やっと、あの家から出られた!これで自由だ!私は自由になれた!
そう思っていた。

けれど、本当に本当に不思議なのだが、私は大学入学しいて少ししたら
あの家に帰りたくなった。今考えてもそんな自分が気持ち悪い。

大学はまともな人たちの集まりに見えた。
みな、当たり前のように毎日違う服を着て、生活は整って見えた。
人間関係の構築もとてもスムーズに見えて狼狽えた。
何より、授業が全然わからない。先生の話が頭に入ってこない。
この時、私は初めて気づくことになる。
人の話が理解できない。集中力が人より随分ない。
大学の授業は90分。最初の10分も話が理解できない。
隣でノートを取る学生を見て、何を書いているのか不思議でならなかった。

よくそんな知的レベルの私が入学できたものだ、と思った。
ひどく自分がバカに感じた。
集中して聞こうとするのだが、ついぼーっとしてしまっていた。
何か大事な話を先生がした後、ハッとして「今、先生なんて言っていた?」と近くの子に聞くことが何度もあった。
これには自分自身でひどく驚いた。
うっすら高校の授業や友達との会話の中でも、気付いていたが、
これでは授業についていけない、と恐ろしくなった。

今振り返っても、なぜ話を聞くことができなかったのかわからない。
ちなみに今でも、興味のないことは注意していないと聞くことができないし、
たとえ聞けたとしてもすぐに忘れる。
今回、機能不全家族について調べた時に、生活が安定していない家庭で育つと集中力や話を聞く力が備わりにくい、と言うことを知った。

うーん。知った、からといって改善されるわけでもないようだ。
なんなんだよ!意味ないじゃんかよ!とふて腐りたくなるが仕方ない。

話を戻す。
私が一人暮らしの生活から、逃げ出した実家に帰りたくなったことだ。
私は、それなりにサークルに入り(サークル選びにも失敗しているが)、友達もそれなりにできた。しかし、友達とどうやって距離感をとったら良いのかわからなかった。そして、どうやって「普通の子」になれるのかわからなかった。

これまで母親のとてつもなく強い「支配」が無くなり、不安になった。
支配されていることは自由がないということ。
言われたことをする、怒鳴られたらしない。
そういうシンプルな生活が無くなり、どうしたら良いのかわからなかった。
急に放り出されたような気持ちだったのだと思う。
そして、周囲の人は「ちょっと変わっている」という目で自分を見ている気がしいた。
具体例を挙げられないのだが、普通のことを知らない、できない、私のことを
「え??」と指摘されたことは何度もある。その度に私は恥ずかしくて惨めでならなかった。今のようにインターネットの環境が整っていない時代。
ググって調べてみる、ということができなかった。
あの時にスマホがあれば、きっと私はいろんなことを調べて安心していただろう。
この辺はきっと理解してもらいにくいと思う。
普通のことって、あまりにも生活に馴染んでいてささやかなことで日常で、意識してないこと。箸の持ち方、ご飯の食べ方のように。
私はそれらのことでも指摘された。
ああ、だから高校時代や中学時代、友達にあんなふうに言われたのか、あんなふうな目で見られたのか、と合点がいくことも多かった。
最近ではやっと「育ちが悪い」ということはこういうことか、と納得している。
今更すぎて笑ってしまうのだが。

母の支配。
それは今思い返しても強烈だったのだと思う。
支配下にいるときはしんどくて逃げ出したいのに、外の世界に出ると自分があまりにも異質で馴染めなくて生きづらくて、元に戻りたくなる。
しんどい環境だったとしても、そこで耐えて生きる術は身についているのだから。

放り出された私は、大学でも必死でもがいていた。
そして、たくさん人とぶつかって(かなり私の中では派手にぶつかった)、
しんどかった。

大学時代、一時期山崎まさよしの「あじさい」という歌に出会って、しばらく毎日聴いていた。それがないと眠れなくなっていた。


これを書いていたら久しぶりに思い出して聴いた。
とても良い歌だ。やさしい。

ああ。インナーチャイルドはまだまだ怒っている。
この子は癒される気があるのか。少しは癒されてほしい。
牛歩だけれど、きっときっと自分でインナーチャイルドを癒す。
私にはそれができる。
生活を楽しみながら、諦めずに進みます。

長い!長ったらしいジメジメした文章で本当に自分でも嫌になりそうだけれど、
しばらくは自分のためにやってみようと思う。

最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。
承認欲求の強いインナーチャイルドは喜んでいることでしょう。

ヘッダーの写真は、郵便局で買ったヒグチユウコさんのイラストの切手。
なんて可愛い世界なんだ。郵便局はたまにしか行かないけれど、意外と時期で可愛い切手や文房具が売られているので、つい買ってしまう。


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