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隙間時間にコーヒーと本を

午前中、眼科検診に行ってきた。
「いつ行ってもいいけど、早めに行ったら気持ちがすっきりする」というものを早めにこなすと落ち着く。
というか、気持ちがもやもやしている時は特に、
もやもや事項には直接関係はなくとも、
生活の済ませておくべき事項を淡々と進めると、気持ちが凪ぐ。

視力は0.6と0.5で去年と変わりなし。
診察の時のこと。
問診票を見た医師(女性)から「大腸がんだったのね。内視鏡で取ったの?」と聞かれ「あ・・まあはい」と適当に答えたら「私ね、去年まで消化器にいたのよ」と話が続き更に詳しく尋ねられたので「あ、というか(直腸を)全摘してストーマです」と答えると、私の顔をじっと見つめて「そうだったの。大変だったわね。目の方はなんともないわよ。大丈夫」と重みのある口調で仰った。

問診票に書いたことにコメントをされると思っていなかった。
先生の話し方、佇まいと表情にハグされたようだった。
そんな気持ちになった。

眼科の後本を開こうとするが、検査の目薬のせいでぼんやりとしてあまりよく見えない。それでも、どうしても本が読みたくてスタバに入って本を開いた。
ゆっくりゆっくり読み進める。
桜木紫乃さんの「起終点駅 ターミナル」を読み終えた。
国選弁護しか引き受けない男性弁護士の、慎ましい生活の描写が好きだった。
冷やし中華やマカロニサラダ。普段私が作らないものが登場して、余計にそそられる。冷やし中華はここ数年食べてないかも。

ちょっとした隙間の時間にコーヒーと本を読む。
コーヒーの香ばしい香りは気持ちが浮き立つような安堵するような、不思議や高揚感を連れてくる。
数口味わったら本を開いて没頭する。
その時の気分にあった文章や物語に出会うと、最高に至福な時間となる。
贅沢を言えば、窓から少しでも緑や空が見えると嬉しい。時折顔を上げた先に、木々や草花、雲が目に入るのが理想。気持ちが穏やかになっていく気がする。
30分でも15分でも。
誰かを待っている、ほんの数分でも。
私にとっては、あると嬉しい時間。

今日は図書館で「アンネの日記」を借りてきた。
教科書で抜粋部分だけは読んだことがあるように思うけれど、
全部は読んだことがなかった。
小川洋子さんのエッセイや小説にたびたび登場するので、以前から気になっていた。分厚いハードカバーのため、バッグの中で存在感ありありで移動には不向きだけれど、早く読みたくてうずうずしている。

働き出したら、ゆっくり本を読む余裕はしばらくないかもしれない。
それでも、本もコーヒーも私は好きなことは変わらない。
きっと、バッグに本を一冊忍ばせておけば、
コーヒーショップの前を通れば、
考える前に体が自然と導かれて、ふらりと入ることになるだろう。

無理をしなくても、しようと意識しなくても、
自然と体が動くのがすきなことなんだろう。
文章を目で追うだけで頭に入ってこなくとも、
コーヒーを飲みながら本を開くことで、気持ちがほんの少し整う気がする。

島田潤一郎さんの「古くて新しい仕事」を読んだ。
島田さんは吉祥寺の「夏葉社」という出版社を立ち上げて今も一人で運営されている。そこに至るまでの経緯や、これまでの出会い、仕事に向き合う姿勢、本への愛が綴られている。
きっと繰り返し読むことになるだろうな、という本に出会えた。
たしかな良本だ。
働くこと、生きること、本のこと。
シンプルだけど奥深く、緩やかなのに力強い情熱に溢れた本だった。
島田さんの他の作品も読んでみたい。

星野概念さん(精神科医)と、いとうせいこうさんの対談形式の本も面白かった(「自由というサプリ」)。
二人の対談で触れられていたように、
もっと気軽に心療内科や精神科の受診ができたり、カウンセリングを受けられるような社会になったらいいなと私も思う。
そして、障害や病気、特性の理解が進み「助けてあげよう」「手伝ってあげよう」ではなく、ただ自然と手が伸びるような社会になったらいいな。
で、必要のない時はそれを「ありがと!大丈夫!」と自然と断ったり(ありがとうすらいらないのかも)、断られても「おう!そうか!」くらいの気軽いやりとりができたらいい。そしてそれは、健常者同士でもおんなじなんだよな。

明日もバッグの中に本を忍ばせておく。ここぞという時間のために。

濃厚な一粒だった。

あ。コーヒーだけでももちろん良いけれど、ちょこっと甘いものがあると尚良い!

今日の夕飯は、サバとじゃがいものガーリックソテーに、作り置きのラタトゥユと枝豆とトマトと玉ねぎのサラダにごはん。
今日は火曜日。ドラマ「燕は戻ってこない」を観なくては。

それではまた。



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