「チーマーと戦国武将」考察


昔、渋谷でチーマーを観た時、やたら

「背が高いな」と。


彼らはあのエリアを庭にして遊びまわっていたのだろう。

まぁ過干渉の毒親環境で委縮して、
周囲にひたすら気を使ってきた自分なんかとは真逆だろう。
自分のスペースは内部にしかない。
あのマイケルジャクソンが声が高いのも似たようなニュアンスを感じる。
内圧が高いバスケットボールの様にパンパンであり、
それがあの悲鳴のような歌声に変換されるのだろう。

逆にチーマーはパーソナルスペースとなる水槽が巨大なわけだ。
地域全体を活動し、自分を解放して成長してきたのだろう。
環境と融合してあのフィジカルが成り立っている気がするのだ。

これとリンクする根拠としては、
夏休み中に「一気に背が伸びる小学生」の事である。
あれも心理的な解放感から成長ホルモンが放出された気がする。

結局フィジカルを育てようとすれば、開放的な環境を得る以外なく、
法や規律で束縛すればそれによって逆に「盆栽」が出来上がるのであり、
日本の教育制度はまるで人をミニチュア化するシステムの様に見える。

管理されれば委縮する。
教育や法というのは共存の為の心理的矯正具だろうが、
必要以上に締め付けられれば誰もが不具者になる、これが「洗脳」だろう。
明らかに日本人はスペースを固定され、
作為的にブロイラーとして育てられている気アするワケだ。
要は、

「家畜制度」だ。


チーマーと「じゃりん子チエ」に出てくるテツは同じだろう。
精神年齢の低い彼もパーソナルスペースが大きく図々しい。
なんせ他人を平気でぶん殴るくらいだ。
四六時中他人のプライバシーを破壊するならきっと女風呂にも入るだろう。
自分を解放し続ける事であのフィジカルを得ている。

そういうモチベがある以上、
三国志演義の武将なんかの肥大感なんかは、なんとなく理解できる。
図体がでかくなるのはパーソナルスペースと関係している。
彼らの侵略行為も根源はおそらく本能的なモチベであり、
生存圏とかそういう理由ではなく、パーソナルスペースの肥大化だろう。
ひたすら外的刺激のレスポンスを求めて活動の原動力にしていると。
性欲なんてのもレスポンスであり、他人のスペースへの確認行為だ。
男色なんていうのが横行していたのもそこにある気がする。

このパーソナルスペースの奪い合いで人間は生きているので、
十分なスペースがなければストレスが発生し、犯罪が起こる。

東京で出会った地元民はどうやらそれで俺に恨みがあったのだろう。
自分はよそ者として彼のパーソナルスペースを侵略したのだ。
だから心当たりのない因果をこじつけられている。

彼等からは初手から悪意と支配欲を感じていたが、
30年たってなお未だに粘着しネガキャンを続ける心理は異常である。
彼はよそ者を自分の装飾品として未だに情報収集し、全否定しつつも、
趣味嗜好を必死にコピーしながら優位性をずっとアピールしている様だ。
「エナジーバンパイア」だの「うぬぼれるな」だのと自己紹介を連発し、

必死に「自他のポジションの入れ替え」をやっている。

呪術廻戦の藤堂が手を叩くと入れ替わる、あの感覚だろう。
彼の地元にたまたま住んだよそ者は、永久にあの内弁慶の基準なのだ。
わずかな接点であったにもかかわらずいまだに紐づけされている。

当時の彼は全てに権利を主張し、縄張りを独占していた。
あれもダメ、これもダメと目を赤くしてよそ者に対し権利を主張していた。

わずかな接点を持ったばかりに今も所有権を主張しているのだろう。
外部にアイディンティティを求める人間は無限に執着するらしい。
男の他人の中にマインドペニスの専用スペースを求めているのだろう。
要はこちらは膣かオナホだと思われていると。

あのエターナルレイパーは不快だが、行為が性欲なので抑えきれないのだ。
関わった時点で男女の様に勝手に契られてしまったのだろう。
あの欲ブトラーに知らぬ間に勝手に婚姻届けを押されていたと。
或いはだからメンヘラの彼はあんなに欲太っている気がする。
ああいったアニマルの考えは理解しにくいモノだ。

おそらく今もケツを狙われているという事だろう。


そういう考察。

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