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百花

「長崎の郵便局」が今年ベストかなと思っていましたが、あっさり記録が塗り替えられました。ネタバレしてます。

ざっくりあらすじ

シングルマザーに育てられた主人公のイズミは小学生のころ、母親が1年ほど失踪した。イズミは母親がそのうち帰って来るだろうと、しばらく一人で暮らしていたが、食べ物がなくなり途中で祖母に助けを求める。母親は自宅で開いていたピアノ教室の生徒であった男と神戸にいた。男は大学の先生で妻もいたが、神戸の大学に呼ばれていると言い、イズミの母親を現地妻とし、共に暮らした。1995年1月17日、阪神淡路大震災が発生。イズミの母親は一人で神戸の家で寝ていた。飛び起きて外に出た彼女は、息子の名前を叫ぶ。どういったいきさつかは映画の中で描かれていなかったが、その後に母子は再び一緒に暮らす。結婚し、大人になったイズミは母親の認知症を知る。どうして自分を置いていったのか聞きたい思いと裏腹に、母親はすべてを忘れていく。

見て考えたこと

忘れることで分かることがある

イズミとイズミの妻は音楽関係の仕事をしており、二人が所属する会社は新しい歌うAIを発表しようとしていた。そのAIはすべての記憶を詰め込んでいる。映画の最後の方で、AIの発表はされるが、いまいちパッとしない結果に。何がいけなかったのかと同僚とイズミがぼやいていると、同僚が「すべての記憶を詰め込んで、何者でもなくなってしまった。忘れる機能を付けたらよかったんじゃないか」と言う。この同僚がすごく深い。知りすぎて、自分が知りたかったことが薄くなってしまったってことよね。忘れることで、大切なものが残っていく。イズミが母親の容態を同僚に聞かれ「母親はすべて忘れていく」と言うと、「そういうもんじゃない?逆に、何を俺たちは覚えているのだろう」と返される。セリフの言い回しが凄く良くて、文字おこしをすると冷たい印象があるのだけれど、実際は全然違います。戸惑ったように、常識の定義をしているというか。「え、あれ?そんなもんかと、思ってたけど。。。あれ?違った?」みたいな感じでしたね。少ししか出ていないのに、こんなに印象の残る芝居はなかなかないと思います。役者は「さかなの子」にも出ていた、最後すし職人になっていた人です。

聞きたいけれど、聞けないことってあると思う。聞くことで親子の関係が壊れる。母は忘れていくのだけれど、結構最後まで許されないことをしたと罪の意識を持っています。覚えているんですよ。イズミの妻に「許してもらえないのでしょうね。でも、後悔してないの」と言う。女なんだな。

二人の思い出は双方に食い違うことがありますが、最後に母親の記憶が正しかったことが分かります。同僚の言葉は正しかった。「そういうもんじゃない?逆に、何を俺たちは覚えているのだろう」母親が忘れていく中で、忘れていた記憶をイズミは思い出します。

じゃあイズミは何を覚えていたのか。イズミは悪かった思い出がこびりついて離れなかった。母親はイズミとの思い出が正確に残った。あの震災の日、イズミのことが大切であると分かったから。また不倫相手との日々も幸せそのもので忘れられなかった。スーパーでそこにはいないかつての不倫相手を追ってしまう。イズミに悪いことをしてしまったが、自分の思い出の中ではすべてが大切だから。

記憶に気持ちを入れることで、気持ちの入っていない記憶は忘れ去られていく。残った記憶がその人のアイデンティティへと形成される。

イズミの母親は、母であり、女性であった。イズミはあの日のまま、待ちぼうけだ。何とも言えない二人の間柄をイズミの妻が踏み込みすぎない距離感で支えている。

私は何を覚えているのだろう。そんなことを考えた映画であった。

映画の終わり10分で半分の花火を二人で見るのですが、ここから話が始まっていくのかと思って時計見たら、もう終わるのでびっくりしました。息してなかった。体感20分くらいです。気を付けて!!!!

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