叔母との思い出…着物の話
今は90歳を過ぎた叔母。煎茶や書道など多趣味だったのですが、着道楽で、地元の呉服屋さんの上顧客でした。
わたしが社会人になったばかりのころ、「茶道を続けるなら必要だろう」と袷と単を一枚ずつくれました。
袷は遠目では濃い目のピンクに見える鮫小紋。
単は薄いピンクで亀甲の地紋が入った一つ紋の色無地です。
鮫小紋の方は、糸は叔母自身が紡いだと聞きびっくり。
叔母が若かったころは繭玉を買い、紡いだ糸を呉服屋さんに預けて、そこから白生地になって、染めの小紋や訪問着に仕立てることもあったそうです。
染めのやわらかものなのですが、ところどころ糸にフシがあって、しっかりとした生地。
叔母が70も後半になった頃、わたしはようやく子育ての手が少し空いて、10年ほどお休みしていた茶道を再開。
叔母は、「もう着るのも面倒だから」と、すべての着物を譲ってくれました。
叔母には子どもがいなかったため、幼い頃から、妹の子であるわたしをたくさん可愛がってくれました。
「おばさんはお金はいっぱいあるから、遠慮しなくていいだでね」と言って美味しいものや、海外のお土産をくれて…くれるのが好き過ぎて、子ども心にちょっと困ったことも、今では懐かしい思い出です。
おばさんの家の掘りごたつ。
ふかふかの絨毯。
中国のパンダの写真。
おじさんが豆から挽いてくれるコーヒーの香り。
浮かんだり沈んだりしているマリモ。
浜名湖に繋がれたおじさんの釣船。
…………
この記事を書いていたら、子どもの頃の風景が次々と浮かんで来てしまいました。
お金持ちと言ったって、夫婦で小学校の先生をやってきて、子どもがいなかっただけ。
わたしの母方の祖父は戦争中、朝鮮半島の日本人学校で働いていたため、母の家族は敗戦と同時に日本に引き揚げてきました。母は昭和20年8月生まれの乳飲子。
それでも無事に帰国できたのは、歳の離れた叔母たち姉兄のおかげだと聞いています。
戦中は女学生として、飛行場で特攻兵を見送った経験もあるそうです。
叔母のくれたものの中でも特筆すべきは、桐の衣装箱にずらりと並んだ色とりどりの手組みの帯締め。
器用な叔母の手仕事は趣味の領域をすぐに超えてしまうのですが、いろんな複雑な組み方を楽しく試作していたようで、タイトルの写真の帯締めも、その中の一本です。
おばさんへ❤️
私ももらった当時は地味過ぎて仕舞い込んでいた着物が、似合う年になってきました。
先日急に体調を崩して入院してしまったけれど、電話ではいつもと変わらぬ元気ではっきりとした声。私の仕事も健康も心配してくれてありがとう。
退院したら遊びに行くからね。
おばさんの着物も気持ちも、
大事に受け取って、受け継いでいきます😊
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