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馬鹿になる/仏教 写真

人は中途半端に利口なところがありますから

なにか起きたり苦しいとあれこれと色んな事を

考えてしまいます。

そうすると大切なことを信じ切る所まで

心がいかなくなるのです。


私はよく馬鹿になりなさいと学びました。

馬鹿とは破天荒な人の迷惑になる様な事ではなく

利害関係や損得と言った所をすっ飛ばし

信じ切るということです

これが簡単な様で難しいのです。


人は苦しみがあると解消しようとあれこれと

考えてしまいます。

そうするとそれが迷い 彷徨ってしまい

自分から茨の道に入り込むのです。


この世には沢山の暴力や誹謗中傷

嫌がらせやいじめに溢れています。

ですが

本来私達の命にはそんなものはありません。

それは心が彷徨ってしまったからこそ

起きてしまっているのです。


私達の本当の姿は仏様と同じ心です。

優しさに溢れ人の痛み悲しみを

自分ごとのように思える、人のためなら

自分を犠牲にしてでも心身を使う

そんな心が私達本当の姿です。


そんな心がどんな非道な人でもあるんだと

馬鹿になって信じ切るのです。

それは誰の為か?

それは相手の幸せの為です。

相手は苦しんだ結果そんな非道になっているのだから救ってあげなければなりません。




そのためには上記のような心があるんだと

強く強く信じるのです。

祈り念じる力というのは見えませんが必ず
見える形になって表れます。
それぐらい念じる力 祈る力というのは
強いものを持っています。


仏教では教えを信じる事を受持といいますが

馬鹿になりきらないと本当に奥底まで

受持する事は難儀なのです。


妙法蓮華経には常不軽菩薩品というお経があり

その名の通り常に相手を尊ぶという意味で
つけられたあだ名 常不軽菩薩という
菩薩様がいました。


常不軽菩薩は会う人会う人に

貴方は仏様になれる尊い人だと

言っていました。


周りからは

『こいつは俺を馬鹿にしてるのか?

   ふざけたことを言いやがって』と

怒り心頭になり

木刀のようなもので殴りかかってきたり

石を投げつけてきたりしてきます。 

ですが


常不軽菩薩はそこから逃げてなおも

貴方は仏様になれる尊い人だと拝み続けます。


このお経にはどんな非道な悪人であろうとも

仏様の命を頂いた尊い存在であり

どんな人でも仏様になれるんだと信じ切る

受持をしていく大切さ。

そして皆の中にある仏様の心に対して

拝み続けていく

それが最上の行であり真理であり

これ以上最上のものはないと説かれてあります。

ここが仏教、妙法蓮華経の本質であります。


お釈迦様はこの世の生きとし生けるものはみな

本体は仏の命であると仰っています。

これこそ仏様が伝えたかった一番の事なのです。


人は殴られたり悪口を言われたり

辱めたりされれば誰だって頭にきたり

殴ってやりたくなるような気持ちは湧きます。

ですがここで馬鹿になる領域に自らが飛び込むのです。

そこまでしないと相手が仏様の心を持っている

とは中々思い切れるものではないのです。




ここで重要なのがもう一つ

逃げるというのは悪人から逃げるということが

大切なのです。

何故ならば玉砕覚悟で挑んだところで

命を失っては何も出来ません。

大切な事はこの教えを一人でも多くお伝えする

事が1番大切な事なのです。

ですので法が説ける場所に逃げるのです

それは軟弱で弱々しく見えるかもしれませんが

そうではなく最良の選択であり胸を張って

逃げるべきであります。


そして逃げるというのは

そんな悪人に立ち向かう

心を持たないという意味があります。


これは心の部分でありますが何か誹謗中傷や

暴力を受ければカッとなり悪口の応酬になったり

殴り合いの喧嘩になってしまいます。

そっちの方向に心を持っていくのではなく

誰にでもある優しい心を思い出すのです。

大好きな人でもいい大切な家族や動物でもいい

1番は仏様の顔を思い出してみると

良いと思います。

仏様の慈愛に満ちたお顔を拝見して

イライラする人はほとんどいません。


そうして心の方向を優しい

慈悲の方に向けていくのです。

それが悪人から逃げる方法であります。


先程申したように誹謗中傷したり暴力を振るったり騙したりする人は世の中にはいますが
それは病にかかっているようなものなのです。
ですので私達本来の心にはそんなものは
実在せず、そこが人の心のゴールでは
ないのです。

あるのは人を思う優しい心や
自己犠牲の精神であったり
何事も諦めず前に進む強い心なのです。

これだけが唯一実在する本当のものなのです
これを簡素に申し上げれば
仏様ということになります。



今の世の中は情報に溢れ何が正しいのか

わからなくなり疑心暗鬼で不安になるあまり

人を信じず安心安全を得るためだけに

生きているように思えます。

これでは毎日人を疑う心を持っていれば

清々しい心などとは程遠く生きた心地が

しません。


こんな世の中だからこそ宗教というものが

大切になり今こそ宗教が本領発揮する

時代が来たのだと思います。


宗教の宗とはこの世の大元という意味です

生きるとは何か?  どう生きたら良いのか?

何の為に人は生まれたのか?

そんな事が仏教には書いてあります。


昨今の新興宗教団体は何が真理か?
真理を悟り導かれていく為の方便であるのか?
どうしたら救われていくのか?という
教えの根幹を放棄し

人の信仰の芽を摘んでいる
程度の低い愚者の集まりです。

自分の生活や自分の地位 団体を守ることしか
考えてない馬鹿信仰者が多発している為
何も機能していないのが現実です。

真理に照らし合わせていない
ルールのためのルールなど
自分の良いように人を支配しているだけで
何の役にも立たないくだらないものてす。

だから何も信仰を持たない人が新興宗教団体を
疑うのは当然の話しなのです。


だからこうして一人でも一歩ずつ一歩ずつ

種まきをしていき

皆様が幸せになることを願っています。


正直言ってこんな事は

馬鹿にならなきゃ出来ません。


ですが必ず正しいものは少しずつでも
広がっていくと私は信じています。


皆さまが優しい心を取り戻すまで信じ願い祈り

お伝えしていきたいと思います。























 





























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