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化けてでなくてはならない、棟方志功さんから学ぶ/仏教

板画家(棟方志功さんは版画ではなく板画と書いてはんがと読ませていました。)の棟方志功さんは仏教徒でありました。

板の奥にある命、仏様を掘り起こし

命を表していました。

棟方志功さんはこんな事を仰っています。


どんな思いで彫っているとか

  よく聞かれますが 目の前には私と板しか無く

  私は板の奥にある命を取り出す産婆さん

  なんだ。」とそんな意味合いの事を

  仰っていました。


これは一切の生きとし生けるもの全てに

仏様の命 心があると言う一切衆生悉有仏性という

仏教の言葉そのものであります。

棟方志功さんは仏教の真理そのままを板画を通して実践されていました。


棟方志功さんはまたこんな事もお話されています。

技術や経験だけで作っているようではたかが知れている、お化けのように化けて出てこなくちゃならないんですよ。」 


これはどういう事かと言いますと

技術や知識はある意味 体が覚えているものです。

下手すると人間は手慣れや知っている事だけで

心使わず簡単に物事を作り出すことが出来ます。

いわゆる手先 口先と言うやつです。


そうではなくて私達の頂いた命や 魂 心という

その真心から板を彫らなければ板の

命は掘り出せないとそう仰っていると思います。

私の命と、板の命の調和と言いますか

それが本来の一体感ではないかと思います。


もう一つ素晴らしいと思うのは

板画を彫るのは今までお世話になった人や助けてくれる人そんな人達に恩返しする為でもある

と言うのです。 


棟方志功さんは当初ゴッホに大変影響を受け

油絵を書く画家でしたが

何度も落選し評価されなかったそうです。

貧乏な生活で家族もいながらでしたので

大変苦労されたそうです。


それでこんな事してたらどうにもならないと思い

日本の文化である板画をゴッホのように

彫りたいと思われ板画を始めます。

その後 柳宗悦さんという美術評論家に認められ

そこで柳宗悦さんから仏教を学びます。


そういった人との出会いによって

棟方志功さんは日々創作活動を出来る喜びを

恩返しとして板画に込めていたと思います。 


人への感謝 恩返しの精神は

やはり作品に表れていきます。

だからこそ人を惹きつけるものが宿るのです。


お釈迦様の御言葉に


二人して一つの道を行く事なかれ


という言葉があります。


開拓者のように何かを目指そうとすると

その道は決して平坦ではありません。

誰もが最初は周りからの無理解や無視が

つきものでどんどん人が離れていく事もあり

本当に孤独であります。

その孤独が大切な気付きに繋がる

善き環境ではあるのですが


そんな中 独り歩きますと

必ず協力者 理解者が表れると

私は教えて頂きました。

確かに今思い返してみると

支えてくれた人は本当にいましたし

改めてお陰様に気付けるのです。


私は棟方志功さんから

目に見えぬ心を目に見える形に表していく事が

人間の使命であり役目である事


自分の為ではなく人の為に

心も身体も使わせて頂く事、

これが本当の力が発揮する真理であり

棟方志功さんから大変 大切な事を教えて頂きました。











































































































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