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言葉に責任を、身命惜しまずに生きる心とは/仏教 写真

人を疑ってばかりでは心は荒み

誰も信じることが出来なくなってしまう。

そしてそんな事を

SNS等の公に愚痴を吐き捨てるというのが 

今の現実ではないでしょうか。

今の社会は本当にこのままでいったら

間違いなくこれからもっと

汚れた世界になっていきます。


みんながやってるから正しいのではないよ

一人がゴミを捨てたぐらいで

地球は汚れないと思っているのと同じで

汚いものを吐き出す社会があるなら

それはどんどん見ている人の心も荒んでしまうよ


言葉を不特定多数の人の目に触れさせている事に

責任を持たないから平気で汚い言葉を吐き

愚痴を吐くことができるのでしょう。


どこにも言える場所がなく聞いてもらえる人もいなくて心の行き場の無い人達が沢山いてとても
苦しい思いをされているからだとは思います。

だからといって

どんな人にも見れるようにしていては相手にも
苦しい思いをさせてしまいます。
だから気をつけなくてはいけないのです。


ですので

そんな思いを形にしていく行為がとても重要で

楽器を弾くとか絵にするとか写真や踊りや

料理や何にでもその辛い心を変化させられる。

詩にしたり小説にしたりアクセサリーを
作ったりと、どんなものにも変えられる。


これが仏教で言う煩悩即菩提と言うのです。


どうか言葉に責任を持ち

読んでいる人、相手のことをしっかり考え

投稿していかなければ

ただの身勝手なものに過ぎず

相手を不快にさせ心を重くさせ

人の人生を左右しかねないものになります。

これは大げさではなく本当に言葉の力は

強く実現しやすくなる、だからこそ

気をつけなければならないのです。


赤信号みんなで渡れば怖くない

と言いますがそんな者は

精神弱者がする事です。


そうではなくて平和の為なら

人の幸せのためなら身命惜しまず

危険なことでも歩いていく

その気概が本物ではないでしょうか。

私はそうでありたいといつもそう願っています。


妙法蓮華経の中には


身命を愛せず只 無上道を惜しむ


と書いてあります。

これは命を捨てるということではなく

自分勝手に自分だけ得をするような

身勝手な考え方を捨て

人が幸せになっていくために

そしてこの上無い法を説く事に時間も体も心も

惜しまない、そういう意味です。




言葉や文字に責任を持たなければ

この世は消滅するでしょう。


みんなが優しさを取り戻すことを願い

行動していきたい、そう思っています。












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