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和牛もオージービーフも同じ命/仏教、写真

以前あるテレビ番組で

和牛とオージー・ビーフを

食べてもらうロケをしていて

色々な方に食べもらっているのを拝見したことがあります。


食べた人は和牛は柔らかく

霜降りの脂が甘く美味しい、

オージー・ビーフは筋張っていて硬い

8割の方は言っていましたが

実はこれ両方ともオージー・ビーフという

オチだったのです。


私達は見た目とかブランドとか職業、高い安い

上手い下手等で判断してしまいがちです。

そういった固定観念が人の本当の判断を

鈍らせてしまっているのです。



仏教ではまず正しく見る事から始まります。

先程言ったように高い安い ブランド品かどうか

上手い下手、人気が有る無い

こういった偏った考え方が苦を産み

心を苦しめてしまうのです。



どんなものでも私達の心は

仏様と同じ尊い心を頂いた存在です。

ですので高かろうが安かろうが

ブランドものだろうがなんだろうがです。


例えば
ギターは高級なものは貴重な材を使っている

ものがほとんどです、ですがそんな

数十万 数百万する高級なギターだろうが

2、3万円するギターだろうが

同じ尊い命を宿した木なのです。

こういう見方をしていく事が

正しい見方なのです。

そうするとどんなものでも尊く思え大切にする
心が芽生えてくるのです。



またギターの話になりますが

ある外国の超有名ギターメーカーのギターは
 
一昔前、高く売っていても

作っている人は地元のおばさんがバイトで来て

組み立てていたりしているというのは

有名な話で作りもチープなものでした。

ですので外国の方は

そのメーカーの国産バージョンを

有り難く買っているというのも

良く聞く話でした。 

それなのにアメリカのギターは素晴らしいと

アメリカ至上主義のミュージシャンは

跡を絶ちません。

これはアメリカのものは全て素晴らしいもの

という錯覚を起こしているのです。




勿論アメリカのものの中には

素晴らしいものは沢山あります、

ですが盲目になってしまっては

正しくは見えないのです。



ですのでどこの国で作ろうが

同じ尊い命を宿した木で作られたギターである

慈しみでそのものを見、慈しみの心で思い

優しい言葉になり大切に使っていくという

行動になっていくのです。



それが本当の見方であります。

しつこいようですが

冒頭のお肉も本来は牛の命です

A5ランクの牛だろうが家畜の牛だろうが

仏様から頂いた尊い同じ命なのです。

勝手に良し悪しを作り出し

お金にして全ての価値判断をするのは

愚かな考え方です。

今一度、この世にある命というものを


正しく見ていく事が急務であると思っています。




















































































































 












































































 













































































































































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