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欲望の追求は心を虚しくする/仏教

数年前に亡くなられた瀬戸内寂聴さんが

テレビでお話されていたのを拝見し

こんなお話しをされていました。


出家以前にお付き合いしていた愛人に

沢山貢いで好きな物をたらふく食べさせ

中でもすっぽん料理がお好きだったそうで

良く食べさせていたと話されていました。


ですが晩年 病に侵されその方は入院し

瀬戸内寂聴さんはお見舞いに行かれ

愛人の人はこんな事を話されたそうです。


「貴方に沢山色んなものを食べさせて

もらったけど……虚しいものだねぇ。」


それが最期の言葉だったそうです。

あんなに沢山食わせてやったのにそれが最後の

言葉で腹が立つと

瀬戸内寂聴さんは言っていましたが……。


この愛人の方は亡くなる直前 死期が迫り

欲も無くなり 生きるという事だけが残り

本当の生きる目的は

お金や豪華なものや美味しいものを
貪る事では無く

もっともっと大切なものがあったんだと

悟られたに違いありません。

その証拠に「虚しいものだねぇ」という言葉が

それを物語っていると思います。


人は皆 食事を頂きます服も来ます 

家にも住みます 皆 生きているからこそ

必要なものです。

ですがその為だけに生きているわけでは

ないのです。

違う目的があって私達はここにいます。


欲望が過ぎると身も心も破滅します

体も病気になりますし

心も何処か曇ったようになり

いつもモヤモヤモヤモヤして

気持ちが晴れません。

命の過剰摂取も殺生の1つであります。


そのうち

何が大切で何が本当の事で

何の為に生きているのか見えなくなり

人は身勝手な人生のルールを作り出します。

また苦しみ 欲望で苦を消そうとしますが

苦しみが増すばかりです。

そのループから中々抜け出せなくなるのです

これが地獄です。


自分の為だけに欲を満たし満足しようとする

その心が不幸にそして盲目となっていくのです。

だから虚しくなるのです。

ですが

どんな悪人も最期にはもっと人の為に

生きれば良かったと思うそうです。

生きている内しか人の為に体を使うことは

出来ません、その喜びも味わう事も出来ません。


人間とは人と人の間と書くと教えて頂きましたが

その間にあるものは何かと言えば

温かさや人を思う慈悲の心ではないでしょうか。


欲がある事は決して悪くありません。

ですがその前に

自分が食べる前には先祖にお供えするとか

近所におすそ分けするとか

誰かを招待して料理を楽しんでもらうとか

自分よりまず先に相手に喜んでもらう心を持つ事

それが本来 私達、人間の

本当の心であり、本当の幸せです。

それを取り戻す時が今、来ていると思っています。


瀬戸内寂聴さんのお話しは身体の欲を満たす

快楽の先は虚しさであり

本当の快楽は利他心であると

教えて頂いた様に思います。


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