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昭和60年くらいのお話

私は昭和48年に生まれた。

時代は豊かで何もかもが揃っていた。
もちろんスマホはないが

小学校高学年、中学生にもなれば
友達と遊ぶ約束は家電!
(あ、「かでん」でなく「いえでん」です)

朝シャンして色付きリップをしたり
(おしゃれな洗面台はないので風呂場でシャワー)

明星と平凡どちらに少年隊がたくさん載っているか迷ったり
ビーバップハイスクールの世界にちょぴっと憧れたり
塾にも行ったし
コンビニも困らない程度にはあったし
サーティーワンアイスクリームをたまに食べる喜びもあった。

つまり、生活するのに
ほぼ物質的に足りないものはない時代に育った。

が、40歳になったころに気が付いた。
あら、私が生まれたのは、、、
戦争が終わってから
たったの28年しか経っていなかったのだと。
気が付いたときに愕然とした。

それくらい、
物心ついたときから戦後と無縁の生活をしていたのだ。
(きっと親世代、祖父母世代のものすごい努力の恩恵を受けていた)

学校の授業で習う太平洋戦争の話も
終戦記念日に行う黙とうも
自分の世界に直結することはなく
遠いむかしのお話だった。


40歳になるころ
自分が生まれたのが戦後28年しかたってないことに
ようやく気が付けた理由は

・大人になって、時代を敬う心が育ったから
・親になって親や祖父母の気持ちがわかるようになったから

とかいう素敵な事情ではない。残念なことに。

もっとあきらかだ。
自分が年を取り、
簡単に28年前の記憶を取り出せるようなったから。
それだけだ

だから、30歳では気が付けなくて当然なのだ。

中学生の私は、母に言われた。
「今は友達と遊ぶ約束も電話でするのね。
お母さんの時代は、家まで行って遊べるかどうか聞いたよ」
「朝、シャンプーをする必要あるの?」

当時の私は父が不思議だった。
せっかくのサーティーワンで
カラフルなアイスを選ばすに
毎回バニラアイスを頼んで
「アイスはバニラが一番うまいな」と満足そうに食べているのが。

これくらいの贅沢はしていいよな、と言い訳するように
たまごの黄身だけごはんにかけて
ごちそうのように食べていたが
それのどこが贅沢なのか。

今はわかる。
めちゃくちゃわかる。
朝シャンにいい顔できなかったのも
31種類の中でバニラアイスが一番美味しかったのも。


彼らの文化的背景と
私の文化的背景はまったくちがう。

そしてきっと父や母世代の人たちも
その上の世代には
理解されない若かりし頃があったに違いない。

〇〇世代、△△世代と区切るのはあまり好きではない。

いつの時代も
時代は少しずつ動いている。
その時代その時代で育った環境はちがう。
価値感も違う。

きっと、どの時代にも「最近の若い人たちは。。。」は存在する。

ジェネレーションギャップの問題解決の近道は
「お互いの文化的背景を理解すること」

自分が親世代になり
若者の感覚に戸惑っていた私は
これがわかってからとても楽になった。

このブログでは
「ジェネレーションギャップの問題解決をするために。。。」
と難しいことは書かずに

単純に
40代50代の文化的背景と
20代の文化的背景を楽しく書いてみようと思う。


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