note関係者の文明度(民度)は高い!note人口を10倍にすれば日本ももう少しましな国になるかもしれない!!!
複数のブログを渡り歩いてきた私が言います。note関係者の「文明度(民度)」は高いです。少し前の数字で、noteクリエイター様の人数は230万人と聞きました。この数を2300万人以上にすれば、日本はもっといい国になるのではないでしょうか?今回はそのような話です。
なお、この記事は昨日投稿した下の記事の続きです。
記事表紙画像は無断借用ですので、アマゾンの本をご紹介しておきます。
ここで「文明度」という言葉について簡単に触れておきます。「文明度」は私の造語です。過去に私同様にこの言葉を作り出した人がいるみたいです。この言葉はまだ世の中には認知されていないようですが、以下のリンク先の説明をご覧いただければ、詳細をご理解いただけるはずです。イメージが湧かない方は、あとでじっくりご覧下さい。
ここで敢えて一言で説明するならば、「文明度=民度」ということです。
ここから本題に入ります。
私は、子供の頃からずっと、世界や日本の文明度は低いと感じていました。例えば、身近な人間のエゴの強さや必要以上の競争、あるいは無意味な争い、犯罪、見栄、思いやりの欠如などなどが、それに相当します。
言い換えれば、「レベルの低い人間らしさ」、もっと悪く言えば、「次元の低い人間の言動」のことです。
しかし、noteに出会ってからはその考えが改まりました。
全体的に、心暖かい人が多いです。現在苦しんでいる方や大きな悲しみを抱えている方、あるいはそれらを乗り越えてきた方々の集まりなので、優しさに包まれているのです。
つまり、ここだけが我々人類の「文明度」のレベルが少しだけ高いのです。
そして、私がnoteに出会ってから毎日ワクワクしている一番の理由は、このレベルの高い人間性に出会えたからです。
それで、私はふと思った訳です。
「note人口をもっと増やせば、世の中もっと良くなるのではないか?」と。
もちろん、わかっています。世の中には書くことが苦手な人やそもそも書くこと自体が嫌いな人が大勢いることを。
しかし、自己表現自体が適切にできませんと、「文明度」は上昇しません。そして、書くことで思考力が上昇し、発言力が上昇することも忘れてはいけません。
これらが上昇しませんと、個人の「自己分析し内面を見つめる力」、例えば、内省力や内観力が高まりません。
そして、最終的に行き着くところ、つまり原点は、国語力や読解力の重要性になります。
私は長い間教育産業に携わっていました。いわゆる、私塾というものです。そこで、数多くの保護者の方々とお会いして感じていたのですが、多くの方々(ほぼ全員)が「国語力の重要性」を理解していませんでした。
彼ら彼女らの第一要望は、「英語と数学、あるいはそのどちらかを何とかしてくれ!!!」というものでした。
確かに点数だけ見ると、国語は40~60点を確保していました。しかし、指導者側からしますと、「国語で90点以上獲得していませんと、将来大人になってから困りますよ」と常々思っていました。
しかし、残念ながら、実際にそのことを話してみても、その話が通じる親御さんは極々一部でした。
以上のことも、「文明度(民度)の低さ」に密接に関係があります。
目先の点数の低さに囚われて、将来を見据えた学習ができない訳ですから、〇能や〇性がいかに低いかがわかります。
<〇の中はご想像でお願いします。ここでは書けません(笑)。>
ですから、まずは、大人たちを変えるしかないのです。
そのために、最初にnoteなどを活用して啓蒙していく必要性を危機的に感じています。なぜなら、私たちには時間がないからです。
幾分、舌足らずのところもありましたが、ある程度の主張は書けたと思います。足りないところに気が付きましたら、あとで補足します。
今回は以上です。
ここまでご覧いただきありがとうございました。
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