見出し画像

バズりたいよね? - バズと誹謗と承認欲求

妻が過去に炎上経験者ということで話を聞いてみたら全然炎上ではなく残念がって怒られたヤタガラスです。
今回は炎上やバズ、拡散希望といったソーシャルネット時代特有の人間心理について語っていくぜ。

流れとしては、拡散希望誹謗中傷を引きおこす感情とは何なのかを述べたあと、日本の社会とインターネットで起きたこと、そして解説となる。

1.なぜ炎上や誹謗中傷がはびこるのか

皆は「拡散希望」という文言を目にしたことがあるだろうか?
昨今、TwitterやFacebook、InstagramなどのSNSで頻繁に見られるもので、文字通りあるユーザーが大勢の人に何かを知ってほしい時に文頭に付け加える言葉だ。
ちなみに「拡散」とは、リツイートをはじめとするシェア機能を用いて、他のユーザー(媒介者)が自らの交友関係にあるユーザーに知らしめることだ。
ちなみにシェア方法が複数あること、回数に制限がないことから、実質的に拡散の無限連鎖が可能となっている。ネズミ講もびっくりだな。これカネが発生する仕組みをつくったら悪魔の発明になるぞ。

無限に拡散可能な場に乗せられる情報は多岐にわたる。
「商品を仕入れすぎたので割引します。買いに来てください」だとか「うがいの仕方を間違ってませんか? 正しくは〜〜」みたいな生活密着型のものはやはり多いな。
また「うちの猫がテレビに出演します」という、多メディア時代ならではのものもある。
基本的に拡散されてよかった、誰もが得をした、というものが多く見受けられる。
だが、それ以上に拡散されたが故に目立ってしまい、関係者一同不利益をこうむるものがある。

「告発」だ。

「○○さんからセクハラを受けました」という本当の被害報告もあれば「○○さんが物陰で△△をしていました。人が見ていなければ何をしてもいいのでしょうか?」「好きな女を@solo1981foreverに寝取られました」「電車の中でスマホを見ながらニヤニヤしてる人がいました。覗き込んだところTwitterのIDは@solo1981foreverです。気持ち悪いです」「所沢の麺屋かなるに行ったらちょうど前の人で品切れといわれました。私は身体障害者です。これは差別ではないでしょうか」とまあ被害の有無も触法か否かも定かでない自称「告発」もてんこ盛りだ。
誤解がないようにしておくが、今回取り扱うのは拡散を意図した「告発」ほかもろもろであるが、それらの質や正不正は問わない。

「告発」と並んで多いのが「お気持ち表明」だ。
アンチリベラル、アンチフェミニスト界隈で使われるのでプロパガンダ用語の趣はあるが、あまりにも的確なので借用する。

「本屋に行ったら少年漫画誌の表紙は水着の若年女性ばかり。子供時代からジェンダーロールを植え付けられる日本のオトコ社会に息が詰まりそうです」
「職安で希望の職種がないことを疑問に思い尋ねたら、年齢が理由だとか。悲しくて震えがとまりません」

まあ事象はどうあれ、自分の感情を表明し、言外に同調を求める訴えである。
そして「告発」と違い、これらは基本的に「正しい人物による正しい立場からの正義の問いかけ」であることが多い。
「酔っ払いがホームから転落して泣きわめきながら助けを求めてたけど、( ^ω^)ザマァとしか思わなかった」みたいな文に「拡散希望」が付くことはまずないし、同調を求めることもない。だいたい書く方だって政治的に正しくないことは理解しているし、Twitterだとインターネットを悪くする人たちが書くブラックジョークと思われている。

とまあ、ここまでが「拡散希望」の概要だ。
まとめると
・便利情報、お得情報や知識自慢などの無害な情報
・告発、お気持ち表明など、敵味方が存在し同調を求める訴え

の二つに分かれる。巧妙に混ぜたものやもっと空っぽなものに「拡散希望」と付く場合もあるが、例外的なので割愛する。

これらの「拡散希望」とバズ、炎上といった現象の根底にあるのが承認欲求だ。
ソーシャルネット時代特有の大規模承認欲求(バズりたい)である。

知識自慢なんかはズバリ発信者が注目されたい理由そのものだし、告発やお気持ち表明も同調を求める、つまり承認を求める行為だ。
バズを狙ってジョークを書き続けたり面白い写真をアップし続ける人もいる。
最近話題になった芸能人への誹謗中傷も、相手を傷つけること自体が目的ではなく、同調を求めることと、よりセンセーショナルな意見や罵倒を書き込んで注目されたいのが動機だ。

30年ほど前、つまりインターネットの普及が進んでいなかった時代なら、承認欲求など周囲の人間関係の中で満たすか、世間に知られる有名人になるべく高いハードルに挑むしかないものだった。

情報を生み出す側の人間になることが難しかった。
情報の生産者と消費者は現代よりもハッキリと分かれていたから。

2.平成の間にネットで起きたこと

日本のネット事情はパソコン通信を含めないと分からないことが多いので、そちらの流れはWikipediaを参照願いたい。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/パソコン通信

パソコン通信から続くBBSやフォーラムなどの情報交換文化は、インターネット普及後もしばらくはネットのB面、裏側というべきものだった。
A面、表側は大企業や芸能人、マスメディアによるプロモーションが主流だった。
少なくとも2000年代半ばまでは、B面の情報交換の場が大々的な情報発信の場を兼ねることはなかった。
もちろんB面の側では、着々と現代のソーシャルネットに通じる意見交換の文化が育ってもいた。その流れの中で、情報の生産者(クリエイター)も多数育っていた。

パソコン通信から続く文化であるということは、オタク文化とも密接な関係がある。
遅くとも70年代には観測されたオタク文化にあって、同人マンガなどの二次創作、フィギュアや写真・動画など、創造的な能力を開花させる人々が多かった。
そんなオタク文化はインターネットにも持ち込まれ、SNS登場まで生産者と消費者の格差を拡大し続けた。

SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)自体は90年代には始まっていたが、日本での普及には時間を要した。
2000年代半ばに、GREE、mixiがサービスを開始し、携帯電話の性能が向上するに従って爆発的な普及を見せた。
携帯電話(ガラケー)がメインのSNSと、パソコンがメインのBBSは少しずつ重なりはじめた。
2010年頃を境に、携帯電話売り場の主役はスマートフォンに入れ替わった。
特に2011年にiPhone4sの国内取り扱いがSoftBankとauの2社に増え、人気機種に手を出しやすい環境が整ったこともあり、2015年には国民の半数以上がスマートフォンを保有するにいたった。
この間に日本で人気のSNSは移り変わり、新進気鋭のメッセンジャー「LINE」と、短文投稿が特徴の「Twitter」が二大巨頭と呼ばれるようになった。
Twitter利用率は2019年の段階で80パーセントに届いている。会員でなければ閲覧すらできないそれまでの国産SNSと違い、読むだけならユーザー登録がいらない点で有利だった。そのメリットを活かして企業のプロモーションにも活用されている。
SNSは完全に実社会と繋がった。
ネット外の社会と丸ごと接続されたTwitterにおいて、ユーザーは過去のオタク中心BBSのように生産者ばかりではなかった。

3.なぜ「バズりたい」になったのか

ネットにおける承認欲求というのは何かを発信して、それに対するリターンを得て満たされる。たとえばYouTuberならユーザー登録数やコメントが該当する。またコメント欄にも評価ボタンがあり、これが押されることがコメントに対するリターンとなる。

生産者はクリエイティブな人間だ。生み出すものの質には差があれど、何かを創り発信する性質を持つ。
だから情報を発信する側に立ちやすい。
リターンを得るのも容易だ。

消費者は発信する側に立たない。
情報発信に対して反応はできる。そこからのリターンの応酬はできるので、精神的に満たされないということはない。

生産者と消費者に基本的には上下の差はないが、生産者は好意的なリターンを得る可能性が高い。
これが誤解をうむ。

生まれてこの方消費者であり続けた人は、生産者が考えぬいて何かを生み出し発信していることがわかっておらず、理由もなく勝手にチヤホヤされていると認識するのだ。
芸能人と同じように見えているのだろう。

生産者には陽キャもいれば陰キャキモオタやKKO(キモくて金のないオッサン)もいるし、知的障害者や犯罪者もいる。
対して消費者は中庸であり、際立った欠点もない代わりに際立った才もない。
だからどう見ても自分より下の身分であろう人間がクリエイターとしてチヤホヤされている姿を見て「あ、じゃあ俺も」となる。

この「あ、じゃあ俺も」が全ての根源だ。
大規模承認欲求(バズりたい)だね。
さっき上の方で書いたけどおぼえてるかな?

生産者の真似をして情報発信を試みる。
だがここで、長年消費者でしかなかった人は何を発信するべきなのかわからない。
だから他人のふんどしで相撲をとる
「告発」や「お気持ち表明」がその一端だ。
こんにちSNSではこれらのコンテクストが普及しており、参加しやすくリターンも得やすい。
生産者でなくとも「告発」で容易にリターンを得られ、承認欲求が満たされ快感を覚える人も多い。
次の告発対象を探してネットをパトロールするようになったり、明らかに反対意見が集中するような煽りまくりの「お気持ち表明」を書いたりする。
「身体を性的に誇張されて描かれ、『お前の身体はお前のものではない、我々に性的に欲望される客体だ』という抑圧を受けて育つのは女の子だけ。理不尽だろ」
だとか
「いつも買い物する商店街は朝鮮学校の生徒がたむろするおかげで治安が悪化してます。朝鮮人は半島に帰れ!」
みたいな書き込みは同調も反論も集まる。だからバズりやすい。自分の正義感丸出しでバズったらさぞや前立腺を刺激されたような絶頂感だろう。
敵が存在することが生きがいになるのだ。
これの行きつく先は誹謗中傷と訴訟だ。

「SNS誹謗中傷裁判」315万円で示談した春名風花の葛藤 | FRIDAYデジタル https://friday.kodansha.co.jp/article/
木村花さん中傷で略式起訴 侮辱罪、2人目―東京区検:時事ドットコム https://www.jiji.com/jc/article?k=2021040600998&g=soc

「人の悪口書くくらいなら面白い話でも書いて皆を楽しませたらいいのに」と思う人もいるだろう。私の妻もそういってた。
だがそれは生まれつき生産者であるクリエイターの奢りだ。世の中には物語を生み出すのと同じ感覚で人の悪口しか生み出せない人がいる。
(簡単ではないが、消費者から生産者に転向することはできる)

綺麗な写真でインスタ映えしてバズった人がいる一方、同調意見を求めてなぜか芸能人に中傷コメントを送り続ける人がいる。
それはいつも楽しい書き込みや鋭い意見でチヤホヤされる生産者を見て、生産者たる能力がない消費者が「バズりたい」一心から、「告発」「お気持ち表明」「誹謗中傷」などの刺激的、攻撃的な表現方法を身につけてしまったことによる。

おわりに

と、ここまで考察したが、人間を「生産者」と「消費者」に分け乱暴な線引きをした本記事は「政治的に正しくない」ことをご理解いただきたい。
「生産者」「消費者」はある時点での性向を仮に一言で表しただけなので、同じ人でも行ったり来たりします。だから、たとえばだけど、小説家デビューしたと思ったら売れなさすぎて過激派政治活動家まがいの書き込みばかりして常に人の悪口いってる、とかいう人がいたり。東大まで行って末は博士か大臣かだったのにドロップアウトして、エロくて可愛いイラストを描くからみんな喜ぶし楽しくネットしてればいいのに、アラフィフで人生詰んでる恨みつらみを周りにネチネチぶつけてやっぱり政治絡みの乱暴なツイートをするはてなアイドルとか。

人生って光も闇も持ち合わせてるし、創造的な能力もその時々で発揮できたりできなかったりする。
だから消費者でいてもいいんだけど、堕ちてしまった人のことを心に留めてあとを追わないように生きていきたいよね。

画像1


今月も皆様のサポートのおかげで生活保護申請せずにすみました。心より御礼申し上げます。