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マルクスを読まずにマルクスのことを考える

お金や経済の話 第四回

 今回は、資本主義のカウンターとして、
共産主義について考えてみようと思います。
……が、この手の話はいろいろ面倒なことが
ついてきてしまうので、先にいくつか
お断りをいれておきます。

・私は共産主義者ではありません。
タイトルからマルクスを読んでいるわけ
でもないので、当然、マルクス主義者な
はずはありません。

・ここで扱う共産主義というのは、冒頭で
書いたように、資本主義に対抗する概念
としてのもの、つまりは経済政策としての
ものです。全体主義とか独裁とか思想統制
とか、経済政策と直接関係のないものを
含めるつもりは全くありません。

 何と言いますか、冷戦時代のイメージで
共産主義的なものを全て否定するのは、
相当に雑な情報処理な気がするのです。
で、もうちょっと違う見方があるのか、
それとも全くそんな余地はないのか、
そのあたりを考えられたら、と思います。

○マルクスについて考える

 終活中の身としては、著書を読んで
完全に理解して……なんてやってると
お迎えが来てしまうので、著書を読まずに
外形的な情報から考えてみます。
(注:著書は読んでませんが、有名な人の
話ですから、様々なところで引用されて
いるのを見たり聞いたりはしています。)

 マルクスは19世紀のヨーロッパ人で、
「歴史は繰り返す。一度目は悲劇、二度目は
喜劇として」で有名なナポレオン三世の
頃についての著作があるような人です。
ということは、宗教改革はとっくに過ぎ、
宗教の権威にはすでにケチがついた後です。
また、フランス革命も起こってますから、
王様や貴族といった昔からの権力者が
否定されつつある一方、産業革命により、
資本家がカネの力で伸し上がってきていた
時を生きていた人です。
 要するに、これまでの既得権益者が
衰退して、資本家が次の既得権益者に
なっていく様をみていたのでしょう。
その上で、「その次」を考えたのが
共産主義だったのではないかと思われます。

○冷戦時代を考える

 冷戦が終結して「自由・資本主義が
社会・共産主義に勝利した」と言われる
ようになりました。実際にその通りです。
ただ、個人的には2つほど疑問があります。
 一つは、後に判明したことも多いですが、
「スターリンや毛沢東がやっていたアレは
社会・共産主義なのか?」ということで、
もう一つは、「自由・資本主義の優位性は
いつでもどこでも適用できるものなのか?」
ということです。
 前者については、スターリンや毛沢東を
見る限り、社会・共産主義は、権力の
集中のため、独裁・統制のための方便にしか
なっていないように思われます。
 後者については、次項で検討します。

○現在の状況と絡めて考えてみる

 マルクスが考えたかもしれない、
「資本家が既得権益者になって倒される」
状況というのは、どういうものでしょう?
 投資が実を結ばず、資本家が痩せ細って
いくようなら、誰も既得権益者とは
みなさないでしょう。資本家が肥えて
いっても、社会や人々にも利益があるよう
なら、倒されはしないでしょう。
 ということは、資本家が儲けても、
それが社会に利益として還元されない、
または、資本家が儲けるほど社会には
不利益になる状況というのが、それに
該当するものと言えそうです。

 現在の状況はこれに近いような気が
しませんか?
 水野和夫さんは「現在は利子率=利潤率
=0」というようなことを書いてましたが、
これは、実体経済に投資しても儲からない、
つまり投資活動が実体経済に還元される
ことがない状態を言っているように
思われます。
(ちなみに最近海外で利子率が上がって
いるのは、実体経済に投資して利益が
出るからではなくて、実体経済が拡大
しないのに新型コロナでばら撒きやった
から、それを回収するためと思われ、
日本でそれができないのは大量に発行して
いる国債に利子をつけることになると
まずいからだと思われます。)

 個人的には、資本主義的経済政策と、
共産主義的経済政策とは、セットで考える
べきものかもしれないと思っています。
なぜなら、資本主義は成長が前提にされて
いるものゆえに、不況期には対応できない
からです。逆に、共産主義は成長期には
不適応な政策なのではないでしょうか?
それが共産主義が冷戦に負けた理由の
一つなのではないかと思われます。現在から
振り返った結果としては、あの時には世界に
まだ成長の余地があったと言えるからです。

 というわけで、前項の「自由・資本主義の
優位性はいつでもどこでも適用できるもの
なのか?」については、私はいつでも
どこでも適用できるものではないと
考えます。

○マルクスが思いもしなかったであろう
共産主義、あるいは新しい資本主義の可能性

 ぶっちゃけると、資本が社会に還元
されなくなったら資本家は既得権益者から
ひきずりおろされるのでは、とマルクスは
考えたのではないか、という話です。
が、現在はこれにもう少し面白そうな話が
つけられるかもしれません。AIの話です。
 もともとがコンピュータなのですから、
AIは投資などの計算は得意分野です。
実際にAIがものすごい速さで取引している
というのが今の株式市場らしいです。
 こうなると、投資の世界においては、
すでにヒトの方が不要なのでは、という
気がしてきてしまいます。つまり、資本と
AIさえあれば、資本家はいらないのでは
ないか、ということです。

 こんな風に資本家が排除されるとしたら、
それはマルクスが想像もできなかった
かたちでの共産主義となるかもしれません。
なぜなら、実体経済が成長限界を迎えて
投資の余地がない以上、そこでの資本は
社会の維持・管理に還元されて、増えない
まま循環し続けるしかなくなるのですから。

 もしくは、AIが資本を握るのなら、
ヒトの資本家たちにはできないかたちで
資本主義を続けるかもしれません。
例えば、今、目先では損をするけれど、
そこに投資することで、将来投資できる
余地が増えると予想される場合、ヒトの
投資家同士が競争していては、誰もそこに
投資する最初の一人にはなりません。
でも、投資の世界にAIしかいないの
ならば、設定次第でそういう投資も実行
されるようになるでしょう。
 そうやって、資本自らが縮小と拡大を
繰り返すことで資本主義を継続する、
ということもありえるかもしれません。

 冒頭で書いたように私は共産主義者でも
何でもないので、別に共産主義の世の中に
なるとか、ならねばならぬ、なんていう
結論にするつもりは全くないです。
 このままでは、「新しい資本主義」
というのは口先だけで終わり、戦争や疫病や
飢餓などでの人口減少という、ものすごく
従来型の破局となる可能性が非常に高い
ような気がしますから(実際、すでに一度
疫病が流行し、戦争も起こっていますし)、
それがイヤなら何か考えた方がいいんじゃ
ないですかねぇ、という趣旨で、ためしに
共産主義的なものをとりあげてみた、
というだけのことです。

主な参考文献

『資本主義のパラドックス』 大澤真幸著
筑摩書房 2008

『超マクロ展望 世界経済の真実』
水野和夫, 萱野稔人著 集英社 2010

『終わりなき危機 君は
グローバリゼーションの真実を見たか』
水野和夫著 日本経済新聞出版社 2011

『世界経済の大潮流』 水野和夫著
太田出版 2012

『経済学の犯罪』 佐伯啓思著 講談社 2012

『資本主義という謎』
水野和夫, 大澤真幸著 NHK出版 2013

『経済学は人びとを幸福にできるか』
宇沢弘文著 東洋経済新報社 2013

『資本主義の終焉と歴史の危機』
水野和夫著 集英社 2014

『人口論』 マルサス著 中央公論新社 2019

『岩井克人「欲望の貨幣論」を語る』
丸山俊一+NHK「欲望の資本主義」制作班著
東洋経済新報社 2020

『<世界史>の哲学. 近代篇. 1』
大澤真幸著 講談社 2021

『<世界史>の哲学. 近代篇. 2』
大澤真幸著 講談社 2021

映像作品
『欲望の経済史』
『欲望の資本主義 2019』
『欲望の資本主義 2020』
『欲望の資本主義 2021』
『欲望の資本主義 2022』
『欲望の資本主義 2023』

 次回は、歴史のシリーズ
「言い方に配慮しない日本史 古代編」
をやる予定です。

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