洞窟の輝き

アウトドア活動は体力を使うので、できる限り都市型キャンパーで居たいなと思っている私です。

それでも「穴」の魅力には勝てません。

吉田勝次さんのように「ケイビング」までやりたいわけではないのですが、ちょっとした「穴」なら入ってみたいという欲求がむくむくと起こります。

なので、ヒマがあると洞窟どっとこむを眺めて、「さて、週末はどこの洞窟に行ってみるかな」と妄想するのが日課となっております。

陽が当たらず涼しいので、夏も冬も意外に心地よいということが洞窟探訪の良さです。

何より変な道を行かなければ迷わないし、観光の量も少ないので、そんなに疲れないのが良いです。

ものぐさな自分にとっては、何とも天国のような観光地です。

私は、登山より、浜辺より、ふつうに、洞窟がすきー(永野のラッセンのテーマにのせて)。

しかし、洞窟経験が多いのか、というとそれほどでもありません。本当にライトな洞窟好きに分別されるでしょう。遠いので、日本三大洞窟のうち、秋芳洞(山口県)、竜河洞(高知県)にも行ったことがありません。本当に洞窟愛好家かよ、と言われそうですが、洞窟探訪の経験と、愛着の強さは無関係と主張したいのです。ただ、時間がふんだんに出来たら、洞窟行脚をしてみたいものです。

なので「洞窟どっとこむ」的にはマニア度が低い洞窟こそ、ライトな愛好家にはねらい目ではないでしょうか。

さて、洞窟一般の魅力ですが、まず暗くて狭いということが挙げられます。閉所恐怖症の人はもちろんとても嫌な気持ちになることはよく理解できますが、反面、暗くて狭いところが落ち着くという人もいます。私は後者です。MRIが大好きです。胎内回帰願望とかなんとか、識者は言うのかもしれませんが、それはどっちでもよろしい。

洞窟の中はひんやりして、ときに壁を水がつたって、とてもなまめかしいものです。そして、ちょろちょろ、ぴちょんと水の音も聞こえてきます。質感、音楽ともに、瞑想感がアップすること請け合いですね。滝や渓谷もいいものですが、チルアウトを求めるときには洞窟内の音楽に身をゆだねるのがいいと思います。もちろん、観光客の話し声については、無視を決め込んでください。その昔、行者たちが修行の場にしていたという由来があることも頷ける静けさです。

また、洞窟は果敢ないものです。災害等で、閉鎖されたり、道が埋まったり、ということがざらにあります。山も海も、生きているうちにかわることはほとんどありませんが、洞窟は未来永劫あるものではありません。それだけに、一期一会の感が高まります。もしかしたら、今しかこの穴の姿は見られないのではないか、と思うと、いてもたってもいられなくなります。東京都の日原鍾乳洞だって、いつまであの姿でみられるのかわかりません。

私は幼少期、岩手県と関東を往復することを余儀なくされていたこともあって、夏の観光は岩手県内をぶらぶらすることが多かったものです。岩手県には、洞窟が多くあります。有名なのは龍泉洞ですが、子どものころ(1970年代終わりくらい)に行った滝観洞という洞窟のことを強烈に覚えています。洞窟の中に水が走っていて、そこをそろそろと歩いていくのです。水に触れると冷たくて、透明でした。で、何か途中にすばらしいオブジェのような景観があったと思うのですが、ネットで調べると震災で破壊されてしまったといいます。この果敢なさが、洞窟の魅力の一つでもあります。

ちなみに、横溝正史の『八つ墓村』のロケは、日本全国様々な洞窟で行われたようですが、その一つに入っています。

洞窟と言えば、思い出すのが、幼少期にTVでやっていた『トム・ソーヤーの冒険』で、インジャンジョーとバトルを繰り広げる洞窟です。子ども心に、洞窟の恐ろしさにドキドキしたものです。同じように、ちばてつやの『おれは鉄兵』でも、鉄兵親子は洞窟で宝探しをしているシーンから始まります。なぜか、洞窟のイメージには、不思議と縁があるようです。

ちなみに安家洞という岩手の洞窟は、夕方に行くとかなり禍々しい迷宮型の洞窟です。こういうイメージがあったので、鉄兵の洞窟探検もすんなり受け入れられたのかもしれません。安家洞に入ったのち、酷道に迷い込んで危険な山道を夜迷ったことは、ここだけの話。

また、現在いる埼玉県にも、魅力的な穴はたくさんあります。例えば、吉見百穴という古代の墳墓跡や、その下につくられた軍需工場の洞窟跡など、古代と現代が交錯した人工の洞窟なども魅力の一つです。

そして、埼玉県外の人にはあまり知られていないかもしれませんが、くれよんしんちゃんで有名な春日部市には、首都圏外郭放水路という、人工的な洞窟ともいえるような地下空間が広がっています。

古代も現代も、人は穴の魅力にとりつかれているのかもしれませんね。

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