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「三十五年越し (本編5) 自立のいとなみと美智子さんへの恋」/遠い昔の二十代の頃、恋焦がれ続けた美しい女性、美智子さんへの心からのオマージュ、三十五年越しのラブレター

(1)プロローグ

(2)一回きりのデート

(3)口説き落としておけば    

(4)偶然が齎したトドメと相聞歌   に続いて


(5)「自立のいとなみと美智子さんへの恋」

 このことはすでに重ねた年齢により内面の囲いの中に化石化してしまったことだったが、追憶の中で波立つ感情がなおおさまらず残るのはなぜだろうか。ただ甘受しなければならない神の罰なのか、果たしてこの先老いゆく中でなにか救いはないものなのだろうか。

 振り返ればあの頃に自分の自分である基礎が形作られたことが思い出されてくる。青春のほとばしる情熱と思いがつまり、身につけた人生の土台は彼女への恋とともにあった。それは甘さが失せてゆく青春が苦さとともにきらめき続けた人生の時のときでもあった。
 大学院の修士時代に身につけ、生涯の仕事となった化学への自信と強いこだわりは、今に材料技術者として一線でやり続けられている基盤だ。学部四年生のときから二年余り、順調に成果をあげてきていた学究生活だったが、修士二年昭和六十年秋に分厚い壁に行方を阻まれた。突如現れた重苦しさ、その秋から冬にかけての、あの苦しさは自分という個の確立への生みの苦しみだったとともに、彼女に見合う自分であろうと成長を促す苦しさだった。
 そしてそれをなんとか乗り越えた経験は、化学を自分なりに掌中におさめ、その後の人生で失ったことのない自信とこだわりの源であり続けてくれた。

 研究の合間に毎日のように走った起伏の激しい五キロの駅伝コースのランニングは就職後もしばらく同様に続いた。
 それは恋を昇華させる衝動だった。繰り返した入念な準備運動とランニング、そして整理体操、筋トレは、思い出すだに胸に迫るほど。ほとばしる汗、上がる息、体中にみなぎる充実感は生きているというこれ以上ない実感をくれた。自分にとって見事な昇華がそこにあった。
 そして今になんとか健康で日々過ごせている丈夫な体はそのころの鍛錬の賜物以外の何物でもない。

 焦がれて実らぬ恋は、人間が受け入れてくれる異性無しに生きることができないことを心の底から覚らせることになった。
 それはやがて妻との出会いと結婚に繋がるわけだが、それ以前に、感動の強い孵化器となり生涯手放すことができない宝もののような芸や作品との出会いに繋がることになった。

 ・『無法松の一生』(伊丹万作、阪東妻三郎、稲垣浩)
 ・『男はつらいよ』 リリー三部作(山田洋次、渥美清、倍賞千恵子、浅丘ルリ子)
 ・『大阪しぐれ』『浪花恋しぐれ』(都はるみ)
 ・『おたふく』『ちゃん』(山本周五郎)
 ・『替り目』『火炎太鼓』(古今亭志ん生)
 ・『Singin in The Rain/雨に唄えば』(スタンリードーネン、ジーンケリー、ドナルドオコナー、デビーレイノルズ、ジーンヘーゲン)
 ・『Some like it hot/お熱いのがお好き』(ビリーワイルダー、マリリンモンロー、ジャックレモン、トニーカーチス)
 ・『La Vie en Rose/バラ色の人生』『When The Saints Go Marching in/聖者の行進』(ルイアームストロング)
 ・『富岡鉄斎最晩年の作品たち』
そして、
 ・『開高健の作品たち』

 学生時代の数少ない親友以外からは極めて気難しいと見られ続けた自分にもこんなにきれいで豊かな心情があることを今に気づかせ続けてくれている。

 この時期は自己成長を促すこころの姿勢が形成されたかけがえのない時間だった。人生の終盤に差しかかって自認するとき、「これらを外して自分という人間を同定することなど決してできない」ということが、胸に吹き抜けるノスタルジーとともに確かに納得されてくる。
 だとすればこれらと不可分であった美智子さんへの恋がなぜ今に胸に刻まれ去らないのか、もう何も説明はいらない。
 やはり彼女は私にとって『坂の上の雲』にいる女神であったらしい。美智子さんが遠くからいつも自分の行状や心情をただしてくれていたのだと思う。

 齢も還暦を迎える中で、化学でも人間としても一応世間に恥じない仕事を成すことができた。
 それなりの立場も得て、それぞれ建築士、医師として一人前になろうとしている二人の息子たちを妻とともに育て上げた今、ようやく恋い焦がれた女神に少しは褒めてもらえるのではないか、同時に、心の中に澱んでいた「おり」のようなものを幾分かは雪ぐことができたのではないか、との思いが湧いた。
 そしてこんなふうにしか出来ないこんな不細工な人間がいてもよいことを、至純の恋を表したあの阪妻の無法松氏が、あの世で盃を差し出し、例のとびきりの笑顔で「さあ、飲みねえ」と肯定してくれるような気がした。


 それらがこの追憶のきっかけだった。


(6)に続く。

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