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51 教員1年目 理想と現実の狭間でもがく日々

ーきみは、特別支援が合ってる、その道に進むべきだよー

初任校4年目、2次会のスナックで同僚の先生から言われた一言です。
当時は体育主任で学級担任、課外クラブの監督等様々な役割を担っており、自分で言うのもなんですがバリバリ(笑)と仕事をこなしていました。

それまで、教務主任からは

「6年生担任を早く持てるようになりなよ。6年担任を持っていないということは、教員として十分な力がないということだよ。」

と常日頃から言われ、6年担任を持てる力量をつけるために学級担任としての授業力や学級経営力を磨いていました。

まさか、現在の自分が本当に特別支援教育を専門にし、様々な研修会へ自主的に参加して研鑽を深めるようになり、noteを通して特別支援教育についての記事を投稿するとは夢にも思っていませんでした…。

今思い返してみると、4年目までは、学級担任として毎年苦労の連続でした。

今回は、教員1年目に理想と現実の狭間でもがく日々を送っていたことを振り返り、記事にしたいと思います。


1日目 Aくんのけが

4年生の学級担任として過ごしていたある昼休み。運動場で子ども達が野球をして遊んでいました。
Aくんが、野球のバッターの順番を、近くに倒して保管しておいたゴールポストに座って待っていました。
そのゴールポストは大きいサイズで普段使用せず、網は外しており、バーやポストがむき出しになっていました。鉄棒代わりにして遊ぶ子もおり、運動場の完全な一部として同化していました。
Aくんは、子どもにとっては少し高い位置にあるバーに腰かけていたのです。バッターの順番が来たので、降りようとしましたが、誤って落ち、着地に失敗してヒザを地面に接地しているポストで打ってしまったのです。すぐに保健室へ運び、保護者を呼んで病院まで連れて行ってもらいました。結果は複雑骨折でした。
その日に保護者宅へ伺い、一連の経緯を伝え、その場を後にしました。

2日目 保護者からの予想だにしない連絡

翌日、Aくんの保護者から、予想だにしない連絡がきたのです。

担任が昨日訪ねてきたが、謝罪の言葉がなかった
学校の責任の所在は?指導が行き届いていないのではないか
我が子は骨折して、可哀想な目にあっている。このことを、学校
はどうしてくれるのか?
県の教育委員会まで、この事を伝える

今後、電話連絡ではなく、文書でしてくるようにとの要請も付け加えられて。
頭が真っ白になりました。Aくん宅まで出向き、自分なりに謝罪までしたつもりだったのだが、保護者にはそう捉えられていなかったのです。

「謝罪の一言もない、学校のせいでわが子はこんな大怪我をしているんだ。学校はどうなっているんだ!」
という保護者の心の声が聞こえてきました。

3日目~ 病院へお見舞いに通う日々

Aくんは治療のため入院しました。
私は毎日片道1時間かけてお見舞いに行きます。
しかし、保護者は完全に我々教職員を敵視しており、罵声を浴びせられる毎日でした。

道中、涙を流しながら向かっていたことを、今でも思い出します。

ーなんでこんなことしなけりゃならないんだー

お見舞いにいってもいっても

学校のせいだ!
どう責任を取ってくれるんだ!
子どもが可哀想じゃないか!

こっちはただ平謝りをするだけ。
ゴールポストを横にして端においていたのはありますが、
それはもとからずっとそこにありました。
私が何かしたわけではありません。

ーなんでここまで言われなきゃならないんだー

教員1年目にもかかわらず、退職も考えました。

「教員として失格だ」
「自分は、担任を持つ資格がないんだ」

心の中の自分がつぶやきます。
普段の授業も身に入りません。
それだけ追い込まれている自分がそこにいました。

結末 

均衡状態がずっと続き、終わりのない日々を過ごしていました。
そこに、突然の結末がおとずれます。

保護者のお姉さんが間を取り持っていただいたのです。

「今回の件は全てが学校の責任だとは考えきれません。今後適切な対応をすることを約束していただけますか?それで、我々はもう大丈夫ですから。」

そうして、この一件は終了となった。
ゴールポストを移動し、立て札を立ててそこに近寄ったり遊んだりしてはいけないと掲示と全体指導を行いました。
最終的には、行政へ連絡し、撤去することになったのです。

考察 ~理想と現実の狭間で~

教員は、何のためにあるのか?

理想は、子どもと学習したり休み時間に外で遊んだりして楽しい毎日を過ごすこと

保護者は協力的で、教師に対して一定の尊敬の念を抱いており、支えてくれることを期待していた

しかし、現実は全くちがったものでした。
理想と現実の狭間で、私は打ちひしがれていたのです。

しかし、色々と考えても授業は待ってはくれません。
忙しい毎日の中、学級経営に奮闘し、教員1年目を終えるのでした。

以上が、私の初任者の強烈なエピソードです。
ここで、学級担任をすることの大変さや怖さを味わうことになりました。

初任者は、初任研という多くの研修を授業の合間を縫って行う必要があり、受け持つ授業時数は少なく、校務分掌もほとんどない、初任者担当教員の拠点校であったので十分なサポート受けられたという点からも優遇されている立場でした。
力不足な面もあったとは思いましたが、1年目は他に大きな問題はなく、修了式を迎えることができました。

「来年は、心機一転頑張るぞ!」

そう誓い、2年目に突入するのでした。

今日の記事は以上になります。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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