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43 教室マルトリートメント

今年度、様々な研修会に参加しましたが、川上康則先生の講話が今年一番の強烈なインパクトと深い学びを得ました。

内容は現在の教育のあり方を痛烈に批判し、問題提起しているのですが…
川上先生の
壇上での立ち振る舞い
明瞭な声
話の進め方
時折挟む冗談
定期的な近くの方と協議する時間を取る
など観客を飽きさせない講演会で、2時間があっという間でした。
ぜひ書籍も読んでみたいと思い、遅くなりましたが先日購入した次第です。


教室マルトリートメントがはびこる教師の指導

そもそも、マルトリートメントという言葉とは、

マル=悪い 
トリートメント=扱い

を合わせたもので、子どもへの不適切な関わり全てを意味します。

主な不適切な関わりとして身体的虐待、性的虐待、ネグレクト、心理的虐待が挙げられていました。
現在「児童虐待の防止等に関する法律」で虐待やネグレクトは犯罪と定義されています。
ただし、そこまではいかないけれど、子どもにとって不適切な関わりや本来は避けなければならない指導の全てを「教室マルトリートメント」と呼びます。

私自身、20代は怒って聞かせることがよいことと考える所がありました。
周りの先生が厳しく指導する姿を見て、「すごい」「かっこいい」「自分もやろう」とあえて叱る場面を見つけていたこともあります。
保護者の方からも、
「うちの子は怒っていいからね!」
「叩いてでも、厳しく指導してくださいよ!」
などと言われ、真に受けてきた若手時代でした。

恥ずかしながら、保護者に聞く体罰調査が怖かった思い出があります💦

教師としてのプライドや見栄、周囲からの評価を気にして厳しく当たっていました。
「ありえない!」
は思い通りに子どもが動かない、指導が上手く入らなかった時にぶつける昔の口癖でした。
まさに、この本で書かれている「毒語」です。
子ども達を傷つけていたのではないかと申し訳ない思いでいっぱいです。

叱ると怒るは紙一重

ある中学生に「好きな先生はどんな先生だったか」アンケートを取った結果です。

好きな先生は、「叱ってくれる先生」
嫌いな先生「すぐ怒る先生」
だそうです。

まさに、叱ると怒るは紙一重ですね。

これは、「叱る」は子ども達への敬意に溢れた言葉や立ち振る舞いであり、心的外傷を与えずに行動改善を促すことができた結果だと考えます。信頼関係を築けていることも重要な要素ですね。

反対に「怒る」は毒語を使い、罰や脅しなど「恐怖」で子ども達を縛り付けている先生だといえます。昔の私です。今でも時々やることがあるので、常に振り返るようにしています。

不適切な関わりを避け、叱れるときに叱る先生が子どもにとって良い先生だと言えます。これは相当レベルが高く、誰もがすぐにできることではありません。私も10年以上教員していていますが、まだまだです。相当の経験と研鑽を積み、教師の資質向上を図らなければこの境地にはたどり着けないでしょう。著者も、子どもの質や自分自身のタイプによってできる指導やできない指導があると述べています。正直、私は叱って聞かせるタイプではないと自覚しています。これまでの失敗経験がそれを物語っています。

だからこそ、教師は一生学び続けなければならない職業であると自覚し、日々学び続けていこうと思いを新たにしました。

特別支援教育の基本

本来、特別支援教育の基本についてこう述べています。

特別支援教育の基本は
「他者との違いを認め、相手をリスペクトする」ということです。
相手への敬意。
相手が見て感じたことへの敬意。
相手が考えて行動したことへの敬意。
相手が大切にしていることへの敬意。
相手が背負っているものに対しての敬意。

教室マルトリートメント

敬意を示さない教師の発言は、他人の粗探しにしか映りません。他人からも同じ視点で見つめ返される事になります。もちろん子どもにも。
子どもは敏感です。敬意に溢れた人から発せられた言葉は人の心を支え、前向きにさせる力があります。
だからこそ、何を言うか、何をするかよりも、どんな態度でその子の前にいるかが大切です。頭の片隅に置いておこうと思います。

パニックやフラッシュバックを誘発する教師の毒語

私が最も衝撃を受けた内容です。

マルトリートメントが子どものトラウマ(心的外傷)を生み出す危険性があります。そして、それが数ヶ月立ってからの突然のフラッシュバックの引き金やパニック症状に陥いるすることがあるのです。

著書には特別支援学級に在籍していて、教師とうまくいっていなかった子どもが特別支援学校に編入してきたエピソードが書かれていました。その子はちょっとしたことがきっかけで心理的脆さが露呈し、
当時の教師から浴びせられた

「また悪いことして!」
「ねえ、何やってるの?」
「やりません!」
「ダメって言ったよね!」
「ごめんなさいでしょ!」
「最高学年のくせに!」

などの言葉が繰り返し出てきたそうです。
脳科学の観点からも、ネガティブな記憶は次の機会に失敗を避けたり、悲しむことがないように気をつけたりするための「生存戦略」や「社会適応」の一環として記憶に残りやすいのです。
よって、ちょっとしたきっかけで上記のようなフラッシュバックの状態が起きるのです。

トラウマ(心的外傷)の副作用

また、トラウマによって、様々な副作用が生じます。

精神の不安定さ
攻撃性
過度の警戒心
集中困難、破壊的行為

子どもの荒れた様子を何とかしようと厳しい指導を繰り返しても、結局ネガティブな感情ばかり脳に記憶されます。
状態は悪化していくばかりです。
ネガティブな言動や否定的な関わり、心身を攻撃される体験はすべて心にマイナスの面で傷つけてしまっているということです。
自分自身、教師生活を振り返ってみると、記憶として残っているものは楽しかった、やり切った記憶よりもきつかった記憶、子供達からそっぽ向かれ、学級崩壊に陥った時期の記憶の方が鮮明に覚えています。
だからこそ、子供達に教師の指導によって心的外傷を負わせることがないようにしなければなりません。それが、今後の子供達の安定した学校生活や社会生活を送れなくする一因になるからです。

教師が笑顔でそこにいれくれる安心感を与える存在になろう

結局、本来の教室や学校はどうあるべきなのでしょうか。

結論から申し上げます。

安全基地としての役割を果たせる教師がふえることです。
教師が笑顔でそこにいてくれる安心感を与える存在になれば、安全基地としての教室、学校の機能が形成されていきます。

安全基地としての教室を形成し、そこにいる教師を信頼している存在として子どもが認識していれば、多少の注意や叱りも子どもは肯定的に受け入れ、トラウマには至りません。

学校が好き
先生が好き
勉強が楽しい
仲間がいる

当たり前のことですが、それが難しいことも十分承知しています。特に特別支援学級に在籍する児童は少なからず心に傷を負っている場合があります。通常学級で馴染めなかったり学習についていけなかったりして学びの場の変更を余儀なくされたケースも多いです。
私が特別支援学級担任だからこそ、自分の教室を安全基地にすることをはじめ、特別支援学級全体、いや学校全体を安全基地として機能し、維持していく働きかけを日々行っていかなければならないと感じています。

未来の予測困難なsociety5.0の現代だからこそ、

私が笑顔でそこにいれくれる安心感を与える存在

でありたいと思います。

今回の記事は以上になります。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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