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大切な皆様へ、私のことをお伝えします。

こんにちは。
チャットレディをしている美香です。

今回、男性も女性も、なるべく多くの方に
私のことを知っていただけたらと思い
noteデビューしました!!

私を通して【乳がんについて】も、
より多くの方に理解してもらえたら嬉しいです。

そうです。

私、 【乳がんサバイバー】 なんです。


今から約1年半前、31歳の時でした。
当時はチャットレディとしての活動も
2年近く経っていて
やっと人気が出てきたと言える
時期でもありました。

結婚式も終えてプライベートも順調。
これで子どもが出来たら、
私は世界で一番幸せなんじゃないか?

そう思っていた矢先に、乳がんが発覚

そこで突きつけられたのは、
「両側の乳房全摘をしないと
後10年も生きられない」
という現実でした。

私は以前、手術室の看護師をしていたので、
「乳房全摘手術=乳首が残せない」
ということを知っていました。

もう脱げなくなってしまう。
おっぱいを売りにして成り上がってきた私から
おっぱいがなくなってしまったら

いったい何が残る?

死ぬかもしれない、
もう子どもを産めないかもしれないという
ことももちろんですが、

「必要とされなくなること」が
最も辛かったのを覚えています。

おっぱいのない私には価値がないのではないか?

そう思って、何も告げずにチャット界から
引退することも考えました。

ただ、いつも応援してくれている
ファンの方々にはきちんと伝えようと、
フォロワーの皆様に宛てて
メールを送ったところ………

そこで返ってきた反応は、
私が予想していたものとは
大きく異なっていました。

私はアダルトチャットが主体なので、

「乳がんでおっぱいが無くなる私なんて
もう女じゃない」、
「価値が無い」と思われるんじゃないか?
公表したことでみんな
離れていってしまうんじゃないか?

とすら思っていましたが、
全く逆の反応だったことにとても驚いたと同時に
そんな風に皆さんに対して
思ってしまったことを深く恥じました。

私からの一方的な暗い内容のメールに対し、
何人もの方から励ましのメールが届いたのです。

「おっぱいがなくなったって、
美香ちゃんは美香ちゃんだから」

「美香ちゃんとは話してるだけでも楽しいよ」

「おっぱいだけじゃなくて
お尻もいいと思うから元気出して」

「脱がなくてもいいから
言葉責めだけしてください」
(←笑いましたw)

「生きていてくれるだけでいいんだよ」

自分という存在を認められた気がしました。
その言葉があったから、私は絶対に帰ってくることを決めました。


がんが見つかる前の私は、恵まれていました。

さほど裕福ではありませんでしたが
両親からは愛情たっぷりに育てられ、
誰がどう見ても理想の相手と言う人と結婚し、
慎ましく必要十分な生活ができているということ。

以前はそれだけで幸せだと思っていました。
人生は全て私の思い通りに進んでいる、
そんな気さえしていました。

でも、がんが見つかって、
しかもそれは「乳がん」で。

胃でも肺でもなく、
おっぱいを取ることになるなんて。

私が私でなくなること、
「必要とされなくなるかもしれない」
と感じた瞬間、
とてつも無いショックを覚えると同時に
「幸せ」の基準が変わっていることに
気付いてしまったのです。


私は、必要とされたい。
誰かのために生きたい。

体だけじゃなくて、私の存在そのものを認めてもらいたい。

そんな風に思うのは、贅沢なのかもしれません。
アダルトな世界でこんなことを求めるのは、
場違いかもしれません。

でも、ファンの方の言葉に何度も救われたのは
紛れもない事実です。

優しい言葉をかけてくれたから、
頑張ろうと思えました。

諦めないことを教えてくれたから、
出来ることを精一杯やりました。

待ってるからねと言ってくれたから、
術後も絶対に復帰すると決めました。

チャットは、
ただエッチなことをする場所じゃない
人と人との繋がりなんだということを
改めて思い知りました。

当たり前ですが、チャットレディを始める前は
こんな世界が待っているなんて
思いもしませんでした。

たかがライブチャットかもしれませんが、
この時ほどチャットレディをしていてよかったと
思ったことはありません。

それくらい救われました。


いつも支えてくれるファンの皆様や
一緒に頑張っているチャットレディの方々へ

今度は私が恩返しをする番です。

果たしてこれが恩返しになるのかどうかは
未知数ですが…

インターネットの中だけで完結する、
広くて狭い世界。
それでも出会えてよかったと、
そう思ってもらえるように
今までの気持ちを綴っていきたいと思います。

ぜひ、最後までお付き合いください。


そもそもなぜチャットレディを始めたのか?

私のチャットレディ人生の始まりを語らずして
ライブチャットは語れません。

私は看護大学を卒業後、
5年間大学病院の手術室に勤めていました。

病棟看護師は3年、
手術室看護師は5年で一人前と言われていた時代。

それなりにスキルが身に付き、
区切りも付いたところで転職します。

転職した先は…自営業でした。

簡単にいうと、エステサロンです。

一人でマンションの一室を借りて、
化粧品を仕入れて売ったり、手を動かしたり。

元々美容には興味があったので、
楽しくやっていました。

始めのうちは…。

雲行きが怪しくなったのは、
自営業2年目の時でした。

新規のお客さんが全く来なくなり
(後になって広告が全く
撒かれていなかったことが判明)

リピーターの方にクロージングをかける日々。
それでもコースが終わって卒業していくお客さん。

家賃を払うことも
ままならなかった時に始めたのは、
看護師の日雇いアルバイトでした。

看護師の免許というのはとても便利で、
拘束時間は長いですが
それなりにお給料をもらえます。

予約が入っていない日は、
アルバイトを入れる。

アルバイトを入れたいから、
サロンの予約は一日にまとめる。

そんな生活を続けていたら、
どちらが本業なのか
だんだんわからなくなってきました。

当時のアルバイトは主に訪問看護で、
一日に何件ものお宅を回ります。
その移動手段は主に自転車。

そして初夏のある日、大雨に見舞われました。

仕事を終えた頃には
びしょびしょの白衣、ドロドロの顔、
バサバサになった髪の毛

体力も限界でボロボロになった自分を
鏡で見た時に、
もっと働きやすくて、
条件のいい仕事があるんじゃないか?

と思った私は、
「高収入 アルバイト」と検索しました。

そこで出会ったのが現在の所属事務所のHPでした。

「画面越しにお話するだけで1日9万円可能」

当時の私はライブチャットなんてものは知らず、
一体どういうものなのか
イメージも出来ていませんでした。

ただこの「9万円」というのが
妙にリアルに感じられ、
とりあえず話だけ聞いてみようかな〜
と思ったのが最初のきっかけです。

多分、これが「1日30万円可能!」とかだったら
逆に怪しすぎて行ってなかったと思います。笑

(まぁ普通の方は9万円でも
怪しいと思うでしょうけどね)

そんなこんなでフッ軽な私は
すぐに面接の予約をしました。
そして、そこで初めて
「ライブチャット」を知ることになります。

リアルタイムで会話し、時には脱衣を伴う。
そう説明された時、
最初は意味がわかりませんでした。

脱ぐってなに?
どういうこと?
人前で裸を見せたことなんて、大浴場くらいだし。

説明を聞くにつれて、チャットについてなんとなく理解はできましたが、

可愛くないし、顔は出したくない。
スタイルも悪いし、脱ぐのもちょっと…。

そう話すと当時のスタッフさんが、
「顔出し無しでノンアダルトなんて
一番稼げないよ」
と一言。

続けて、
「でもあなたには“武器”があるじゃない」
と言いました。

その”武器”こそが、おっぱいです。

「こんなに恵まれている人なかなかいないよ?
絶対稼げるようになるよ」

単純な私は、褒められて(?)
ちょっと気を良くします。

なら、ちょっと頑張ってみようかな?

ただ、もともと自分のおっぱいに
そんな自信がなく、
少し大きいだけで
むしろ離れていてカッコ悪い…と思っていました。

こんな体に需要なんてあるの?

よくわからないまま
「じゃあ、まずは試しにやってみよう」となり
繋がった初チャット。

会員さん「脱いで」
私「えーやっぱり恥ずかしい…」
会「いいから脱いで」
私「ちょっと待っ…」
ブツっ(チャット終了)

一瞬で終わったのを今でもよく覚えています。

チャットが秒で終わってしまったこと
(9万円どころか30円)、

体に自信がなくて、脱いでと言われても脱げなかったこと

などをスタッフさんに話すと、

「素人なんだからスタイルなんて悪くて当たり前。
逆にそれがリアルなんだよ。」


そうは言われても…と思って繋がった
2度目のチャット。
そこで話した人は、
私を人として扱ってくれるとても優しい人でした。

女というのは不思議な生き物で、
綺麗だね、可愛いねなどと言われると
ちょっと無理なことでも頑張れてしまいます。

この時も、
「すごく綺麗な体だね」
「こんなに可愛いのに彼氏いないの?嘘でしょ?」

普段褒められる機会のない私は
そんな風に言われるのがむず痒くも嬉しくて、
女としての自分に自信が持てた瞬間でした。

当時29歳、彼氏(後に復縁する現在の夫)に
振られたばかりで自信をなくしていたのですが
「私もまだイケるのかも!?」
と思わせてくれました。

私の中で何かのスイッチが入り、
「私の体って綺麗なんだ」
と、半ば錯覚させてもらったのです。

もしかしたら、
2度目のチャット相手がその人じゃなかったら、
あんなに褒めてくれなかったら、
私は早々にチャットレディを
辞めていたかもしれません。

巡り合わせとは本当に不思議なもので、
これまでの出会いひとつひとつに
意味があったと思えます。


そんなこんなで無事に
チャットレディとしての人生を
歩み出すことになった私。

しかし、しばらくは1日9万円なんて遠く及ばず…
3ヶ月目に入り、チャットレディとしての
倦怠期を迎えます。

チャットレディの平均寿命は3ヶ月

普通の恋愛もそうですが、
大体3ヶ月でマンネリ化してきます。
チャットレディも例外ではなく、
3ヶ月で辞める人がとても多いです。

私も少し熱が冷めていた時期がありました。

待機が長いし、繋がってもすぐ終わっちゃう…
やっぱり看護師のアルバイトをするしかないかな?

そんな時、一度目の転機が訪れます。

サムネイルをかなりセクシー路線に
変えたのがプチバズりし、
一気にランキングに載るようになりました。

ランキングに載る=たくさんの視聴者に見られる
ということ。
そこで私は「注目を浴びることが好き」
ということを思い出しました。

自分が物語の主人公になれるのって、
学生時代の演劇くらいまで。

普通に大人になって仕事をしているときに、
注目を浴びるってなかなかないと思います。
しかも、いい意味で。

いろんな人に見られて、褒められまくり、
しかもお金までもらえることで
また私の自己肯定感は爆上がりしました。

「私の体って、セクシーだったんだ…!」

自分に自信が持てるようになると、
チャットでの振る舞いも
また少し変わったように感じます。

それ以降は収入もアップし
看護師バイトからも卒業することができ

不思議と色々な歯車が噛み合い始め、
このタイミングで結婚も決まりました。

しかしそれからしばらくしてコロナ禍に突入。
今はそれほどでもありませんが
当時は美容業界に対する風当たりが強く、
結局エステサロンは閉じることになり
結婚後はチャットだけが残りました。

もしかして私、チャットレディ向いてる?

チャットレディというのは水商売。
評価(お給料)が高い時もあれば低い時もある、
とても不安定なものです。
なので普通は、一生やるようなものでは
ありません。

ましてや結婚し、養ってもらえる立場です。
サロンも閉じていましたし、
私がお金を稼がなければいけない理由は
もうありませんでした。

もはやお金などは関係なく、
ただチャットそのものが楽しくて、
日々の生活の息抜きになっていました。

「こんな感じで趣味として続けていこうかな」

そんな中、
私が死ぬまでチャットレディ人生を続けようと
決心したきっかけとなった
二度目の転機が訪れます。


私がメインで活動しているサイトでは、
毎年秋に人気投票が行われます。

(私がチャットを始めたのは2019年なので
その年も投票はありましたが
全くかすりもしない順位でした)

2020年の人気投票、中間発表でまさかの
10位以内に入ったのです。

詳しい順位は中間では公表されないので
10位以内ということしかわからないのですが
ここまできたら1位目指してみようと思って
取り組みました。

当時仲良くしてくれていた会員さんの協力もあり
票数を集めることはできたものの、
「まぁ私なんてそんな上位にならないよね〜。
5位くらいに入ればすごいよね〜〜」
と話していました。

そして結果発表の日…蓋を開けてみたら…

まさかの1位。

驚きすぎて、三度見、四度見くらいしました。

会員さんとも喜びを分かち合い、
私のチャットスタイルは間違っていなかった
と思うことができました。
※私は秘密メッセージなど全く送れないタイプ

日々の獲得ポイントだけで決まるランキングよりも
会員さんに認められた気がしてとても嬉しくて、

この時初めて

「一生チャットレディをやっていきたい」


と思えた、
人生で最高の瞬間の一つでもありました。

それから程なくして、三度目の転機が訪れます。


2020年の秋に投票が行われた後、
翌年1月にやっと結婚式を行いました。
(本当は夏の予定だったのですが、
コロナ禍で延期していたのです。)

無事に挙式を終え、
そろそろ子どものことを考えることに。

「妊娠中に風疹にかかると危ないから
抗体化調べてくるね」
そう言った私に

せっかくだから子宮がん検診と乳がん検診も行ってきたら?
と言ってくれた夫。

実はその1年前にも
がん検診を勧められてはいたのですが、
受けたのは子宮がん検診だけで
乳がん検診は行きませんでした。

「乳がん検診って、
区で推奨されているのは40歳からだし、
若い人はほとんど行っても意味ないらしいよ?」

なんて言って避けていたのが2020年。

「まぁ、妊娠中はマンモ受けられないし、
今までいったことないから
とりあえずブライダルチェックみたいな感じで
受けてみようかな」

と、この時は不思議とすんなり
受ける気になりました。

だって、私が乳がんだなんて思いもしなかったから。


さっさと妊娠して、ぱっぱと産んで、
ぎゃーぎゃー言いながら子育てして。

そんな当たり前の未来が来ると
勝手に信じていました。

その時たまたま生理がきて(=妊娠不成立)、
「あ〜まぁ一発で授かることなんてないよね〜」
くらいに思っていました。

次の排卵日が待ち遠しく、妊娠する気満々でした。

検診に引っかかるまでは…。

乳がん検診というのは、
視診・触診・マンモグラフィ(レントゲン)
が主流です。
エコー(超音波)まで診てくれるところは
あまり多くありません。

私が行ったクリニックは、視診・触診なし、
エコーとマンモグラフィだけだったのですが
(割愛しますがこのクリニックに行き着いたのも
本当に偶然で、運命的でした)

結果的に、ここの先生とエコーに
命を救われることになります。

「◯◯さん(←私)、今日はもう一個検査するから。」

「次回結果が出るまでは妊活しないでね」

検査の後の診察。
本来見えないはずのエコーでも
はっきりと分かるほど、
私の左胸の一帯が石灰化(砂粒のような塊)
していたようです。

(石灰化は若い人に多く、
そのほとんどは乳腺症(良性)。
でもその場合はマンモグラフィに映る程度。
つまり、エコーでも分かるほどの石灰化は異常。)

よく説明もされないまま
(されてたのかもしれないけど
ショックで耳に入ってない)
採血され(めっちゃ失敗された)
寝かされ、またエコーを当てられたと思ったら…

「チクッとするから我慢してね」
そこでやっと、私のおっぱいに異常があるから
針生検することになったんだと理解しました。

その途端、涙が溢れ始めて…
生検が終わった後も、
すぐには立ち上がれませんでした。

「これって、検査してどれくらいの人が
悪性ってわかるんですか?」

元医療従事者、聞いても意味のないことだと
わかっていても、
看護師さんに聞かずにはいられませんでした。

「う〜ん。お若いですし、
ご家族に乳がんの方がいなければ
大丈夫なことが多いですよ」

なら、大丈夫か。
お母さんは元気だし、
そのきょうだいもみんながんではないし。

お父さんの方も乳がんの人がいるって
聞いたことないし。

きっと大丈夫だよね。
たまたま石灰化が写っちゃっただけだよね…

結果が出るまでの約10日、
そう言い聞かせて過ごしていました。


そして迎えた、検査結果が出る日。

ちょっと早めに着いて、
受付を済ませ待合のソファに座ろうとした瞬間…

「あ、◯◯さん、レントゲン撮るよ。悪性だったから。」

たまたまトイレから出てきた先生に、
何の心の準備もできていない状態で言われ…

しばらく、「悪性」の意味がわかりませんでした。

「がん」ってこと???
「悪性」と「がん」って別物???

冷静に考えれば「悪性=がん」なのですが、
その時ばかりは受け入れられませんでした。

ポカンとしながら検査着に着替えながら、
夫にLINE。

「悪性だって。」

それを見た夫からもすぐに
「悪性ってどういうこと?がんじゃないよね?」
と、なかなかにパニくった返事が来ました。
※夫も医療従事者なので本来は
ちゃんとわかっています


胸がざわざわしたままレントゲンを撮り、
そのまま診察室へ。

「◯◯さん、これね、ステージ0〜1の乳がん。」

組織結果表を見せられながらそう言われた瞬間、

「あ、終わった」

と思いました。

その時は、不思議と涙は出ませんでした。


先生の口から、


若いし生検するのも迷ったけど、
嫌な予感がしたから生検したということ

あくまで生検した部分がステージ0なだけで
全部調べたらもっと進んでいるかもしれないこと

マンモグラフィだけだったら乳腺症と言われて
見落とされていた可能性が高いこと

範囲がかなり広く、部分切除は適応にならないこと
全摘手術では基本的に乳首が残せないこと

ピルががんの原因である可能性が高いこと

遺伝性の乳がんである可能性が高く
そうであった場合は右も全摘になること

卵巣がんは予後が悪いため、
がんになる前に卵巣も取る方が良いこと
※アンジェリーナ・ジョリーさんが
予防切除手術をしたことで話題となった
「乳がん卵巣がん症候群(HBOC)」

かなり増殖能力が早いため、
最近できたがんである可能性が高いこと
去年検診に来ていたとしても
見つからなかった可能性が高いこと

今すぐに全摘すれば5年生存率は99%であること

術後も恐らく10年は
再発予防の投薬が必要になること
その間子どもが作れないこと
(催奇形性があるため)

どうしても子どもが欲しいなら、
卵子凍結する方法もあるということ
ただ、それを子宮に戻しても
ちゃんと育つ可能性は低いこと

これがしこりになるまで
気づいていなかったら手遅れだった、
今回見つかっていなかったら
40歳まで生きられなかったということ

もし先月妊娠していてたら、
子どもを産んでもすぐ死んでいたということ


当時、どうしても子どもが欲しかった私は
聞いてみました。

「ステージ0なら今すぐに妊娠出産して、
それから治療はできませんか?」

先生の回答は、こうでした。

「あなたの人生だから、
死んでもいいならいいですよ。
でも、妊娠で確実に進行します。
本当に手がつけられなくなる。」



せっかく先月から基礎体温も測って、
準備していたのに

やっと親に孫を抱かせてあげられると思ったのに

もしかしたら、
それはもう一生叶わないのかもしれない。



一通り説明された後、
言われた言葉が忘れられません。

「妊娠する前で本当に良かった。あなたは本当に運が良い。
宝くじに当たるくらいの命拾いをしたんだよ。」

その言葉は、私の形容し難い絶望の中にも
少しだけ希望をもたらしてくれました。

私は、救われたんだと。

本来ならあと数年だった命が、
長く生かされることになったのだと。

ここまで落ちきってしまえば、
あとは上がるしかありません。
なるべく前向きに考えるようにしました。

私が乳がんになったのは、何か意味があるはずだ
いずれメッセンジャーとして、
ピンクリボン活動をしようかな

今から周りの友達にも、乳がん検診を広めないと。


でも、この頃は一人になると
朝も昼も夜も、泣いてばかりいました。

もし遺伝性だったら、両胸も残らない。
やっとチャットレディとして芽が出てきたのに、
それももうできない。

卵巣もとるし、
子どもも産めなくなる可能性が高い。


何も残らない。

全て諦めてまで、私が生きる意味って何だろう?


親には、直接話す勇気がなくて、
LINEで報告しました。

後から聞きましたが、私と同じくらい、
母も毎日泣いていたそうです。

子どもが作れないかもしれないこと、
命の方が大切だし仕方ないとは言っているけど、
本当はすごくがっかりしているはず。

いっそ死んでもいいから、
先に子どもを産もうかな?

無理して産んでもその子が小さいうちに
私がいなくなったら、
大変な思いをさせちゃうのかな?


そんな風に、
まるで自分の命とまだ会えぬ子どもとを
天秤にかけるような自問自答をしながら



外にいても、すれ違う女性を見ては、

この人は乳がんじゃないのに、
なんで私は乳がんなんだろう?


電車で前に座っている親子を見ては、

この人は普通に健康で、普通に妊娠して、
普通に産んでるのに、
なんで私には普通のことができなくなるんだろう?


子どもが欲しくないと聞いては、

妊娠することができるのに
なぜ産まない選択をするんだろう?
だったらその体、私と交換しない?



人と比べたって意味がないのに
最低だとわかりつつも

そんなふうに考えてしまう自分が情けなくて、
惨めで、悔しくて。

悪い夢なら早く醒めてほしい

毎晩、そう思いながら眠りについては
毎朝、左胸に刺した針の痛みで目が覚める

そんな日々の繰り返しでした。



その頃、詳細な検査はまだ結果待ちだったため
当時はまだホルモン治療が有効かは
わかっておらず、
手術・抗がん剤・放射線のフルコースを
覚悟していました。


その時、チャットでお気に入りに
登録してくれている方に
このようなメールを送りました。

手術をすればおっぱいの代わりに大きな傷が残り
抗がん剤を使えば髪は抜け落ち
放射線治療をすれば皮膚はただれ、
場合によっては爪も剥がれる
そんな私はすごく可哀想な、悲惨な姿でしょう。

きっと私の周りの女性は、
自分じゃなくてよかった、
ああはなりたくないと思うでしょう。

5年、10年、もっと、ずっと、かもしれません。
治療が終わっても、
全てが元に戻るわけではありません。

今のこの見た目だから気に入ってくれている人、
姿が変わってしまったら
私に興味がなくなってしまう方が
大勢いることもわかっています。
離れていってしまう人を
引き留めることはできません。

そんな中、見た目だけじゃなく
中身が気に入ったんだと言ってくれる方が
僅かでもいてくれることにとても救われています。

私はこのサイトでの出会いは
本当に宝だと思っています。
6月で2年になりますが、
いろんな方といろんな話をして、
もうずっと前から友達だったんじゃない?
と錯覚させてくれるような方も多く、
趣味を通り越して生き甲斐といっても
過言では無い存在になりました。

おばあちゃんになっても、
家族や友人とはできないような話をしながら
チャットができたら幸せです。

なので、元気になったら帰ってきても
いいでしょうか?

まだ髪も生え揃わず、
もしかしたら両胸なくなっているかも知れません。
肌もボロボロで、
見るに耐えない姿かも知れません。
もう皆さんの前で服を脱ぐことは
できないかも知れません。

それでもいいと言ってくださる方、
待っていてもらえると嬉しいです。

※抜粋


これは最悪のパターンを想定して書いていました。

それより前、
最初の検査で引っかかってしまった段階でも
メールで近況報告していたのですが

その時から冒頭のような
励ましのメールをくださる方が多く、
本当に元気付けられました。

こんなにも心配して、
家族のように応援してくれる人がいる。
私は一人じゃない、と
実感できたことが何よりもありがたかったです。

待っていてくれる人がいる限り、絶対に戻ってくる。
私はこの時、一生涯チャットレディを貫くと決めました。


後日、詳しい検査結果が出たことで
ルミナールBタイプという、
女性ホルモンを餌にして大きくなる
乳がんであることがわかりました。

つまり、女性ホルモンを抑える治療をすれば、
餌がなくなる=がんが小さくなるということです。

今までは、ホルモン治療だけで
がんが消滅した人も多くいるとか。

ただ、私の場合は遺伝子検査の結果、
BRCA2という、本来乳がんを
やっつけてくれるはずの遺伝子に変異があり、
遺伝性乳がん・卵巣がん症候群(HBOC)
であることが判明しました。

ノーマークだった父方の親戚に
乳がんで亡くなった方が何人もいたのです。

今私は左胸にがんがありますが、
今後、右にも発生する確率は90%以上。

「なんで右も手術しないといけないの?」
「ホルモン治療だけで治ったら
手術しなくていいんじゃないの?」

そう言ってくれる人もいますが、
私の場合は乳がんが
できやすい体質ということです。

次は初期で見つかるとも限らない。
ホルモン剤が効かないかもしれない。

そう考えると左胸と一緒に右胸もがんができる前に
予防的に切除してしまうのが安心ということです。

治療方針

・ステージ0でホルモン治療が効く場合は放射線・抗がん剤は使わない
・術後の投薬もしなくて良い。なるはやで妊娠出産する
・石灰化範囲が広いため、手術は部分切除ではなく全摘
・遺伝性であり右にもがんができる可能性が極めて高いため、同時切除推奨
・術前ホルモン治療でがんが縮小すれば、左も乳頭が残せる確率が上がる

大まかな流れ

①半年〜1年半(乳頭が残せる程度腫瘍が縮小するまで)のホルモン治療
②その後、両側乳房切除手術(2023年1月11日)
③回復後、先に子どもを儲け、産後落ち着いたら乳房再建手術
④繁殖機能が不要となったら早急に卵巣・卵管の予防的切除手術


良かったのは、紹介先の先生が親身になって
治療方針を考えてくれたことでした。

本来は術前のホルモン治療というのは
標準治療ではなく、
ステージ0の場合は手術のみで
終わることが一般的です。
ただ、そうすると乳首も取らなくてはならない…

術前にホルモン治療をするのは
一般的なやり方ではないけど、
そうやって乳首を残せた人もいる。
再発もしていない。

やってみる価値はあるかもしれない。

その言葉を信じて
2021年5月からホルモン治療を始めて、
今日までで約1年半が経ちました。

タモキシフェンという薬を毎日飲み、
ソラデックスという注射を毎月お腹に打ち
(針めちゃ太いんです…)

卵巣を休ませ、意図的に閉経状態にすることで
女性ホルモンを抑えています。

最近は副作用も少し強くなってきて、
更年期のような火照り感や、
頭髪の抜け毛、皮膚の痒み、
むくみ、太りやすくなったりなどに
悩まされることが増えました。

※濡れにくくなるというデータもあるようですが
それに関しては実感なしです。笑

ですがお陰様で腫瘍は小さくなってきて、
先週撮ったMRIでは、
結構いい感じに乳頭との距離ができていました。

本当に乳首を残せるかどうかは
実際その時になってみないと
わからないんですけどね。

腫瘍が小さくなってきていることは
嬉しい限りなのですが、
今のこの体のタイムリミットが
迫っていることも事実です。



治療が始まってからこの1年半、
どうにか今の体で、
生きた証を遺せないかと奮闘してきました。

その中で、今一番重きを置いているのが
ファンサイトです。

ライブチャットは、
あくまでライブ(生)なので
録画ができません。


その点ファンサイトは録画したものを
ずっと取っておくことができますし、
リアルタイムじゃなくてもユーザーさんに
楽しんでもらうことができます。

ファンサイトをやることで皆様に愛されたこの体を
コンテンツとして遺したい。

そんな気持ちでファンサイトを始めました。

ライブチャットはリアルタイムなので
それがメリットでもありますが、
私のように手術をしたりすると
その間活動ができなくなってしまいます。

ですがファンサイトだったら、
術前に撮り溜めておくことで
術後もファンの皆様と交流を
し続けることができると思った次第です。


そして、この体が変わってしまう前に、

最初で最後。
11月23日(水/祝)、新宿でイベントをやります。


これまでファンの方々に支えられたこと、
元気付けられたことがたくさんあります。

どうにか恩返しをさせてもらえませんか?

いつも応援してくれている方、
これから応援しようと思ってくれている方、
一人でも多くの方に
直接感謝の気持ちを伝えられたらと思っています。

ですが日付が差し迫っており、
告知も遅くなってしまった関係で
行くよ!
と言ってくれている人が全然いない状況です…

でも、最初で最後の、
自分で企画したイベントなので、
どうしても成功させたいんです。

やって良かったなって思いたいし、
行って良かったなって思ってもらいたいです。

実際の、生の私をその眼に焼き付けてくれませんか?


今の、この体でお会いできるのは、
これが最初で最後のチャンスなんです。


2023年1月11日、両側乳房全摘手術


今、11月18日です。

だんだんとリミットが近づき、
今月は術前の検査がいくつか入っていて…
あと2ヶ月でこの体ともサヨナラなんだなと、
現実味が増してきました。

まだ少し、目を逸らしている
自分がいるのも事実です。

これを書いている今も…
一年以上前に覚悟は決めたはずなのに、
まだ涙が出てきます。

心のどこかで、なんで私なんだろう?
ってずっと思っています。
おっぱいなくなっても困らない人なんて
世の中にたくさんいるのに。

そんな自分の中の醜い感情に蓋をしながら
闘病してきたこの約一年半、
楽しい思いをたくさんさせてくれて、
辛いことを忘れさせてくれて、
一番元気と勇気をくれたのは
家族よりも友人よりも、ファンの方々でした。

話を聞いてくれる方はもちろん、
忙しい中たまに様子を見に来てくれたり、
直接話せたことがなくてもメッセージをくれたり。

一番支えてくれたのは、
チャット・ファンサイトをやっていなかったら
絶対に出会えなかった方々でした。

そもそもアダルトな活動をやっていなかったら、
こんな風に「絶対乳首を残したい!」
なんて思うこともなかったことでしょう。

それくらい、皆さんの存在は
私の中で大きなものになっています。

本当にありがとうございます。
感謝してもしきれません。

この御恩は、術後必ず
元気なNEW美香の姿で帰ってくることと…
今回のイベントでお返しできたらと思います。


どうか直接、お礼を言わせてください。

どうぞよろしくお願いいたします。
ご連絡お待ちしております!!

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